第十四話 不可視の声

 柵を越えて出た場所は岩の窪地のようになっていて周囲の状況が分からない。だがさっきまで見ていた内部の位置関係からすれば、左にまっすぐ行けば集落の入り口に出るはずだ。

 そう思ったが……かなり傾斜のきつい、崖と言っていいような岩が通り道をふさいでいた。どこかから回って行くしかないようだ。

 俺はいったん右の方へ進む。登山道も多少は起伏があったし岩がせり出しているところもあったが、この辺は段違いだ。そこら中が岩のこぶだらけで、しかも所々ガラスのようにとがった黒い石が刃のように飛び出している。まるで全く違う山に入ったかのようだった。

 柵沿いに歩けばすぐ辿り着く……その目論見は外れ、俺はどうも無駄に曲がりながら進んでいるようだった。

「ザルカンは……いるのか? こんな所に」

 俺を脱走させたあの男は、ザルカンが俺を待っていると言っていた。てっきりすぐ近くにいるものと思っていたが……全く姿が見えない。背丈を超す岩のこぶが乱立し、せいぜい十ターフ十八メートルしか見通しがない。道も分かりにくい……下手すると最初の窪みの場所にさえ戻れないかもしれない。まるで岩の樹海だった。

 ザルカンを……呼ぶか。大声で? ふと思ったが、馬鹿な。仮にも脱走した身だ。アトゥマイの連中に見つかるような事はできない。それに、最悪の場合はこっちにまで機械虫がやってくるかもしれない。戦場からはかなり離れていて心配はなさそうだが、無駄に危険を冒す必要はない。

「アクィラ……どこにいる?」

 手近な岩のこぶを、飛び出した鋭い突起に気を付けながら上ると遠くの様子が見えた。概ね十一時方向に集落の入り口がある。五十ターフ九十メートル程だろう。このまま岩のこぶの上を飛んでいければ早いが、股が裂けたってそんな器用なことはできそうにない。俺は大人しく下に降りるが、すると途端に進むべき方向が分からなくなる。なんとも奇妙な地形だった。

 ザルカンを探した方がいいのか? それとも無視して、アクィラがいる可能性の高い戦場の方向へと進むべきか。俺は岩の間で立ちすくみ考える。遠くから干戈の音と聞き慣れない爆発音が低く聞こえてくる。事態はこうしている間にも刻一刻と変わっていることだろう。

 最悪の事態を考えるならば、それは……アクィラが今この場所でアトゥマイの戦士に殺されることだろう。

 まさか最前線にアクィラがいるわけではないだろうが、デスモーグ族が目的の為なら同族さえ捨て駒のように使う事は分かっている。そんな奴らに利用されているアクィラが、いい待遇を受けているとは思えない。それにジョンは……正気かどうか疑わしい。いや、デスモーグ族全体がそうなのかもしれない。そう考えるなら、アクィラが前線にいることもあり得ないことではない。

 ザルカンと合流して何かが変わるか? この入り組んだ岩の樹海を抜ける助けにはなるかもしれない。だがそれだけだ。周辺を見ても見つからないのだから、ザルカンはこの周囲にはいないのだろう。あの巨躯、赤い髪、巨大な剣を見落とすはずはない。あいつはこの周囲にはいないのだ。

 そんなザルカンを探す時間で、アクィラを探すべきだ。ザルカンには義理を欠くかもしれないが、悪いが知ったことではない。俺はアクィラを助けるためにここに来たんだ。それ以外の事は全て二の次だ。

「悪いなザルカン。俺は行くぜ……」

 誰に言うともなくつぶやき、俺は覚悟を決めて走り出す。

「止まれ」

 踏み出した一歩でたたらを踏み、俺は動きを止める。アトゥマイの連中か? もう見つかったのか?

 声は前方からだった。しかし誰の姿もない。俺は改めて周囲を確認するが、前方はもちろん、横にも後ろにも人の姿はなかった。それに異様な声だった。低くくぐもった声。毛布の内側から喋っているような声だった。男とも女ともつかない。

「お前の目には見えないが、我々はここにいる。お前をいつでも殺せるように狙っているから、妙な真似はしないことだな、ウルクス」

 奇妙な声は少し上の方から聞こえる。目線より上だ。恐らく岩のこぶの上に立っているのだ。しかしどこにも姿はない。だが、我々はここにいると言っている。実際いるのだろう。その事に、一つ思い当たることがあった。

「……迷彩布、だったか。それで隠れているのか……?」

 包んだものを周辺の風景に紛れさせる布……アレックスが地雷を隠すのに使っていたものだ。あれのでかい奴があれば、人間の姿でも隠すことが出来るだろう。

 嫌な気配に包まれている。確かに、何かが俺を狙っているらしい。空気の中に陽炎のような微かな揺らぎが見える。不自然な空気の流れ……そこに奴らがいるようだった。

 問題なのはそれが、モーグ族なのか、デスモーグ族なのかという事だ。いや、俺を狙っているという事は、こいつらはデスモーグ族という事か。何故すぐに殺さない。こいつらの狙いは何なんだ。

