第46話

***





 震えがなかなか止まらない。


 学校にはいたくなくて、思わず飛び出してきてしまったが、晴れた空の下にいても胸にくすぶる不安は消えてくれなかった。





(あれは、いったい何だったんだ?)





 先程から、同じ問いを何度も繰り返しているが、答えは出てこない。


 高遠の後ろの鏡。本来なら、高遠の後頭部が映るはずのその鏡に映っていたもの……

 藤蒔はぶるるっと頭を振り、その映像を振り払った。





(気のせいだ)





 自分にそう言い聞かせるのだが、震えはいっこうに止まらない。真っ青になって肩を震わせている藤蒔を見て、道行く人が不思議そうに振り返る。ズキズキと痛む右手の甲が、余計に藤蒔を混乱させていた。





(早く帰ろう)





 信号が赤に変わる。藤蒔は足を止めて深呼吸した。目の前を車が行き過ぎる。


 その時、誰かに背中を強く押され、藤蒔は車道に倒れ込んだ。


 倒れ込む瞬間、身をよじって背後を見た藤蒔は、ビルの鏡張りの柱に映った自分の姿を目にした。

 それだけだ。誰もいない。誰もいない。だけど、確かに誰かに背中を押された。

 クラクションの音がした。

 振り向いた藤蒔の眼前に、車のヘッドライトがあった。





 ***





「今度は藤蒔が怪我したってよ!」





 放課後、帰り支度をしていた稔のところに、大透が息を切らして駆け込んできた。





「今、職員室の前で先生達が話してんの聞いちまった……」





 大透はわずかに顔を曇らせた。





「車に撥ねられたんだって。命に別状はないけれど、あいつ、サッカー部だろ……」





 怪我の程度によっては、スポーツ選手としての生命が絶たれる可能性もある。


 教室に残っていたのは稔と文司だけだが、大透が聞いた話はすぐに学校中に広がるだろうと思われた。三日続けて生徒が大怪我したのだ。


「それがさ、怪我した三人とも高等部一年檜組の生徒なんだって。それでよ、倉井」


 ここで大透は声を低めた。





「その三人は、高遠 信行って生徒をいじめていたらしい」


「あ、俺もその噂、ちらっと聞きました。高等部じゃ崇りだって騒がれてるみたいですよ」





(いじめ、か……)





 稔の脳裏に、霊の溜まり場と化したあのトイレが浮かび上がった。では、あそこでいじめられていた彼が、高遠 信行か。





「たぶん、倉井は俺と同じこと考えてるな」





 ニヤニヤ笑いながら、大透は言う。





「三人が怪我した時、高遠はちゃんと教室にいたとクラスメイトが証言している。じゃあ高遠は無実じゃん、と考えるのは素人の浅はかさ。ずばり、高遠は生霊を飛ばして憎い奴らを襲っていたのだ!」





 声高らかに言ってのける大透の頭をはたいて、稔は教室を出た。





「樫塚、その馬鹿に構ってるといつまでたっても帰れないぞ」


「待ってくださいよ師匠」


 文司と、頭を押さえた大透が慌ててついてくる。





「でも倉井だって、高遠ってのが、あの時トイレでいじめられてた奴だって思ってんだろ?生霊はともなく、呪いぐらいはかけそうな奴だったじゃん」





 後ろ頭をさすりながら、大透が言い募る。


「生霊だろうが、呪いだろうが、俺には関係ない!」





 階段を降りながら、稔は言い返した。


「でも、本当にそうなら、呪いなんてやめさせた方が……」


 文司までそんなことを言い出したので、稔は踊り場で立ち止まって二人を睨みつけた。


「高遠がいじめっこを呪ってたってんなら、それはもう終わったんだ。三人とも大怪我したんだから。この後、高遠が何してどうなろうが俺には……」





 関係ない。と言おうとした時、体が浮いた。


 足が、床から離れている。そのままゆっくりと、体が傾いでいく。





(え?)





 一瞬、稔は何が起きたのかわからなかった。


 ただ、背中に何か違和感があった。

 誰かに背中を押されて、階段から突き落とされたのだ。

 そのことに気づいたのは、階段を転がり落ち、床に頭を打ち付けて気を失う、一瞬前のことだった。



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