第51話 猛牛伯爵とアリ地獄

「ヌゥ……」


 あたし、ロスヴィータ・フォン・ディーゼルは迷っていた。撤退したリースベン軍に、どう対処するのが正解なのかがわからない。姪のミヒャエラを一騎討ちで倒したリースベン軍は、勢いに乗っていたはずだ。このタイミングで撤退するのは不自然が過ぎる。


「報告。前衛部隊は敵軍の猛烈な射撃を浴び、台地への侵入に失敗したそうです」


「やはりそうなるか」


 事前偵察で確認済みだが、この街道の先には広い台地がある。大軍であるこちらに有利な地形だ。台地内に突入さえできれば、少々の武器の差なら問題なく覆すことが出来る。

 しかしそれは、むこうも理解しているだろう。リースベン軍は台地の入り口付近に再布陣し、こちらの侵入を防ぐ構えを見せていた。

 訳の分からない煙に巻かれ、敵の殿しんがり部隊と一緒に台地内へなだれ込むことが出来なかったのが悔やまれる。敵の背中を盾にすれば、銃兵の攻撃は避けられたのに……。


「……」


 口には出さないが、非常に困った。こちらの士気はもうひどい有様になっている。異様な被害を被っているということもあるし、ディーゼル家の若衆の中では屈指の騎士として知られるミヒャエラが討ち取られてしまったことも大きい。おまけに、当主あたしの実の娘であるカリーナが敵前逃亡したとあっては、もうどうしようもない。


「しかし、ミヒャエラがやられたか」


 素行は良くなかったが、騎士としての腕は折り紙付きの女だった。まだ、あたしはその死を受け入れられない。男にやられるような女ではなかったはずだ。

 聞いたところによると、ミヒャエラは鎧の上から一刀両断されてしまったらしい。力自慢の獣人が常識外れの巨大戦斧を全力で振り下ろしたところで、両断まで行くのはムリだ。それほどまでに魔装甲冑エンチャントアーマーの防御力は高い。

 そんな化け物じみた相手と愛娘であるカリーナが戦わずに済んだのは、不幸中の幸いだった。ミヒャエラには悪いが、あたしは内心そう思っていた。


「……」


 カリーナ。そう、カリーナだ。本当にどうしよう。まさか、こんなことになるとは思わなかった。当主の娘とはいえ……いや、当主の娘だからこそ、敵前逃亡なんて真似をすれば甘い処分は出せない。まだ見習い騎士なのだから、死罪は避けられるだろうが……。

 結局今すぐ判断を下すことはできず、とりあえずカリーナにはあたしの傍仕えを命じていた。事実上の謹慎のようなものだ。馬に乗ってあたしの横で立ち尽くす彼女は、ひどく憔悴した様子でうなだれていた。慰めの言葉をかけてやりたいが、やったことがやったことなので厳しい態度を取らざるを得ない。


「ロスヴィータ様、騎兵を使いましょう」


 配下の騎士の言葉に、あたしは小さく唸った。今は娘のことを考えている暇はない。はやくリースベン軍を撃破しないと、ガレア王国の救援部隊が到着してしまう。その前にリースベン領を制圧し、ガレア王国側の山道で敵増援を迎撃するというのが当初の作戦だった。

 時間は敵だ。持久戦はできない。被害を覚悟で強引に責めたのは、そういう理由だ。もはやリースベンなど諦めた方がマシだというのは理解しているが、ここで退いてしまえばわが軍の将兵の死が無駄になってしまう。それに、メンツの面でも不味い。戦いを継続する以外の選択肢は無いわけだ。


「歩兵での突破は難しいか」


「はい。こちらは狭い街道に押し込められ、前進と後退以外の動きはできません。一方、敵軍は台地側にいるため自由な布陣ができます。この不利は覆しがたいでしょう」


 街道内の戦闘では、わが軍はもちろん寡兵である敵軍ですら全戦力を前線に集中することができなかった。戦場が狭すぎるからな。台地の入り口を封鎖されると、今度はリースベン軍のみがその制限から解放されることになる。


「対騎兵構築物を回避できない街道内ならともかく、台地であれば騎馬突撃も可能でしょう。ここは騎士たちに頑張ってもらうのが一番かと」


「ふむ……」


 配下の騎士たちは、昨日今日とずいぶんと消耗している。なにしろ、重装歩兵の半数は下馬騎士だからな。地中爆弾だの妙な銃だので尋常ならざる被害を受けた彼女らに、これ以上の負担を強いるのは心苦しい。


「騎兵の機動力であれば、射撃を受ける時間も短くなります。銃は装填に時間がかかりますからね、これまでの戦いよりも被害は少なくなるのではないかと」


「確かにな」


 まあ、これまでの戦いで異様な被害を被ったのは、歩兵の進軍速度が遅かったからというのは事実だ。こちらの武器が届く距離まで接近するのに時間がかかると、それだけ敵軍の射撃機会も増えるからな。

 その点、騎兵の突撃であれば一射目か二射目あたりで槍の届く距離までたどり着けるだろう。それに、銃弾は鎧で防ぐこともできる。やはり、現状では騎馬突撃が最良の選択か。


「よし、軍馬の準備しろ」


 そう命令しつつも、あたしの気持ちは晴れなかった。奇抜な武器や戦法を抜きしても、敵将は尋常な指揮官ではない。あたしがここで騎兵隊を持ち出すことなど、とっくに予想済みだろう。このタイミングで一度撤退したことから考えても、何かしらの罠が待ち受けているのは確実だ。

 それでも他にいいアイデアがない以上、部下を信じて命令を出すほかない。あたしは心の中で、これ以上酷いことが起きませんようにと極星に祈った。

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