第90話 くっころ男騎士と重鎮辺境伯

 予想通り、馬の主はアデライド宰相からの使者だった。彼女が言うには、スムーズに王都に入ることができるよう準備をしてあるらしい。僕たちは翼竜ワイバーン騎兵隊と別れ、使者殿の案内を受けてその場を後にした。

 最悪の場合、この使者殿がオレアン公からの刺客ということも考えられる。突然襲い掛かられたり、あるいは伏兵の潜んだ場所に誘い込まれる可能性を警戒していたが……幸い、それは杞憂だった。彼女に案内された先にいたのは、馬に跨った騎士の一団に護衛された立派な馬車だ。


「ああ、なるほど」


 騎士隊の掲げた旗には、剣と盾の紋章が描かれている。見覚えのある家紋だ。スオラハティ辺境伯家……すなわち、ソニアの実家だ。

 一団からやや離れた場所で待たされていた僕たちだったが、すぐに馬車の中から一人の女性が降りてきて、こちらに向かってくる。後ろには数名の護衛らしき騎士が続いていた。


「久しいな、アル! 一年ぶりか」


 そういって女性は、親しげに僕の肩を叩いた。ソニアと同じ蒼い髪を長く伸ばし、シックだが高級そうな狩猟服を纏った彼女こそ、ガレア王国の四大貴族に数えられる重鎮中の重鎮……ノール辺境伯カステヘルミ・スオラハティその人である。

 ソニアの実の母親でもある彼女の年齢は三十代の中頃ほどらしいが、ソニアの姉妹を名乗っても違和感なく納得できる容姿だった。竜人ドラゴニュート只人ヒュームよりも加齢の遅い種族だが、辺境伯はその中でも特別若々しい。


「去年の夏に会って以来ですね。ご壮健そうで何よりです」


「まあ、身体には気を付けているからな。……しかし、一年か。君は歳を重ねるごとに魅力的になっていくな。おいて行かれそうで怖いよ」


「ご冗談を。僕が子供のころから、辺境伯殿は変わらずお美しいですよ」


 僕よりやや高い位置にある彼女の顔を見上げながら、僕はそう言い返す。お世辞ではない。前世の記憶を持ち、それなりの分別のあるガキだった僕ですら危うく恋に落ちそうになってしまったことを良く覚えている。流石に相手の立場が立場なんで自重したけどな。


「まったく口が上手い」


 満面の笑顔を浮かべたスオラハティ辺境伯はもう一度僕の肩を叩いた。そして視線を僕の後ろに移す。


「そちらの牛獣人の子が、報告書にあったカリーナちゃんかな?」


「はい、そうです」


「えっ、ええと! 初めまして、カリーナ・フォン……いや違う。カリーナ・ブロンダンです」


 辺境伯はまだ名乗っていないが、彼女の家紋は神聖帝国でも有名だ。気持ちの準備ができていなかったところに突然とんでもない大貴族と遭遇したものだから、カリーナはカチカチに緊張していた。

 ちなみに、その相方であるロッテのほうはジョゼットの後ろに隠れて微動だにもしていない。下手なことをして打ち首にでもされたらたまらないと思っているのだろう。彼女のような平民からすれば、大貴族なんて存在は理不尽の権化のように思えても仕方がない。ジョゼットはジョゼットで、何とも言えない曖昧な笑顔を浮かべながらロッテの頭を撫でている。


「ノール辺境伯、カステヘルミ・スオラハティだ。そう緊張する必要はないぞ、君が騎士としての本分を守る限り、私は君を自分の身内として扱おう。なにしろアルの妹になるんだからな」


「はい、アリガトウゴザイマス」


 出来の悪いロボットのような動きで、カリーナはカクカク頷いた。そしてスススと僕に寄ってくると、耳打ちする。


「と、とんでもない大物が出てきたんだけど、いったいどうして!?」


「えーと、なんというか……スオラハティ辺境伯は、僕の二人目の母親みたいなもんで……昔からいろいろお世話になってるんだ、剣術や兵法を教えてくれたりね」


「どちらも教える必要がなかったじゃないか。剣も盤上演習も、アルが十三になる頃には私より強くなっていた」


「えーと、ハハハ……」


 なにしろどっちも前世からやってたからな。でっかい下駄を履いてるわけだからそうそう遅れは取らない。とはいえ、前世式の剣術や戦術をこの世界に合わせてアレンジすることが出来たのは、辺境伯が我慢強く僕の鍛錬や勉強に付き合ってくれたからだ。


「……そういや、スオラハティって……もしかして、ソニアも?」


「ああ、ソニアは私の娘だ」


「ええ……単なる同姓か、せいぜい遠縁だと思ってました……」


 スオラハティ辺境伯は少し困ったような表情で周囲を見回し、聞く。


「そういえば、ソニアの姿が見えないが?」


「申し訳ありませんが、リースベン領を任せてきました。小さな街とはいえ、他に代官名代が出来そうな人間がいなかったもので……」


「ああ……なるほど。それはよろしくないな……」


 ため息をついて、スオラハティ辺境伯は考え込む。ソニアは母親のことを蛇蝎のように嫌っているが、辺境伯からすれば可愛い娘のままなのだろう。仲直りをしようと話しかけては強く拒否されている。僕からすれば、スオラハティ辺境伯は立派に親としての責任を果たしているように見えるのだが……彼女らの間にある溝は、いったい何が原因なのだろうか?


「気の利いた代官経験者を見繕ってきて、そちらに送ろう」


「助かります」


「大したことではない、気にするな。その代わり……」


「ええ、もちろん。次は必ずソニアも連れてきます」


「ああ、頼む」


 そこまで言ってから、スオラハティ辺境伯は明るい笑顔を浮かべた。


「ああ、すまない。私事で時間を取らせてしまった。王都へ入りたいんだろう? 私と一緒に居れば、さしものオレアン公も露骨な嫌がらせはできないよ。安心しなさい」


 スオラハティ辺境伯軍は、単純な兵数だけでも王軍に次ぐ国内第二の規模を誇る。強大な政治力を誇るオレアン公も、下手に手出しをすればただでは済まないからな。寄らば大樹の陰、というわけだ。


「このために、わざわざタイミングを合わせて狩猟に?」


 服装から見て、辺境伯は狩猟の帰りだろう。僕の記憶が確かなら、彼女は狩りがそれほど好きではなかったハズ。僕たちのために、わざわざ狩猟を名目にして王都から出てきたのだろう。


「ああ、アデライドに頼まれてな。……アルが恩を感じる必要はないよ? 私もはやく君の顔が見たくてね、先走ってしまった」


「やめてくださいよ、照れてしまいます」


「ははは……」


 少しだけ寂しそうな笑顔を浮かべてから、辺境伯は路肩に停めてある立派な馬車を指さした。


「では、行こうか。アルにはいろいろ聞きたいことがあるから、私と同じ馬車に乗ってほしい。君たちは悪いが、後ろの車両で頼む」


 おっと、味方と分断されるわけか。ふとソニアの言葉が脳裏によぎる。辺境伯に気を許すべきではないというアレだ。……とはいえ、今のスオラハティ辺境伯に、僕を害する理由があるとは思えない。彼女が僕を疎んでいるなら、合法的にいつでも僕を斬れる立場にあるわけだからな。それをしないということは、僕はまだ彼女にとって利用価値がある人間ということだ。

 それに、なんだかんだ幼いころから世話になってる人だからな。ソニアと同等の信頼を僕は彼女に置いていた。それに裏切られるようなら、僕の目がどうしようもなく曇っていたということだ。


「承知しました」

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