第52話 kill
「月夜」
背後から声をかけられて、月夜は一秒前に向いていた方に再び向き直った。視点を合わせるのに少し時間がかかったが、間もなくそこにフィルがいるのに気がついた。
「何?」
なんとなく、普通に対応して、月夜は小さく首を傾げる。
「どうしたんだ。どこかに行く用事でもできたのか?」
「ううん」月夜は首を振った。「フィルを探しに来た」
月夜は廊下にしゃがんでフィルを抱きかかえると、一度立ち上がって彼を自分の腕に完全に収めた。それから、彼が座っていたのとは反対側を向いて、その先をじっと見つめた。
「どうかしたのか?」
腕の中から顔だけ出した格好で、フィルが月夜に尋ねてくる。そうしていると、彼も生まれたての子猫のように可愛らしく見えなくもなかった。
「何かいた気がする」月夜は廊下の先を見たまま答える。
「何かって、何だ?」
「分からない」月夜は応じた。「もしかしたら、見間違いだったかもしれない」
月夜と一緒になって、フィルも彼女が見つめる先を見た。その体勢のまま二人で暫く沈黙。まだ、窓が揺れていた。かたかたかたと鳴って、ぎしぎしぎしと伝わる。
「お前が見間違えるということが、果たしてあるのかな」フィルが言葉を発した。
彼を見て月夜は答える。
「私も、人間だから、あるよ」
「しかし、その頻度は低いはずだ」
「どうして、そんなことが言えるの?」
「これまでのデータを参照して導いた、客観的な考察に基づいている」
「なるほど」
「何か、あるかもしれない」
「フィルには、分かる? もしかして、物の怪?」
「物の怪は、自分で物の怪だと思わなければ、物の怪にはならないんだ」彼は話した。「まだ、物の怪だという自覚がないのかもしれない。だから薄いままなんだ。しかし、その残滓のようなものは感じる……、ような気がしないでもない」
「曖昧」
「相手が物の怪じゃなければ、分からないんだよ」
「じゃあ、どうして、私には分かったの?」
「まだ、見間違いの可能性がなくなったわけじゃないさ」
「そっか」
「俺が近くにいたからかな」フィルは呟くように言った。「しかし、相手はまだ物の怪にはなっていない。つまり、まだお前を殺すことはできない」
「殺されても、いいかも」
月夜は、そう言って、小さく笑みを零した。
フィルはそんな彼女を一度見つめて、それからそっぽを向いた。
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