第83話 ものは動きの中にある
空になった器を片手に持ったまま、月夜は暫くの間沈黙していた。暫くというのはよく使われる表現だが、実際のところどの程度を示すのか定かではない。人によっても異なるだろうが、問題なのは、それでも意味が通じてしまうという点にある。暫くと言われて混乱することはない。果たして、この言葉はどのような意味を形成しているのだろうか。
身体を動かすのが億劫なことがあった。今もたぶんそうだ。感覚が曖昧になる感じがする。少し前にした思考として、感覚はギャップを認識するためにある、というものがあったが、今はその能力がはたらいておらず、実質的に無感覚の状態に近かった。
環境に変化がなくなると、生き物は生を感じることが難しくなるかもしれない。活動的な人間が活き活きとして見えることと関係があるだろうか。行動すればその人にとっての環境が変化する。一日中座りっぱなしで仕事をしていてもつまらないというのは、そういうことの逆かもしれない。
しかし、月夜は、どちらかといえば、一日の多くをそんなふうに大人しく過ごしている。日中は学校に行って授業を受けているが、授業を受けている間は椅子に座っている。そして、授業が終わっても同じような格好で本を読んでいることが多い。一日の時間の大半を椅子の上で過ごしている。最早、椅子の上の帝王と呼んでも差し支えないくらいだ。
たぶん、授業を受けたり、本を読んでいるときには、そうでないときに比べて脳が活発に活動している。だから、実際には環境は変化しているのだ。身体的な環境の変化が最も認識しやすいというだけで、人間の場合、頭の中で自ら環境を構築することもできる。
なるほど……。
自分は後者の変化を望むタイプ、ということだろうか……。
いずれにしろ、自分も何かしらの変化を望んでいることに変わりはなかった。意識的、積極的に望んでいるというのとは違うように思えるが、たとえば、本を一冊読み終わったら、次の本を読もうと自然に考えるわけで、一冊の本を何度も読もうという発想には至らない。もちろん、勉強するのが目的であればそうしたプロセスも必要だろうが、単に情報を得るという目的においては、繰り返し過程は望んでいなかった。
自分も人間には違いないのだ。
いや、それは尚早な判断というべきか。
何をもって人間というのか?
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