第139話 くっころ男騎士とお腐れ司教様

「ひどい目にあいました」


 憮然とした表情で、フィオレンツァ司教は言った。彼女は全身生ごみまみれのひどい有様だ。青白の司教服はもはや洗濯しても無意味なのではないかというほど汚れ、美しかった純白の羽にはクズ野菜の切れ端だのトリの骨だのがこびりついている。


「な、なにがあったんです、フィオレンツァ様!」


 いったい何がどうなったらこんなことになるのだろうか。僕は慌てて司教の元に駆け寄った。ツンとした腐敗臭が目鼻を突き、涙が出そうになる。こりゃ尋常じゃないな。


「刺客に襲われました。おそらく、グーディメル侯爵の手の者でしょう」


  ため息交じりに、フィオレンツァ司教はそう答える。僕は彼女の背中側に回り、失礼と断ってから羽や髪に付着した生ゴミ類を取り始めた。こんな状態では、風呂にも入れない。


「アルベールさん! 結構ですよ、自分でやりますから……」


「髪はともかく羽は自分じゃ何ともならないでしょ!」


 逃げようとする司教を、僕が推しとどめる。従士が駆け寄ってきて「私にお任せを」と言ってきたが、止める。幼馴染であるフィオレンツァ司教がこんなことになっているのだから、僕も平静ではいられない。彼女の身づくろいを手伝うことで、自分を落ち着かせる効果もあった。


「すみません……はあ……」


 謝りつつも、フィオレンツァ司教は安心したように肩から力を抜いた。若干、表情も柔らかくなったように見える。


「その、司教様? 襲撃を受けたのは分かりましたが……だからといってなぜそんなことに?」


 司教の放つ悪臭が我慢ならないのだろう、席から立ち上がったフランセット殿下は一歩どころか十歩ほど後ずさりしつつそう聞いた。その表情はひどく引きつっている。


「……剣や槍で武装した集団に追い回されまして」


「はあ」


「慌てて飛んで逃げたのですが」


 言いづらそうな様子で、司教は羽を軽く動かした。翼人族の羽は飾りではない。一応、空を飛ぶことは可能だ。もっとも、腕などというデッドウェイトを抱えているせいか、鳥人ハーピィたちのように自在に空を飛び回るのは難しいらしいが……。


「その……日ごろの運動不足が祟ったのか、すぐにバテて墜落してしまい……」


 ああ……司教、普段から移動には馬車使ってるしなあ……運動する機会とかないよなあ……。


「逃げ切れた自信がなかったので、ちょうど炉端に止まっていた生ゴミ運搬用馬車の荷台にしばらく隠れる羽目に……」


「……なるほど」


 肥料の原料として生ごみを集めている業者だな。……つまり、荷台に積まれた生ゴミの山の中に隠れてたわけか。夏場だからなあ、完全に腐ってただろうな……。いくらなんでも可哀想だろ……。


「しかし、なぜ司教殿は襲われたのだろうか?」


 スオラハティ辺境伯が小首をかしげた。たしかに司教はこちらの陣営で動いてくれているが、情報収集を中心に立ち回ってくれているハズだ。聖職者を襲撃したとなると、外聞もよろしくない。独自戦力を持たず、大義名分がなくては動けないグーディメル侯爵が司教を害そうとするのは、確かにちょっと不自然な気がするな。


「情報収集などと誤魔化しておりましたが……実はわたくし、別なこともしておりまして。それが許しがたかったのでしょう、グーディメル侯爵は」


「別なこと……? いったい、どのような」


 フランセット殿下が渋い表情で聞いた。余計なことをしてたんじゃないか、とでも言わんばかりの表情だ。


「敵陣営の切り崩しです。具体的に言えば……王都防衛隊の各連隊長に、侯爵には協力しないよう直接要請しに行きました」


「おお!」


 思わず声が出た。どうやら、フィオレンツァ司教は僕と同じ結論を出していたらしいな。グーディメル侯爵は、王軍の協力がなければ戦うことはできない。だからこそ、この両者を分断してやれば余計な被害を出さずに事態を収拾できるという寸法だ。


「して、成果は?」


「パレア第一連隊はこちらについてくれることになりました。もうしばらくしたら、伝令を送ってくるはずです」


 それまでの憔悴した表情から一転、見ているこっちまで愉快な気分になってきそうな渾身のドヤ顔とともに司教はそう言い切った。……なんだか懐かしい気分になって来たな。今でこそ落ち着いたけど、子供のころの彼女は結構ヤンチャな感じだったんだよ。


「第四連隊も、好意的中立を表明してくれました。正式な勅命に正面から反抗するのは難しいが、あれこれ理由を付けて時間を稼ぐのでその間にカタをつけて欲しい、とのことです」


「最高!」


 僕は思わず司教に抱き着いた。王都防衛隊には五つの連隊がある。そのうち、第五連隊はこちらの指揮下にあり、第三連隊はすでに降伏済みだ。そこからさらに二個連隊が脱落すれば、残るは第二連隊のみ。残存した第三連隊は、無罪放免を条件にこちらに付くよう説得しているから……戦力差は三倍以上になる。

 リースベン戦争からこっち、ずっと不利な戦力差での戦いを強いられてたからな。なんだか感慨深い。第二連隊がまるまる敵についたとしても、これだけ兵力に差があるなら降伏してくれる可能性が高いのではないだろうか? 手早く、そして彼我共に無傷で矛を収めることができる。指揮官として、こんなに嬉しい事は無い。


「ふひゃあ! い、いけませんよアルベールさん、ふへへ……イテテ、あっ、割と真面目に痛い!」


「アッ! 申し訳ない!」


 よく考えれば、僕は全身甲冑姿だ。それに抱き着かれたりしたら、痛いに決まっている。そもそも、司教は右手を骨折してるんだ。甲冑がなくとも、抱き着くのはマズイ。


「い、いえいえ、お気になさらず……」


「アル、君まで生ゴミまみれになってしまっているじゃないか……」


 いつの間にか隣に来ていたスオラハティ辺境伯が、慌てた様子で僕と司教を引き離した。……言われてみれば、無遠慮に司教にくっついてしまったせいで僕の甲冑にもだいぶ汚れが付着していた。


「いや、まあ、さっきまで血塗れだったわけですから……ちょっとくらい汚れても別に……」


 とはいえ、実戦に出れば多少の不衛生さには目をつぶる必要があるからな。実際、今日はすでに一度全身返り血まみれになってた訳だし。流石にそのままにしておくと不潔だし甲冑も錆びてしまうから、本営に帰ってきた際に最低限の着替えと手入れはしているけどね。


「しかしだね……はあ、まったく……」


「いや、素晴らしい成果だ! 流石はフィオレンツァ司教様だ。やはり、只者ではないな」


 辺境伯の言葉を遮るように、フランセット殿下がパチンと手を叩いて破顔した。そのままズンズンと司教に歩み寄り、その手を握ってブンブンと握手する。……なんだか、ちょっとわざとらしい喜び方だな。さっきまで、はっきりドン引きしてたからなあ……それを誤魔化したいんだろう。しかし、その首筋にはハッキリと鳥肌が立っていた。汚いのが苦手なのかね?


「え、ええ……ありがとうございます。ところで、殿下。身づくろいをしたいのですが、お風呂を用意していただいてもよろしいでしょうか?」


「もちろんだ! 今すぐ用意させるから、可及的速やかに体を洗ってきてほしい」


 引きつった笑みを浮かべながら、フランセット殿下は頷いた。



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