第173話 重鎮辺境伯とナマASMR(2)
結局、私は耳かきが終わるころにはもうヘロヘロのフニャフニャになっていた。が、しかし……耳かきはあくまで本番前の余興に過ぎないのである。そういう訳で、私はアルとともに寝床に入ることとなった。
「んふ、んふふ……」
私がアルに語った
「やっぱり、
私と向かい合わせに寝ころんだアルが、そんなことを言う。お互いに夏用の夜着姿なのだから、密着すれば当然肌と肌が直接触れ合うことになる。私が彼の暖かさを心地よく感じているように、アルも私の低い体温を受け入れてくれているようだ。ああ、たまらない。
「そうか? んふふ、いいぞ。もっとくっ付いてやる」
私は嬉しくなって、彼を抱き寄せた。アルは男にしては大柄ではあるが、スオラハティ家は長身の家系。ソニアほどではないにしろ、私とて彼を包み込めるだけの体格はある。
「やめてくださいよぉ、辺境伯様。僕、だいぶ汗をかいちゃってますから」
確かに彼の肌は汗でしっとり濡れているが、だから何だというのか。もちろん、私はそんなことは気にしない。汗をかいているというのなら、私の身体で涼めばよいのだ。
「アルぅ……こういう時くらい、呼び捨てにしてくれたってかまわないんじゃあないか?」
私は唇を尖らせながら、文句を言ってやる。ベッドの中でまで主人ヅラをしたくはないのだ、私とて。
「私の思い上がりでなければ、我々はそれなりに深い関係のはずだ。そんな他人行儀な呼び方は、良くないと思うなあ」
「……カステヘルミ、やめてくださいよ。そういう思わせぶりなことを仰るのは……。僕は人生で一度も女性と交際したことがない人間ですよ? 勘違いしてしまいます」
拗ねたような口調でそんなことを言うアルに、私はため息を吐きたい気分になった。何が勘違いだ。こちらはずっと本気だよ、お前が子供のころからな……。
とはいえ、ここで私の気持ちを告げるわけにもいかない。何しろ今宵の私は情けなくも娘と同い年の男に添い寝を懇願し、さらには耳かきひとつで余人には見せられないような醜態を晒した女だ。こんな状態で愛を告白するほど、私は恥知らずではない。
「……」
仕方がないので私は無言で彼の頭を撫でてやった。彼は心地の良さそうな表情で目を閉じる。……本当なら、頭を撫でられたいのは私の方なんだがなあ。しかし私は辺境伯で、アルは自らの立場を弁えている男だ。はっきりと命令しないかぎり、彼はそういうことはしてくれないだろう。
「……そろそろ寝ましょうか。明日も忙しいですし、あまり夜更かしするのはよろしくない」
「……ああ、そうだな」
本音で言えば、むしろ徹夜でアルと
「それじゃあ、失礼して」
などと考えていると、突然アルはぐいと私の頭を抱き寄せた。そのまま、彼は私の耳を自らの胸へと押し当てる。男にしてはひどく分厚い胸板が私の頬にくっ付いて、ああ、ああ!!
「あ、アル、一体何を……」
「今夜の僕の任務は、カステヘルミに安眠をお届けすることです。ご存じですか? 心音には、人を安心させる効果があるそうです」
「な、なるほど……」
よくわからないが、彼が言うのなら間違いはないだろう。そう思い、耳を澄ませてみる。……彼の心拍は、やや早かった。私と同じように、彼もドギマギしているのかもしれない。
だが、確かにその音を聞いていると己の心が凪いで行くのを感じた。身体から、自然と力が抜けていく。ああ、これは悪くない。むしろいい。そう思っていると、アルは優しく私の背中を叩き始めた。
「アル、お前……私は大人だぞ? こんな、子供を寝かしつけるみたいに……」
「ああ、すいません。つい癖で」
「癖? お前、他のヤツにもこんなことをしていたのか?」
思わず、硬い声が出た。しかし彼は小さく笑って、軽く頷く。
「子供のころの話ですよ。幼馴染連中とか、あとはフィオレンツァ司教とか」
なぜここであの翼人司教の名前が出るのだろうか? 一瞬困惑したが、そういば彼女は家庭の事情で王都の幼年騎士団に預けられていた時期があったはずだ。もしや彼女も、アルたちの同期なのだろうか?
「……というと?」
「あの子たちも、今では立派な大人ですが……昔はホームシックやらなんやらで、寝られない子も多く居ました。幼年騎士団は、親元から離れて集団生活するわけですからね。馴染むまでは、なかなか大変です」
「ああ、まあ……私も経験があるから、それはわかる」
甘ったれたガキどもを一人前の騎士に育て上げるための組織である幼年騎士団は、それはそれは厳しい場所である。私も、幾度となく涙をあふれさせた記憶がある。
「ベッドでぐすぐす泣いているのを見てると、こう、可哀想になってきちゃって……心音を聞かせて、背中を撫でてやって、まあ……今と同じような感じですね」
「お、お前、お前なあ……」
思春期の娘どもにそんなことをしていたのか!? 心が弱っているときに同年代の少年からそのような所業をされて、マトモでいられるはずもない。性癖も男性観も滅茶苦茶に破壊されてしまう!
耳かきといい添い寝といい、まったくアルはどうかしている。自覚的にやっているなら趣味が悪いことこの上ないが、彼のことだからおそらく天然だろう。逆にそれが恐ろしい。流石の私も彼の同期達が哀れになってきた。彼女らはマトモに結婚できるのだろうか……。
「……ま、まあいい。続けなさい、アル。私も君の手管には興味がある」
「え? ああ、はい。わかりました」
彼は頷いて、再び私の背中をトントンと叩き始めた。壊れ物を扱うような、柔らかな手付きだ。心臓の音を聞きながら、その優しい感触に身を任せていると、なんだか幼少期に戻って父上の胸の中で寝ているような心地になってくる。
……知らないうちに、目尻に涙が浮かんできた。子供のころは、よくこうして父上に寝かしつけてもらったものだ。あれからもう何十年もたつというのに、まるで昨日のことのように思い出すことができる。ああ、あの頃に戻りたい。
「子供を寝かしつけるみたいに、とは言ったが……私にはこれで十分な気がしてきたな。三十代も中ごろだというのに、私はあのころから全く変わっていない……情けない泣き虫のままだ……」
「人は、いくつになっても心の中に子供のころの自分を飼っているものです。時には、それを表に出してやるのも大切なことだと思いますよ」
「うん、うん……そうだな。ああ、その通りだ」
私は小さく頷いてから、ゆっくりと目を閉じた。いつの間にか、身体を内側から焦がすような欲情は収まっていた。
「なんなら、子守歌もお歌いしましょうか?」
「……お願いしよう」
私はもうダメかもしれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます