32.精霊術師、諭す
「レオン、どうしたの?」
「それが、エリス、遂にわかったんだ。無の下位精霊を召喚する方法が……」
「え、えぇっ? わたしが呼んでも無理だと思うのに……」
「まあ見てなって」
無の上位精霊であるエリスが呼びかけても出てこないのに、一体どうやって呼び出すというのか、普通なら途方に暮れるところだが、俺には秘策があった。
それは、無の精霊ほど有を求めているという理屈から生み出したものだ。
つまり、無の下位精霊が来ているであろうこの酒場で、なんらかの事件が起きるだけでいい。
でも、意図的だとダメだ。天真爛漫なエリスを見ていると錯覚しがちだが、精霊は人間より数百倍知能が高いため、不自然さを見抜かれてしまう。
ということで、俺たちは酒場内をウロウロしながら、何かが起こるそのときをじっと待った。
――やがて、異変の兆しがあった。
酒場の一角にて、集団で飲み合っているグループがいて、どうにもそいつらの雰囲気がおかしかったんだ。
しばらく観察してみると、どうやらそれは一人の感じの悪い客が原因みたいだった。
「ひっく……つーわけだ。お前のそのどうしようもない顔と性格じゃ、人生なんてどうやったって好転するわけないよ?」
酔っ払っている状態をいいことに暴言を連発しているやつがいて、そいつを中心にして気まずいムードが広がっていたんだ。胸糞悪いが次の発言を待つか……。
「――ぶっちゃけ、俺ならとっくに自害してるね。5年も一緒にやってきたパーティーから追い出されたお前みたいな惨めな立場だったら……ういー、ま、下より下がいるっていう安心感はあるし、そういう意味じゃ生きてる価値はあるんじゃね……?」
「…………」
まあおそらく普段から馴れ馴れしいやつなのはわかるが、それにしても言いたい放題だな……。俺も言われているほうと同じく追放された立場なだけにイライラしてくる。
人間っていうのは高等な生き物に見えるが、実際は少し知恵があって服を着ているだけの動物だ。自分が傷つくリスクが何もないと判断した相手には、どこまでも残酷になれるものなんだ。
周りも止めようという空気はあるものの、この男のオーラに押されているのか黙っていた。悪口を言われているやつの代わりに標的にされるのが怖いんだろう。あと、そういうのを止めた時点で憐憫さが助長され、言われているほうはさらに惨めになるので言い出し辛いという悪循環。
それでも、このまま底なし沼に嵌っていくよりはマシだし、誰かが止めないといけない。俺が止めようと思ったが、部外者が口を挟むのは不自然な展開になりそうなので、あくまでも自然に止めることができるような状態にしたかった。
そうだな……やつはこの追放された男に対してだけでなく、周りの女の子に対しても馴れ馴れしく絡んでいるのでエリスを利用する格好にしようか。
というわけで、俺たちは連中の近くの席に座ることに。もっと酔うことで泥酔状態に近づいてくれば、向こうから分別なくエリスにも絡んでくるはずだ。
「――ひっく、そこのおじょーちゃんっ……」
「ふぇっ?」
お、遂に魚が食いついてきた。やつが嫌らしい笑みを浮かべてエリスの肩を撫で回し始めたんだ。
「かわいーね。どこから来たん? 俺と飲もーぜっ」
「何をー?」
「うっぷ……そんなん、決まってんだろ? 美味しいジュースだよっ」
男の酒臭い台詞を皮切りに、下卑た笑い声が周囲から上がる。やめなよなんて声も一部から上がったが、本気で止める気があるのかと思うほどかなり弱いものだった。もう準備は整ったし、そろそろ始めるとしようか。
「残念だが、エリスはあんたみたいな酔っ払いとは飲めない」
「……へ? なんだよ、お前……あ、まさーか、彼氏さん? お怒りなのかもしれねえけどさあ、ちょっとくらい貸してくれたって罰は当たんねーだろうが……おえっぷ……」
「追放されたことをバカにするような、薄情なあんたに貸す義理はないんでね」
「は……? んじゃ、お前もあいつと同じように追放された立場ってか? はっはっは! おいおい、そりゃ惨めだなあ――」
「――惨めなのはあんたのほうだ」
「……アホか、俺のどこが惨めだよ、おい。自分の居場所から追い出されるような可哀想なやつより100倍幸せだぜ?」
やつは余裕っぽい笑みを返してきたが、その声には怒気の成分がたっぷり含まれているのがわかる。
それもあって、俺たちの周囲が不穏な空気に包まれるとともに、傍らにいるエリスの顔色が変わるのがわかった。おそらく、無の下位精霊の気配を感じたんだ。やはりここにいたのか。
ただ、この場面でどこにでもあるような普通の喧嘩をするようだと、興味をなくして引っ込んでしまうかもしれないし、ここから本当の意味での戦いが始まるといっても過言ではないだろう……。
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