第171話 くっころ男騎士とお誘い

 その夜。僕はスオラハティ辺境伯の屋敷に招かれていた。募兵の件についての報告をするためだ。とはいえ、そう堅苦しい会合ではない。もうすぐ王都を発つ僕への送別会も兼ねた、ラフな晩餐会だった。

 父上の監視から離れ、ガッツリ飲酒するチャンスである。泊りの準備までして、僕は喜び勇んでスオラハティ邸にお邪魔していた。なにしろ辺境伯はガレア屈指の大貴族。当然、食卓に供される酒類も僕では手が出ないような高級なものばかりだ。


「なるほど、格上の臣下か。そりゃあ扱いづらいだろうな」


 スオラハティ辺境伯は、苦笑しつつ赤ワインの入ったグラスを傾けた。彼女はソニアと同じく結構な下戸なので、普段はあまり酒を飲まないのだが……めずらしいことに、今日は自分からワインを出してきたのだ。少々驚きつつも、僕は「そうなんですよ」と頷く。


「単純に気兼ねする、ということもありますし……実務的には、扶持ふちの問題もあります。ミスリル鉱山が稼働し始めるまでは、リースベンは単なる辺境の小領ですからね。得られる利益も限られています」


 子爵様に対して、そこらのヒラの騎士みたいな額の俸給を渡すわけにもいかないからな。リースベンは面積だけは大したものだから、土地を与えるという手もあるが……密林と蛮族しかいない、未入植の土地なんか貰っても困るだけだろ。


「得られる利益と言えば、軍の維持の問題もありますね。軍人がどーんと増えるわけですから、食料の供給が間に合うのか若干の不安が……」


「それに関しては、ディーゼル伯爵家を使いなさい。調べたところによると、あそこはなかなかに肥沃な土地らしいからな。穀物の生産量も多い。和平条約で関税も撤廃しているから、小麦も大麦も安く仕入れられるはずだ」


「ズューデンベルグ伯爵領ですか……」


 僕は考えながら、目の前に置かれた子牛のソテーを一口食べた。……うん、ウマイ。流石大貴族の晩餐だ。貧乏騎士家であるブロンダン家では、牛肉なんてまず食べられないからな。

 せっかくだから、カリーナとロッテにも食わせてやりたかったのだが……なぜかカリーナに断固拒否されてしまった。本人は「辺境伯様の邪魔をするわけには……」などと言っていたが、いったいどういう意味だろうか? ……ちなみに、牛肉だろうが牛獣人は平気で食う。人は人、動物は動物、そうはっきり区別されているのだ。むしろ、同族喰らい扱いするのは非常に失礼なことなのだ。


「敵国に食料を依存するのは危険ではありませんか? 確かに和平はしていますが……状況によっては再び仕掛けてくる可能性もありますし」


 リースベン戦争の悲惨な戦場を思い出しながら、僕は唸った。あれほどボコボコにしたのだから、即座にまた敵対してくる可能性は低いだろうが……万一ということもある。そうでなくとも、ディーゼル伯爵家が潜在的な敵であることには変わりがないのだ。そんなところから輸入した食料に依存するのは、どうかと思うのだが……。


「十中八九、大丈夫だ。アデライドが手を打ってるからね」


「……というと?」


「和平条約により、リースベン=ズューデンベルグ間は無税で交易することができる。それに比べて、周囲の諸領はお互いに高い関税をかけているんだ。なにしろ、我がガレア王国と神聖帝国は歴史的に不仲だからね」


「なるほど。リースベンと伯爵領が、両国間貿易の窓口になる訳ですか」


 合点がいった僕は、深く頷く。なるほど、アデライド宰相はそこまで考えて和平条約の条項を組んだわけか。流石というしかないな。


「そういうことだ。無税と言っても、通行する商人が増えれば比例して領地に落ちる金も増えていく。莫大な戦費を浪費してしまったディーゼル伯爵家は、軍の立て直しにこの金を使うしかない。そして再建が終わるころには、経済的にお互いズブズブに……という寸法だ」


 そう言って、スオラハティ辺境伯はまたワインを飲んだ。……ペース早いなあ、大丈夫かな? ソニアなんか、ビール一杯で酔っぱらうというのに。


「とはいえ……さすがにそれだけに頼るというわけにはいかない。軍人が多いと言っても、所詮は数百人単位だし……その程度の食料であれば、周辺諸邦からの輸入でなんとでもなる……はずだ! 何とかならなかったら私自ら出て行って話を付けてやる」


 そう語るスオラハティ辺境伯は目が据わっていた。ちょっと怖い雰囲気だ。酔ってるなあ。


「輸入祭りですねえ。僕の財布で支え切れるやら」


 飢饉などのことを考えたら、できれば食料は自領で賄いたいところなんだがな。すくなくとも、しばらくは難しいだろう。リースベンへの入植が始まってから、まだ大した時間は立っていないのだ、田畑の面積も、まだ十分とはいいがたい。更なる開墾が必要だ。

 とはいえ、リースベンの立地を考えれば軍備をケチるわけにもいかないからな。貧弱な戦力のせいで敵勢力にミスリル鉱山を奪われました、などという事態が発生すれば、僕はもちろんガレア王国も大損害を被ることになる。ここは上からの支援を受けつつ、なんとかやりくりしていくしかないか。


