第4話

***



「なーなー、倉井ー。俺ん家に泊まりに来いよー。一晩一緒に過ごそうぜー」

「嫌だ」

「そんなこと言わずに。「観たら呪われる」って噂のホラー映画一緒に観ようぜ」

「断固拒否する」

 朝っぱらからなんつー会話なんだと自分で自分に呆れながら、稔は教室の戸を開けた。

「おはよー……」

 挨拶が思わず尻すぼみになった。

「あ、おはよう。倉井、宮城」

 黒板の前に立っていた文司がさわやかに笑う。とびきりの美形のさわやかな笑顔というこれ以上ない出迎えなのだが、彼の姿を目にした途端、稔は軽く絶望に近い落胆で思わず鞄を取り落としそうになった。

「昨日は大丈夫だったか?倉井、慌てて帰っちまったけど」

 そんな風に声をかけてくる文司の右腕を、肘から先しかない青白い手がしっかりと掴んでいた。

(冗談だろ……)

 稔は思わず頭を抱えた。それが自分にしか見えていないということは周りの態度から一目瞭然だ。当の文司も自分の腕にそんなものがくっついているとは夢にも思っていないだろう。だが、稔には嫌になるくらいはっきりと見える。青白い、手。

(あっさり取り憑かれてんじゃねぇよ!)

 心の中で文司を罵りつつ、稔はよろけながら席に着いた。

(何を連れてきたんだか知らないけれど)

 斜め前の席で授業を受ける文司の背中を見つめながら、稔は思った。

(俺には関係ないからな。ほっとこう)

 白い手は文司の右腕をしっかりと掴んだまま、離れる気配はない。顔も体もない。手だけがつきまとっているというのが余計に不気味である。

(願わくば、何も起こりませんように……)

 稔はそう願った。

 その日は一日何もなかった。

 文司はいつもと同じように過ごしていたし、当然、稔の他に白い手の存在に気付く者はいなかった。

 だが、その翌日、登校してきた稔は文司の姿を一目見るなり心の中で叫んだ。

(増えてるぅぅぅっ!)

 白い手がもう一本、今度は文司の左腕をしっかりと掴んでいた。

(髪の毛かき上げてカッコつけてる場合じゃねぇだろ!増やすなそんなもの!)

 両腕に得体の知れない手をぶら下げて石森と談笑している文司に、稔は心の底で突っ込みを入れた。それと同時に、このまま日毎に一本づつ増えていったらどうしよう、という怖い想像が頭の中を駆け巡る。人間の手は二本だけ、という常識が幽霊にも通じるかはわからない。生きている人間なら、一人につき右手と左手の二本だけ……

「―――」

 ふと、あることに思い至って、稔は文司を見た。

(あれは……いや、もしかして……)

 確かめるように、稔は自分の右手を捻ってみる。

(やっぱりそうだ)

 稔は自分の手のひらをじっと見た。

「……何やってんの?倉井」

 いつの間にやってきたのか、隣に立っていた大透が尋ねた。それには答えず、稔は大透に向かって問い返した。

「宮城、図書室に出る霊って、一人だけか?」

「あ?さあ。俺も石森に初めて聞いたから……」

 大透は面食らった顔をした。稔が自分から霊の話題を振ったのは、これが初めてだった。

(両方、右手だ)

 文司の腕を掴んでいる白い手は二本とも右手だ。そりゃ、幽霊に右も左も物理法則も人体の神秘も関係ないかもしれないが、稔は何かひっかかりを覚えた。

(まさか、二体の霊に取り憑かれてるなんて言わねぇよな?)

 心中で暗澹たる想像をする稔の様子を見て、大透がキラキラしながら鞄からデジカメを取り出した。

「なあ!何か見たのか?図書室で?いつ?」

 矢継ぎ早に質問を繰り出してくる大透に稔がなんでもねぇよと言う前に、「こらぁっ」と太い声が落ちてきた。

「なんだこれは?」

 壮年の男性教諭が大透の手からデジカメを取り上げた。

「か、勝俣先生……なぜここに?」

 学校一の古株で学校一厳しいと言われている数学教師の登場に、さすがの大透もひきつった表情になる。

「林先生が急病で欠勤でな。今日は副担任のわしがホームルームをやる。それで、学校に何を持ってきているんだお前は」

「何をって言われますと、デジタルビデオカメラ略してデジカメちなみにPanasonic製……」

「そんなことは聞いとらん!没収だ!放課後返してやるから職員室まで来なさい!」

 勝俣は取り上げたデジカメを持って教室から出ていってしまった。

「そんな~……」

「当たり前だろ。うちの学校は携帯の持ち込みも禁止なんだぞ」

「ちくしょ~油断した~……」

 机に突っ伏して嘆く大透に、稔は呆れた声を出す。

「これに懲りたら持ってくるなよ」

「いや!俺には倉井の勇姿を記録する義務がある!撮り貯めた映像を編集してYoutubeにUPするんだ!そんでゆくゆくはサイトを開設して倉井を有名な霊能力者にするのが俺の人生の目標なんだ!」

「お前の人生の目標、肖像権の侵害すぎるだろ!」

 もしかしたら、文司に取り憑く二本の腕以上に厄介なものに取り憑かれてしまっているのかもしれないと、我が身を案じて稔は頭を抱えた。





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