第10話 気付いた事と知った事
ひと段落ついた頃、イーライ神官にお礼と報告を兼ねて神殿を尋ねた。
「私はこちらで待機します」
いつものように遠慮するマリーを控え室に残し、礼拝堂へと向かう。
ふふっと笑い声を溢すマリーに、レキシーはもうっと頬を膨らませた。
フェンリー様の婚約者について、フォー子爵家との話が一通り纏まった。そうしてイーライ神官にお礼と報告をしなければと口にしただけで顔が熱を持ってしまったのだ。
男爵家の玄関先で感じたイーライ神官の吐息から始まり、完璧なエスコートに指先に落とされた口付けの柔らかさ。優しく細められた眼差し。
久しぶりに会うと決めただけで頭に浮かぶ記憶がこれとは。煩悩を振り払おうとぶんぶん首を振っていると、見透かしたらしいマリーに呆れられた。
「……レキシー様は、イーライ神官様がお好きなんですね」
「は、は、はいいいい???」
頓狂な声を吐いた口を急いで塞ぐも、じわりと染みる好きという言葉に身体全体が熱くなる。
好き……
胸にすとんと落ちる。
「そうだったんだ……」
いつからだろう。
いつの間にか……
もしかしたらドリートの領にいた頃からかもしれない。そう考えれば自分の不実さに胸が痛むけれど……
「レキシー様」
いつものように優しく背中を摩るマリーに、はっと顔を上げる。
「いいのですよ、誰を想っても。レキシー様はもう誰に縛られる事も無い。全てのしがらみから解放されたでしょう? もう自由なんです。いい加減自分の気持ちを最優先にして下さい」
「マリー」
それは何て優しい言葉なんだろう。
でも、
「嬉しいけれど、それは駄目だわ。きっとイーライ神官様には、ご迷惑を掛けるもの」
自分を振り返れば分かる事だ。
妙に首を突っ込みたがる性格も、ぱっとしない容姿も、加えてバツイチで子を成せないこんな身で……
「……こんな気持ちを教えてくれて、イーライ神官には感謝しかないわ。けれど、あの人には私の思いなんて重荷でしかないでしょう。こんなもの、口にするのも憚れるものだもの……」
そういうとマリーは残念そうに眉を下げたけれど。
「レキシー様は素晴らしいお方です。むしろ貴方がイーライ神官を嫌いだというなら私はいくらでも……」
マリーの声は段々と小さくなってしまい、全部は聞けなかったけれど。
「ありがとう、マリー」
私を慰める優しい言葉を胸に留め、私はほっと笑顔を作った。
マリーとのそんなやりとりを思い出し、熱を持ちそうな頬を扇いで覚ます。
イーライ神官に会えると、そんな理由があるだけで浮かれてしまうのだから、自覚というのは極端だ。
歩きながらそわそわと髪を整えて服装を見直す。
すると回廊に囲まれた中庭から話し声が聞こえて来た。
ドリート家の領地とは違い、王都にある神殿のその規模はずっと大きい。当然大きな敷地には多くの人が行き交うし、静粛の決まりがある礼拝堂以外は自然と会話も生まれるだろう。
何気なく視線を向ければ人に囲まれたイーライ神官が目についた。
そうして彼を囲む殆どが女性である事に驚いて、目が覚めたように瞬きを繰り返す。
……当然だわ。
イーライ神官はとても素敵な人なのだから。今までだってこんな光景、見かけた事があった筈なのに。
穏やかなイーライ神官の面差しが胸を軋ませる。
彼は神職なのだ。
誰にでも親切で、公平に、慈悲を与える存在……
ぎゅっと手を握り柱の影に身を潜める。
どくどくと耳の奥から響く音に耳を澄ませ、先程の浮かれた気持ちと対照的な、強張る心を鎮めるべく胸元を握りしめた。
そんな葛藤の中でふと、輪の中の一人の声を拾ってしまう。
「では、イーライ神官様はもうじきご結婚なさるのですか?」
それに合わせて残念がる女性たちの声が場に響いた。
私は、はっと息を飲んだ。
「ええ、家族への紹介も済みましたし、近いうちに周知できると思います」
優しい笑みを浮かべるイーライ神官の横顔に、頭でぱきりと、何かがひび割れたような音を立てた。
──そうだ、そう言っていたじゃないか。
結婚を、考えている人がいる……と。
(お礼なんているかしら……)
ただの親切心にそんなもの、困らせるだけかもしれない。
好きでいるだけならいいと思っていた。
けれど、決まった相手がいるのに、そんな人がいると聞かされているのに、自分の都合で近付いて。厚意を勘違いして困らせてしまうなんて……
そもそも私が渡せるものなんて、お布施と謝意だけなのだ。わざわざ会う必要なんて無いじゃないか。
「ご迷惑だわ……」
そんな言葉に頷いて、私は勝手に傷ついた心を誤魔化すように、急いでその場を立ち去った。
「レキシー様?」
急いで馬車に飛び込んだ私に、最初マリーは苦笑を漏らしていたが、強張る表情に眉を顰めた。
「……まさかイーライ神官に何かされましたか?」
「いいえまさか、違うわ」
首を横に振ってにっこりと笑ってみせる。
「お忙しそうだったから……他の神職の方にお願いしてきたの。思えばイーライ神官様はもう神官職ですものね、簡単にお声を掛けられる相手では無いというのに、私ったら。次来る時にお布施を用意して、きちんと謝意を示しておかないといけないわ」
「……レキシー様?」
訝しげな口調のマリーを振り返る事も出来ず、私は口元に笑みを浮かべたまま、窓の外を眺めるふりをする。
「マリー、私ね、浮かれていたわ。自分を良く見もしないで……」
窓に映る自分が自嘲気味な笑みを浮かべ見つめ返している。マリーの顔が困惑を表しているのも見える。
「淑女たるもの節度を忘れてはいけなかったわ。でも私の気持ちを後押ししてくれてありがとう、マリー。けどあなたもどうか、私の気持ちは忘れてしまってね。年甲斐もなくて恥ずかしいから……」
「そんな事は……っ!」
続くマリーの台詞は視線で押し留め、私は必死に外の景色に集中した。
そこに映る自分がどんな顔をしているかなんて、絶対に見たくなかった。
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