第215話 居るか否か

「どうした?」


 フィルの声が聞こえた。しかし、ぼんやりとしていて確固たる形を帯びていない。それはいつものことだろうと、自分の中の誰かが言った。


「しっかりしろ」


 また、フィルの声が聞こえる。


 掌に土の感触がしたが、すでに温度が分からなくなりつつあった。ずっと同じ場所に触れ続けているからだ。そうして身体を支え、立ち上がろうとするが、今ひとつ力が入らなかった。どうしてしまったのかと自分の身体に問い質すが、何も返答はない。そういうことは珍しくはなかったが、かといって頻繁に起こるようなことでもなかった。


 小さくても、異常は異常だ。何らかの対処が施されるべきだろう。


 どうするのが正解だろうか?


 動かそうとするから、動かないことに不満を抱く。


 それでは、動かそうとしなければ良いのか?


 フィルの身体に触れる腕から力を抜き、月夜は両手を地面に触れさせた。立ち上がろうと脚に込めていた力を離散させ、頭を物干し竿にもたれかからせる。


 少しだけ、気分が軽くなったような気がした。


 朧気に頭を上へと向けると、澄み切った青空が見える。油絵の具で描いたような濃度の高い色ではなかった。そのまま、見ているだけで宇宙へと飛び立っていけるような色をしている。大気中に含まれる水分の量は、冬に比べると多いはずだから、想定される事柄と事実の間にギャップがあるが。


「月夜」


 眼下からフィルの声。


 月夜は首の関節を動かして顔を下に向ける。


「何?」


「気分はどうだ?」


「気分?」月夜は首を傾げる。「悪くはない」


 地面に手をついて、身体をゆっくりと持ち上がらせる。今度は上手く力が入った。背後にある物干し竿を掴んで支えにし、体重を二本の脚から分散させる。


「何があった?」


 フィルに問われ、自分の身に何があったのか月夜は考える。


「突然、意識が失われそうになった」


「なぜ?」


「原因は不明」完全に立ち上がって、月夜はフィルを見下ろす。「色々な原因が考えられるため、現在、特定中」


「冗談を言えるだけの余裕があるのなら、問題はないな」そう言って、フィルは地面に落ちている洗濯物を口に咥えた。それを少し持ち上げて月夜に示す。「せっかく洗ったものが、汚れてしまった」


「フィルが咥えたことで、余計に汚れた」


「随分と失礼だな」


 フィルに差し出された洗濯物を、月夜は両手で受け取る。背を屈めると少々立ちくらみがしたが、問題はなさそうだった。

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