第86話 科学的思考の結果は万人向け
毎日色々なことが起こる。
人間には、物事と物事を等しく扱う能力があるので、そのような捉え方ができるが、反対にそうした捉え方をする色眼鏡を外して世界を見れば、一つ一つの物事はすべて個別のものとなる。
色々なことが起こるというのと、何も起こらないというのは、捉え方の違いであり、世界の真なる姿を映した結果ではない。しかし、では世界の真なる姿とは何かという問題になると、これに答えるのは困難を極める。なぜなら、世界を観察するためには、人間は必ず何らかの色眼鏡をかけなければならないからだ。
皿を家の前に置いていった者には、何か意図があっただろうか?
あったとしたら、それはどのようなものだっただろう?
決定疑問文から補足疑問文へと移るのは、そう珍しいことではない。
そのような順で問わないと、論理的な対処ができないというだけだ。
家の前に皿が落ちていたという事象について、単に葉が落ちていたとか、石が落ちていたという事象と同じように扱うことも、できないわけではない。それらは「xが落ちていた」という事象として共通だ。しかしながら、統計的な頻度という観点から考えれば、最前者のような事象が特異であることは一目瞭然となる。家の前に葉が落ちている頻度と、石が落ちている頻度に比べれば、皿が落ちている頻度は明らかに小さい。また、特異というのはそもそもそういうことを意味する。
ここで、皿、葉、石を横並びにして、すべてを同一のものとして扱うのは、一見すると科学的に見えなくもないが、実は宗教的な方へと一歩足を踏み入れている。科学は、結果を見て、それを解釈するところまで含む。そして、その解釈というのは、人間にとって自然な形で収めるのが一般的だ。この場合の自然な形というのは、これまた統計的に、多くの人間が納得する形、と定義するのが良いかもしれない。
したがって、家の前に皿が落ちていたという事象は、とりたてて扱わなくてはならない。少なくとも、月夜一人の生活に関しても、そのような事象が観察されることは統計的に少ないといえる。
皿は、本来ものを食べるために使う道具だ。
そして、おそらく、初めからそのように意図して作られてもいる。
皿を使って、自分に何かを食べてもらうことを望んでいるのだろうか?
だとしたら、それはなぜだろう?
月夜は今朝、ヨーグルトを食べた。そのときに使ったのは、皿ではなく、器だった。
……?
皿と器の違いは何か?
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