第161話 くっころ男騎士と酒場(1)
義妹たち(正確に言うとロッテは違うが)との王都巡りは思った以上に愉快で、気付けば夕方になっていた。二人の方もそれなりに楽しんでくれたらしく、終始上機嫌だった。
しかし、いつの間にか辺境伯とカリーナが仲良くなっていたのは意外だったな。まあ、辺境伯は結構な子供好きだからな。良くも悪くも子供っぽい部分のあるカリーナを気に入ったのだろう。
「さて……」
義妹ふたりを実家の父上に預けたあと、僕は再び家を出た。もちろん、酒を飲むためだ。もちろんカリーナたちと戯れるのも楽しいが、大人には酒でしか癒せない痛みがあるものだ。
今回の内乱騒ぎは、予想以上に僕の心をささくれ立たせていた。こういう時は、記憶が飛ぶまで酒を飲むのが一番だ。幸いにも休暇は明日まで貰っているので、丸一日つぶれるようなひどい二日酔いになっても問題ない。
「いらっしゃい。……あらま、アルさん。お久しぶりですね」
僕が向かったのは、実家からやや離れた場所に店を構える造り酒屋だった。僕が王都で暮らしていた時は、二日に一回は通っていた馴染みの店である。
「どうも。……とりあえず赤。つまみに炒り豆も」
「あいよ」
店主に注文すると、すぐにウェイターが赤ワインで満たされた木製ジョッキを持ってくる。ちょっと際どい格好をした、可愛らしい少年だ。いわゆる看板息子というやつである。この国には労働法も風営法もないので、夜のお店で年若い少年少女が働いているのは決して珍しい事ではない。
そしてこの世界の酔客といえば、大概が女性だ。男性が一人で飲みに来ることなどほとんどない。そのため、給仕役も男性が好まれるわけだが……僕としては、露出の多い独特の衣装に身を包んだ同性に給仕されるのは、いまだに慣れない。
「ありがとね」
「どうも」
愛想笑いを残して去っていくウェイターを見送ってから、ワインに口を付ける。爽やかな酸味と、微かな渋み。うん、おいしい。安酒屋の出すワインなぞはいろいろな混ぜ物で水増ししているのが普通だが、この店はそんな誤魔化しはしない。それでいて価格は日雇い労働者でも手が出る程度に抑えているのだから、なかなかの優良店だ。
「今年も出来がいいね、大将。三タルくらい貰って行ってもいいかな?」
「そりゃ、いいけどね。そんなに買って行って大丈夫かい? アルさん。酒屋が言うのもアレだが、飲み過ぎは毒だよ」
「自分で飲みやしないよ、そんなに。お土産用だよ」
本気で心配している様子の店主に、僕は思わず吹き出しそうになった。このワインは、リースベンで待っている僕の騎士たちやロッテの保護者役である熊獣人のヴァルヴルガ氏へのお土産だった。
ちなみに、カリーナの実母である元ディーゼル伯爵……ロスヴィータ氏も結構な酒好きなのだが、流石に元伯爵に庶民向けの安ワインを贈る訳にはいけない。そちらには別口で王侯用の高級ワインと北の島国……アヴァロニアから輸入されたウィスキーを準備している。
「お土産? 王都の酒をですか。……もしかして、最近妙に顔を出さなくなったのは」
「ああ、引っ越したんだ。南の……リースベンってところ」
「……聞いたこともない土地ですね。そりゃ、大変だ」
同情顔の店主に、僕は思わず苦笑する。まあ、そりゃ王都民からすればリースベンなんて場所は知らないだろうな。なにしろ開拓がはじまったばかりのド辺境だ。
「ご苦労なことですなあ。ああ、でも、引っ越しということは……もしかしておめでたい話ですかね」
店主の勘違いに、僕は表情が引きつりそうになった。確かに、この世界では男が遠くへ引っ越すといえば結婚が理由である場合が多い。転勤が発生するような仕事をしている男など、ほとんどいない訳だからな。
「残念ながら、独り身なのは相変わらずだよ」
僕はワインをジョッキの半分ほどまで飲み干してから、そう答えた。いい加減結婚したいという気はある。しかし、相手がいないことにはどうしようもない。求婚じみた真似はされたが、その相手は神聖帝国の元皇帝だの自国の王太子だの、現実味のない連中ばかりだ。