「……迷彩布をしっているのか……そうか、カドホックで使ったと記録にあったな。まったく、兄さんは……」

 少し気の抜けたような声でそう言った。

「兄さん?」

 誰の事だ。ジョンか? 奴の兄弟が仇でも討ちに来たのか。

「何でもない。お前には関係ない。しかし……まさかお前がここにいるとは思わなかった。大人しく虫狩りでいればいいものを……一体何をしに来たのだ」

「お前たちデスモーグ族に話すことはない」

「勘違いするな。我々はモーグ族だ」

「何?!」

 俺は驚いて膝をつきそうになった。モーグ族?! 何でお前らが俺に弓を引くんだよ! なんだか急に頭に来た。

「お前らがもたもたしてアクィラを放ったらかしにしているからだろうが! だから俺はあいつを探しにこんなくそ暑い辺鄙な岩山にまでやってきたんだよ! 大体どこにいるんだ?! 姿を見せろ、こそこそしやがって!」

 アトゥマイの追手の事も忘れ俺は声を張り上げる。岩の間に声が反響していた。

「……モーグ族が姿を見せることはない」

「嘘つけ! アレックスはどうなるんだよ! 最初っから姿を出していただろうが!」

「何だと……兄さんめ、チーフの自覚がまだ足りないようだな……」

「その兄さんってのも何なんだよ! お前はアレックスの弟か! 何なんださっきから!」

「うるさい。とにかくお前はここでじっとしていろ。部外者が関わると我々の任務に影響する。お前は事情を知る者だから、デスモーグ達も過敏に動きかねない。これ以上関わるのをやめろ」

 自称モーグ族はまだ姿を現さずに喋っている。しかし声の方向から何となく分かってきた。喋っている奴は俺の二時方向の岩のこぶの上に立っているようだった。俺はそっちの方を向いて文句を言う。

「うるせえ! アクィラはどうした! さっさと助けてやれよ!」

 返事はなかった。俺は何もない空中を睨むが、俺の怒りは伝わっているのだろうか。

「隊長、ここは一旦迷彩を解いては?」

 別の男の声が後方から聞こえた。振り返っても誰もいないが、そこにも誰かいるのだろう。囲まれていたわけだ。

「……ええい、くそ。総員降りろ。迷彩解除」

「了解」

「了解」

 二人分の返事が聞こえ、岩から飛び降りる音が重なる。現れたのは白い鎧、三人のモーグ族だった。俺を三角形に囲み、弩を抱えて立っていた。

「アレックス……じゃあないんだよな?」

「そうだ……アレックスではない」

 さっきまでの奇妙な声が喋っている途中で変わり、女の声になった。驚いたことにそいつは女の戦士のようだった。確かに鎧の体つきもどことなく女っぽい。

 まさか女まで戦場に駆り出されているとは。たまに女の虫狩りを見かけることもあるが、虫狩りの夫が死んだとか、出稼ぎで老人と子供ばかりの村で女が仕方なくやっているようなことが多い。モーグ族も人手不足ということか。

「俺に何の用だ? 関わるなだと? そんな指図を受ける筋合いはないぜ」

「お前の考えなど関係ない。ここカイディーニ山は我らの管轄。勝手を許すわけにはいかんという事だ」

 文句を言ってやろうと俺は口を開きかけ、固まった。恐ろしい姿を見たからだ。

 赤い炎と銀光が跳ねる。一匹の猛獣のように、荒ぶる機械虫のように、明確な殺意がモーグ族の背後から飛び掛かっていた。それはザルカンだった。途方もない殺気を放ち、まるで別の生き物のような眼光で、女のモーグ族に背後から斬りかかっているのだ。

「隊長!」

 別のモーグ族が言い、それで女のモーグ族は辛うじて反応した。振り向きながら弩を振り上げ剣を受ける。人間の力とは思えないほどの力と衝撃で二人はぶつかった。そしてザルカンは剣ごと弾かれるように跳び、空中で一回転して着地した。柄を両手で握り、剣を右に横倒しするように低く構えている。目がまともではなかった。ぞっとするような目だった。これがアトゥマイ随一の剣士の、本気の姿という事か。

「ザルカン! やめろ!」

 咄嗟に俺は言ったが、身を呈してまで止める度胸はなかった。今のザルカンなら、容赦なく俺ごと斬り捨てるだろう。

 ザルカンは言っていた。虫の鍋を冒したモーグ族を討たねばならないと。姿を見せないモーグ族を探すのには苦労していたようだが、今が千載一遇の好機という事だ。これを逃すはずはない。

 だが斬らせてはいけない。しかし……何と言えばいい? ザルカンを止めるだけの理由が俺には思いつかなかった。こいつの怒りを鎮める方法はあるのか?






※誤字等があればこちらにお願いします。

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