第186話 カタブツ子爵と盗撮魔副官

 わたし、ソニア・スオラハティは会心の笑みを浮かべていた。


「どうしたんだ、プレヴォ卿。アル様の顔を見るなり逃げ出すとは、流石に失礼だぞ」


「う、うう……」


 廊下の隅へと追い込まれたジルベルトは、顔を真っ赤にしながら頭を抱える。彼女は、見るからにひどい寝不足の様子だった。もしかしたら、夜明けが来るまで遊び・・つづけていたのかもしれないな。

 性欲とは生理的な欲求である。抑圧し続ければ、精神にひどい悪影響を及ぼす。さて、このいかにも真面目そうな騎士は、いったいどれほどの間己の性欲を押さえ続けていたのだろうか? そして、その抑圧のタガが緩んだ時の爆発力は、いかほどのものか……他人事ながら、心配になってくるな。


「ハメましたね、わたしを」


 周囲に我々以外の人影がないことを執拗に確認してから、ジルベルトは口を開いた。その声には、深い怨恨の色がある。……ふむ、これはよろしくないな。わたしは別に、この女をやりこめたいわけではないのだ。

 わたしの作戦目標は、あくまで盗撮やのぞきの黙認を勝ち取る事。彼女に過剰な打撃を与え、わたし自身が嫌われてしまえば元も子もなくなる。


「いや、すまない。ここまでのことになるとは思っていなかったんだ」


「あ、あんな卑猥なモノを渡しておいて……! こっちは、もう一か月以上性欲なんて処理できてないのに……!」


 ……随分と禁欲的だな、この女は。わたしなら、一週間と耐えられない気がする。


「ああ、なんということだ……主様をオカズにしてしまうなんて! なんたる不忠! こうなれば、もはやわが命をもって償うしか!」


 そう叫ぶジルベルトの表情は、真面目その物。冗談を言っている様子はない。ええ……たかだがこのくらいのことで、そこまで過剰反応をするものか? この女の忠義、なんだか重くないか?


「主君で自慰をした程度のことが死に値する罪なら、わたしはすでに十回や二十回は処刑されているはずだぞ。正気に戻らないか、プレヴォ卿」


「そうですね、万死くらいには値すると思います。貴方の場合は」


「口が悪いな、貴様は……」


 ギラリとこちらを睨みつけるプレヴォ卿の目つきは、肝の太さには自信があるわたしですら少々恐怖を覚えるほど鋭い。


「いやいや、すまない。誠心誠意お詫びしよう。わたしはあくまで、貴様と友誼を結びたかっただけなのだ」


「友好関係を結ぶために差し出すようなモノですか、アレが?」


「ああ、そうだ。同じ男で自慰をした以上、我々は姉妹のようなもの。もはや、友人以上の関係と言っても過言ではない」


「どういう理論ですか、それは」


 半目になるジルベルト。……いや、わたしもムチャなことを言っている自覚はあるさ。だが、あえて茶化した態度をとることで、雰囲気を軽くしたかったんだよ。


「はあ、王都ではオレアン公の術中に嵌まり、リースベンではソニア様の術中に嵌まり……まったく、わたしが何をしたというのか」


 大げさに嘆いて見せた後、ジルベルトはため息を吐いた。それから、ちょっと困ったような表情で聞いてくる。


「しかし、よろしいのですか? ソニア様。わたしの予想が正しければ、貴方とて主様に尋常ならざる想いを向けているのでは……」


「ああ、もちろん。わたしはアル様を愛しているとも」


 そうでなければ、実家を捨ててアル様の副官になるような真似はしない。母親が心底気に入らないとはいっても、つつがなく日々を過ごしていればそのうち自然に家督が転がり込んでくるような立場だったのだ、わたしは。スオラハティ家の当主にさえなってしまえば、あの色ボケババアなどいかようにも対処できたはずである。


「わたしのような新参者が主様に懸想しているなど、不愉快なのでは」


「いいや、まったく」


 ジルベルトの疑問に、わたしは即座に首を左右に振る。


「美しい花に多くのミツバチが寄ってくるのは当然のことだ。その程度のことで騒ぐほど、わたしは狭量ではない。……むろん、その美しい花に毒針を刺そうとする不愉快な害虫は、当然駆除するが」


 具体的に言えば、あの腐れババアとか、発情した神聖帝国の元皇帝とか、そういう連中である。だが、今わたしの目の前に居るのは、たかだか自慰の一度や二度で激しい罪悪感を抱くようなウブな女だ。それくらいなら、不快感よりもほほえましさの方がよほど強く感じる。わたしはにっこりと笑って、彼女の肩を優しく叩いた。


「アル様が好き? 結構。貴様が淑女的な態度でアル様と接する限りは、わたしも貴様を一端のライバルとして扱おう。正道をもって戦う敵手を邪道で排除したとなれば、わたしの度量が問われるからな」


 これは、偽らざるわたしの本音である。まともなアプローチ方法でアル様を奪われるのならば、それはわたしがその程度の女だったというだけの話だ。


「覗きや盗撮は淑女的な態度のうちに入りますか、ソニア様?」


「は、入らない……」


 そこを突かれてしまうと、困る。しかし、覗きにしろ盗撮にしろ、仕方がないのだ。アル様から放たれる危険な色香に耐えつつ真面目に副官業をこなすには、定期的に性欲解消をせざるを得ないからな。


「おや、意外とマトモな良識をお持ちですね。このジルベルト・プレヴォ、感心致しました」


「貴様、なかなかに口が悪いなあ! 年齢はさておき、アル様の部下としてはわたしのほうが先輩なのだぞ! わかっているのか!?」


「わたしの忠誠心が向かう先はアル様ただお一人のみ。そのほかの人間に、無条件の敬意を向ける気などさらさらありません。敬意が欲しいのならば、それにふさわしい態度を取っていただきたい」


「くっ……! 正論を……!」


 わたしもアル様第一主義を掲げている身の上である。そう言われてしまえば、反論はしづらい。


「いいだろう、貴様の主張を認める。だが、冷静に考えてみろ。我々は、ともにアル様とリースベンを盛り立てていく立場ではないか。お互いに反目しあって、なんのメリットがあるというのか」


「むう……」


 難しい顔でうなるジルベルトに、わたしは更なる追撃を仕掛ける。


「我らの仲を引き裂こうとする手合いは、ブロンダン家の家中に不和をもたらさんとする外敵である。そのような手合いの言葉など、傾注には値しない!」


「た、たしかにそれはそうですが」


「そうだろうそうだろう。わかってくれたようで幸いだ」


 だからと言って盗撮や覗きが許されるわけないだろ。そう言いたげな表情のジルベルトに、わたしはにっこりと笑いかけながら強引に肩を組んだ。


「外敵に対し、我らは強固な方陣を組んで対抗せねばならない。そのためには、信頼関係の醸成は不可欠だ。そういうわけで、まずは裸の付き合いで親睦を深めていこう。ちょうど、風呂が沸いているのだ。一緒に入ろうじゃないか、わが友よ」


「こ、こんな朝から風呂ですか!? さすがにちょっと、遠慮したいのですが」


「貴様、夜通しヤッていたんだろう? その……なんだ。けっこう、臭うぞ? そんな状態で一日過ごすつもりか?」


「エッ!?」


 顔を真っ赤にするジルベルトを、わたしは無理やり風呂の方へ引っ張っていった。

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