僕の自意識が過剰なのでなければ、アデライド宰相からも憎からず思われている……ような気もする。しかし、こっちもかなりのお偉いさんだ。木っ端貴族の僕では釣り合わない。貴族の結婚ってやつは、釣り合いを取るのが何より大事だからな。結局、彼女と結婚するのも現実的ではない。
普通の貴族令息なら、こういう場合社交パーティーにでも出て相手を探す者ものなんだけどな。僕の場合、そうはいかない。なにしろ僕は詩作だのダンスだのといった、一般的な貴族令息が当然のように履修しているスキルを習得していない。パーティーなんかに出たって恥を晒すだけだ。
なんというか、八方ふさがりなんだよな。いっそ、アデライド宰相の愛人に収まるのが現実的かもしれない。でも、僕はそれなりに独占欲があるほうだからな。別に本命の夫がいる上々で二号三号に甘んじるのは、ちょっと無理かもしれない。それならまだ一生独身を通した方がマシだ。
「……そりゃ、すいませんね」
「いや……」
何とも言えない表情の店主に、僕はため息を吐いた。ツマミの炒ったエンドウ豆を口に運び、ワインで流し込む。人生、ままならないものだ。
「母さん、悪いけど厨房の方手伝ってよ。手が足りなくてさ」
そこへ、疲れ顔の少女がやってきてそんなことを言った。店主は「はいはい」と苦笑して、こちらに一礼する。
「すいません、行ってきますわ」
「あいあい、どーぞどーぞ」
仕事の邪魔をするのも申し訳ない。僕は手をひらひらと振って彼女を見送った。ワイワイ騒ぎながら飲むのも悪くはないが、一人で黙々と飲む酒もそれはそれで趣がある。僕はどちらも嫌いではない。
舐めるようにワインを味わいながら、周囲を観察する。まだ本格的な酒盛りには早い時間帯だが、客の数は多い。みな、ガヤガヤと上機嫌な様子で酒を酌み交わしている。
僕はほっと小さく息を吐いた。内戦が長引いていれば、こんな景色も見ることはできなかっただろう。これは、僕たちが守った平和だ。そう思うと、少しだけ心が軽くなった。
「……」
自然と耳に入ってくる酔客たちの会話の内容は、やはり先の内戦についてのものが多い。国内屈指の大貴族の次期当主が王家に公然と反旗を翻したわけだから、そりゃあ一般市民たちからすればさぞ心配だったことだろう。
しかし、結果的に内乱は僅か二日で鎮圧された。酔客たちは、口々に王家やフランセット殿下を賛辞している。いい傾向だ。反乱などが起こった割りに、人心は乱れていないように思える。
「……おっと」
益体のない事を考えていると、いつの間にかジョッキが空になっていた。ぼんやり飲んでいると、どうしてもペースが早くなっちゃうな。
ワインの度数を考えると。こんなビールみたいなスピードで飲み干すのはちょっとよろしくないんだが……まあいいや。今日は徹底的にダメになりたい気分だし。さっさと二杯目に行ってしまおう。僕はちょうど近くを通りかかったウェイターに、ジョッキを掲げて見せる。
「赤、おかわりで」
「はーい、少々お待ちを」
ウェイターはジョッキを受け取り、急ぎ足で去っていった。酒がなくなって手持無沙汰になった僕は、素焼きの皿に乗ったエンドウ豆をポリポリとかじる。
すきっ腹にワインを流し込んだせいで、すでにほろ酔いといっていいくらいにはアルコールが回っていた。しかし、まだ時刻は夕方だ。夜中まで飲み続けたければ、そろそろ何か料理を頼んだ方が良かろう。
「おい兄ちゃん」
そんなことを考えてると、突然声を掛けられた。振り向くと、そこに居たのはワイルド系のお姉さんだ。服装は普通の平民福田が、腰には簡素なこん棒を差している。種族は
「一人かい? だったら、こっちへ来てお酌をしてくれないか」
ワイルド系お姉さんが指さした先には、これまたならず者然としたお姉さま方の集団が居た。
「男の一人呑みは危険だぜ? 悪い酔っ払いに絡まれるかもしれないからよ。その点、あたしらと一緒なら安心だ」
僕の肩に馴れ馴れしく手を回しながら、お姉さんはワルい笑みを浮かべた……。
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