第175話 always

 玄関の外にフィルが立っていた。いつものように行儀良く座っている。


「どうして、インターホンを鳴らしたの?」


 月夜はしゃがみ込んでフィルと目線を合わせる。そうしても猫の気分にはなれなかった。フィルの気分にはなれたかもしれない。


「特に理由はない」フィルは月夜を見つめて答える。「しかし、理由がないということが、そのまま、意味がないということを意味するわけでもない」


「ルゥラは眠っている」


「ああ、そうだろうな」


「特に理由はない」


「眠ることに理由はあるだろう。生理的なものだから」


 月夜はフィルを抱きかかえて室内に戻った。


「どうしたんだ、料理なんか作って」テーブルの上にあるものを見て、フィルが尋ねてきた。


「料理なんか作った」月夜は応える。


「俺に食えってことか? 生憎だが、今はお腹がいっぱいで食べられないんだ」


「ルゥラのために作った。フィルも食べたかった?」


「いいや、まったく」


 月夜はソファに座る。フィルはどうやってインターホンを鳴らしたのだろうかと考えたが、答えは分からなかった。飛び上がればそのくらいまで手が届くものだろうか。


 本当に静かな夜。


 but, not静謐。


 何かが聞こえるが、それが何だか分からない。


 リビングの照明は今は橙色になっていた。月夜がそうしたからだ。こういう色の照明を何と呼ぶのか思い出そうとしたが、分からなかった。ルゥラが起きてしまわないように配慮したつもりだ。ただ、眠っている者にとって、外部の明るさが関係するのかは不明だ。


「毎日毎日食事をとらなくてはならない身体というのも、大変だな」机の周囲をうろうろしながら、フィルが言った。


「本来、身体とはそういうもの」


「しかし、毎日毎日同じことをするのが、生きるということだからな」


「何も、しかし、ではない」


「月夜はきちんと生きているか?」


 きちんととはどういう意味だろう、と月夜は考える。


「生きているかもしれないし、生きていないかもしれない」


「決まりきった返事だな」


「毎日、同じことをするから」


 すぐ傍にいるルゥラが寝返りを打つような素振りを見せる。けれど、そのまま一回転すると落ちてしまいそうで、月夜は手を伸ばして彼女の身体を支えた。


「彼女が起きてから料理を作ればよかったじゃないか」


 フィルに言われ、その通りだと月夜は思う。


「その通り」だから、その通りのことを口にした。

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