第47話 自然発生
放課後になって、月夜は珍しく外に出た。教室に鞄は置いたままで、少し散歩をするつもりだった。空はよく晴れている。けれどまだ春なので少し肌寒い。
午後になると、少しだけ頭がぼんやりしてくることがあった。ぼんやりしているなと感じるというだけで、どの程度ぼんやりしているのか、いつと比べてぼんやりしているのかということについて、彼女は具体的な見解を持たない。たぶん、その感覚は、何かを好きと感じるのと同じだ。好きという気持ちは、何かと比較して好きだという形で生じるのではない。何かを見たときに、唐突に、あ、好きだな、と感じるのだ。それは絶対的な感覚で、その世界にはそれしか存在しない。
校舎には人気がなくなっていた。上履きのまま昇降口の階段に出て、人通りがなかったからそのままそこに腰を下ろした。目の前にある小さな池の所で、白衣を身につけた教員と、数人の生徒が何やら作業をしている。右手から運動部の生徒たちが走ってきて、そのまま校舎の向こうに回り込んで消えていった。一分ほど経てばまた戻ってくるに違いない。彼らは電子のようにぐるぐると同じ場所を回るのが好きだ。もっとも、電子には好きだという感情はないだろうが。
学校は、社会から隔離されているだろうか、となんとなく考える。
色々なものから保護されているという意味では、その通りだろうと月夜は思った。少なくとも、この敷地の内側にいる限り、様々な責任が緩和される仕組みになっている。敷地外でとった行動は、すべて自分一人の責任として処理されるが、この敷地内でとった行動であれば、個人ではなく、一生徒の責任になる。そして、生徒という性質が与えられている以上、それを管理する立場の者が存在する。
社会は、いくつもの小さな社会で構成されている。そして、その範囲を広げていくと、今度は国という単位に変わる。つまり、国も社会だ。では、国がいくつも集まった、世界、あるいは地球という単位は、一つの社会として理解できるだろうか。また、もっとその範囲を拡大させて、太陽系をそのように捉えることはできるだろうか。
してどうなるのだろうという気がした。
結局は、人の作り出す概念だから、どうとでも捉えられる。
けれど、どうとでも捉えられるということは、どうでも良いということを意味しない。
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