第178話 in the bath or out of the bath

 湯船の中。浮かぶアヒルなりヒヨコなりはいない。代わりに浮かぶ猫がいる。猫の身体は浮かぶらしい。


「うわ、フィル、何その格好!」ルゥラが大きな声を出す。風呂場の硬質な壁に音が反響して増幅された。「そんなに手と脚を広げちゃってさあ!」


「でないと浮かばない」フィルが応答する。


「じゃあ、私もそれで浮かぶかな?」


「浮かばないだろうな」


「やってみなきゃ分からないじゃん」そう言って、ルゥラはフィルと同じ格好になろうとするが、先に足が湯船の底についてしまうみたいだった。「うーん、駄目だなあ」


「きちんと訓練した者にしかできない芸当なんだ。まだまだ練習不足ということさ」


「やっぱり、猫耳を付けないと駄目なのかも」


「人間で猫耳が生えている奴は、人間の耳はあるのか、それともないのか、どちらなんだろうな」


「猫耳ってさ、どうして頭のてっぺんに生えているのかな? 人間みたいに横に付いていた方がいいんじゃない?」


 月夜は身体を洗い続ける。正面に鏡があったが、今は曇っていて機能を果たしていなかった。風呂に入る度にそうなるので、なぜここに設置されているのか分からない。


「ねえ、そう思わない、月夜」


 唐突に話を振られて、月夜は話を振ってきた張本人を見る。


「思わない」


「なんで?」ルゥラは首を傾げる。


「なんとなく」


「絶対、横に付いていた方が効果的じゃん!」


「効果的とは?」月夜は尋ねた。「どういう基準で、効果的?」


「可愛さ」


 可愛さとは何だろうか、と月夜は思う。


「そうなるべくして、そうなっているんだ」フィルが意見を述べる。「そうなっていることに、猫には猫なりの、人間には人間なりの意味があるってものだろう」


「ええ、そうなのかなあ……」ルゥラは湯船の縁に頭を預ける。「猫が進化の途中だからじゃないの?」


「じゃあ、猫がさらに進化したら、人間に近づくとでも言うのか?」


「顔だけ猫のままだったりして」そう言ってルゥラは一人で笑う。いや、先ほどから彼女はずっと一人で笑っていた。笑いは二人三脚のようにはいかない。


「進化とは、そういうことではないらしい」月夜は自分の腕をタオルで擦りながら話す。「より良い方向に変わっていくものではない」


「私、生まれ変わったら、猫になりたい」ルゥラが目の前の黒猫を見つめて言った。「そうして、フィルのお嫁さんになるんだ」


 突然場が沈黙。


「ね?」


 ルゥラに首を傾げられても、フィルはまったく動じなかった。


「フィルは私のもとにいてもらうから、そういうわけにはいかない」月夜がコメント。


「勝手に決めるんじゃない」フィルが威勢良く言ったが、浮かんだ格好のせいですべて台無しになった。

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