書き手は何かしらの意図を持って文章を書くものですが、それをどう読み取るかは読み手の自由なんですよね。
そうあるべきだし、そうでなくてはならない。
じゃなければ、小説も何かしらの解説書も、ただの伝達の為の道具になってしまう。
そこには新たな創造は生まれない……と、思います。
あくまでも一個人の意見ですが……。
作者からの返信
柔軟ですね。先日も私は友人に頭が硬い。否定から入るものではない…といさめられました。
貴方様の言われることにも目を開かされます。
自分も今はカクヨムで書かせて頂いているのに配慮にかけてしまっている部分も多々見受けられる様になるかと思います。読み手の自由書き手の意図、今一度考えないといけないと実感させられました。
有難うございます。
新書でも3年遅れるとありましたが、流行に平行線で走るなら2年前から
書き始めよ、とアドバイスを受けたことがあります。
Jリーグ発足元年の2年前から、国内サッカーの内容を
漫画や小説にする。
ぼくはもう少しでシェアハウス元年に乗れそうでしたが
結局、後発スタートでした。
有名な「同志少女よ、敵を撃て!」は、直接北の混乱に向けて書かれたのでは
ないと言いますし、何が未来の情勢とマッチングするかなんて
誰にもわからないですよね。
作者からの返信
二年前から書き始めよ…中々に難しいお話ですね。でも流行色などはもう数年前から決定されており、それに従って商品が作られると聞いたことが有ります。
もしかしたら影のフィクサーが社会全体の流行を決めているのかも?
でなければJリーグ前にサッカーを盛り上げる様な手段を講じる事も難しい様に思われます。
「同志少女よ」読んだこと無いんですよね…私は新書より古書に興味が有りまして流行にも疎いです。ウィキであらすじ調べました!
岩永さんは余程の読書家ですね。勉強になります。