「なあに……カネの心配をする必要はない! 私とアデライドがジャブジャブ注ぎ込むからね……」


 なんだか呂律が怪しくなってきたな、スオラハティ辺境伯。ビールみたいな勢いでワインなんか飲んだら、当然そうなるわな。普段酒を飲まない人ならなおさらだ。


「あ、あの、辺境伯様……そろそろお酒は控えた方が」


「そうかな……? そうかも。確かになんだかふわふわしてきた……」


 酔いやすいとはいっても、スオラハティ辺境伯はどこぞの母上のような面倒な酔い方はしない。彼女は素直に頷き、空になった酒杯をテーブルに置いた。


「……」


「……」


 そこから、会話が途切れた。険悪な雰囲気……というわけではないが、なぜかスオラハティ辺境伯はチラチラと僕を見つつも口を開かない。何か、切り出しにくい話題でもあるのだろうか? 仕方がないので、子牛のソテーをワインで流し込みつつ、辺境伯の出方をうかがう。


「その……」


「はい」


「実は、ちょっと相談に乗ってほしい事があるんだ。構わないかな……?」


 そう問いかけてくるスオラハティ辺境伯の顔は真っ赤だった。アルコールのせいだろうか?


「ええ、もちろん。僕と辺境伯様の仲ではありませんか。どのような相談でもお任せください」


「……ならいい加減カステヘルミと呼んでくれてもいいじゃないか」


「えっ?」


 辺境伯はボソリと呟いたが、声が小さすぎて聞き取れなかった。問い返すが、辺境伯は「なんでもない」と切り捨て、こほんと咳払いする。


「実は最近、不眠気味でね。その……アルに……」


「はあ」


 不眠か。そりゃ、よろしくないね。睡眠は健康の基礎だ。……とはいえ、僕にそんなことを相談しても、大したアドバイスはできないと思うんだが。こういうのは軍務一辺倒の戦争バカより、きちんとした医師や薬師に相談するべき案件だ。


「添い寝をお願いしたいんだ」


「エッ」


 予想外の発言に、僕は思わず酒杯を取り落としかけた。いきなりだな。なんで添い寝!?


「違う! 違うんだ。抱かせてくれとか、そういうことではない。勘違いしないでくれ!」


「は、はあ……」


 辺境伯は湯気でも出しそうな顔色でアワアワと弁明する。


「我々竜人ドラゴニュートは元来、一人寝はしない生き物なのだ。種族として寒さに弱いにもかかわらず、故郷であるアヴァロニアは北方の地にあるからな。複数で同じ寝床を共有し、温め合う……数百年前までは、王侯ですらそういう習慣があった。もはや本能なのだ」


「な、なるほど」


 正直よくわからない説明だったが、僕は何とか納得している風を装って頷いた。辺境伯はまた一体、どういうつもりでこんなことを言いだしたのだろうか? アデライド宰相ならともかく、相手は優しく真面目なスオラハティ辺境伯である。まさか寝床へ引き込んでそのまま襲うつもりではないだろうし……

 いやしかし、よく考えてみれば幼年騎士団時代はよく幼馴染どもが僕の寝床に突撃してきた記憶がある。そのたびに、ソニアがちぎっては投げちぎっては投げしていたものだが……もしかしたら、本当にそんな本能があるのかもしれないな。


「そういう訳で、一人で眠るのはなかなかのストレスで……しかし知っての通り、私にはすでに夫もおらず、娘たちもすっかり大きくなってしまった。立場が立場だから、下のものを寝床に招くわけにもいかない。だから……な? アル、後生だから、私と一緒に寝てくれないか? もちろん、ヘンなことはしない。約束する」


 スオラハティ辺境伯は、両手を合わせながらそんなことを頼んでくる。……ヘンなことをしてしまうリスクは僕の方にもあるんだよなあ! なにしろ彼女はオトナの美女。結構な年上とはいえ、ストライクゾーンにはバッチリ入ってる。

 しかし、万が一辺境伯とそういう・・・関係になってしまったら、気まずいどころの話じゃない。別にソニアとは恋人でもなんでもないわけだが、浅からぬ関係なのは確かだからな。僕だって、もしソニアと父上が裏でデキてたりしたらショックで三日三晩寝込む自信がある。彼女の方も、それは同じことだろう。


「頼むよ、アル……アデライドとは一緒に寝たんだろう? 私だけ置いて行かれるのは……その、なんだ……嫌なんだ……」


 うわあ、先日のアレ、バレてるのかよ。僕は思わず頭を抱えそうになった。情報の出所は、もちろんアデライド宰相本人だろう。彼女と辺境伯は、親友と言っていい間柄だからな……。


「……わかりました」


 アデライド宰相の件を出されると、もはや断るのはムリだ。宰相にしろ辺境伯にしろ、僕の強力な後援者だからな。どちらか片方だけを優遇するのはよろしくない。……という言い訳が成り立つ。そりゃ僕だって辺境伯とは一緒に寝たいよ。滅茶苦茶魅力的だもの、この人。ソニアの母親じゃなきゃ、いっそ行けるところまで行ってしまいたいくらいだが……。


「要するに、辺境伯様に安眠をお届けすれば良いわけですね? お任せを」


 要するに、お互いがヘンな気分になる前に辺境伯を寝かしつけてしまえば良いのだ。僕はそのための作戦を脳内で組み立てつつ、大きく頷いて見せた。

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