第111話 南蛮

べちゃり。


地面に流れた赤黒い液体を踏みます。


布でできた靴にしみ込んでメチャクチャ気持ち悪いです。


この靴、洗ったらまだ使えますかね……。




その液体の隣には喉を掻っ捌かれてびくびくと震えているワンちゃんが。

ううう。



「ワルイ精霊、デテイケ」

「……わ、悪い精霊、でていけー」


干し草で作った蓑を被った仮面のおじさんが唱えた言葉を、私も復唱します。


「次、コノ血ヲ顔ニカブル」

「……あぐ」


さすがに動きが止まります。


「貴様、黙って聞いていれば木鈴さまに何をっ!」

「おんしゃ落ち着かんがか!せっかくここまで我慢しちゅうやき?!」


剣を抜いて斬りかかろうとする公明くんを荊州弁の黄蓋さんが押しとどめてくれます。


「あ、大丈夫です。公明くん……」


いぬの生き血を顔に塗ります。

これじゃあ悪役令嬢じゃなくて山犬令嬢ですねぇ……今は男装ですけど。


そんなバカなことを考えながら、呪文を唱えます。


「わるい精霊でていけー」

「……漢ノヒト。話聞ク。村ヘヨウコソ」

「ありがとうございます」


蓑を被った仮面のおじさん、村の呪術師しゃーまんに許可のお礼を言って、私は村の境界線を踏みました。


こうして私は蛮族……武陵蛮ブリョウバンの村に入ったのでした。



 ― ― ― ― ―



さて、なんで私が狗の生き血を浴びる羽目になったかというと。

お茶を栽培するだけでひと騒ぎだったんです。



長沙の産業開発計画を提案した私。

長沙チョウサ太守ちじ孫堅ソンケンさんの許可を得てさっそく内政に取り掛かりました。


元奴婢もとどれいたちに土地と農具を分配します。

奴婢どれいの身分から解放されて良民へいみんに昇格した皆さんの喜びようは大変なものでした。


しかもただ解放されるだけでなく、水田と農具も貰えるのです。




そこで皆さんに大きな恩義を着せておいて、茶と製糖の仕事をやってもらおうとしたのですが……。


「まっこと、まっこと、ありがたいぜよ」

「おおきにっちゃー」


元奴婢もとどれいの皆さんの南荊州弁がきっついのなんの。


さらに、いろいろお願いしても「こがあなやり方はわからんっちゃ……」となぜかいうことを聞いてくれません。


困り果てて孫堅さんの部下で南荊州出身の黄蓋さんを通訳として借りてきて相談します。


「ああ、南荊州の人間はそんなに頭が良くないき。北の頭がええやり方は分からんと思い込んでるぜよ」

「いやいや……、お茶を作ってもらうだけでいいんですよ」

「長く奴婢どれい暮らしじゃったき仕事を変えるとか慣れんがじゃろ」


とりあえず黄蓋コウガイさんに頼み込んで、元奴婢もとどれいさんたちを説得してもらいました。

同じ南荊州なまりで説明してもらって何とか納得してもらえたみたいです。


……早口になって途中から何言ってるか分かりませんでしたけど。



なんとか元奴婢もとどれいの皆さんの協力を得たので、お茶の量産に取り掛かります。


山に自生しているお茶を収穫するとともに、苗をたくさん作ってもらいます。


茶畑って日当たりのいい斜面にあった記憶があるので、山奥から茶の木を移植したり、苗を植えたりします。


そして、収穫したお茶を揉んで、火入れして、運びやすいように突き固めて……。


「これでいいんでしょうか?」

「……たぶん?」


揉み方とか火入れの仕方はあちこちのお茶に詳しい人に聞きますが、皆さん言うことが違うということが判明。


こうなったら全部作らせて飲み比べて決めるしかない!


ということで複数の種類の茶葉の複数の種類の製茶法で百何種類に及ぶお茶を飲み比べてお腹がたぷたぷになってしまいました。


同じく味見係をしている公明くんにも意見を聞きます。


「……木鈴さま、まっすぐいうと、全部違って全部美味しいです」

「そうですよねぇ?!」


こうなったら、いろんな種類のお茶を作らせて、それぞれを職人の名前を付けてブランド化してやることにしました。


「洛陽で一番売れたお茶には褒賞が出ますから!楽しみに待っててくださいね!」

ここでも技術交換をしてもらいながら、いろんなお茶を開発してもらうことにします。


輸送用につき固めたお茶が簡単に割れたりとかいろいろ問題もありましたが、お米を緩く炊いた糊をまぜたりとかちまちまと改善します。


 ― ― ― ― ―



甘蔗さとうきびも同じように、湿地帯で生えているやつを収穫しながら、苗づくりも進めます。


「うーん、トウが立ってるやつはあんまり甘くないですね?」

「ええ、若いやつが特に甘いみたいですね」


公明くんといろんな甘蔗を収穫して食べ比べてみます。

どうも1丈2.3m前後のやつがよさそうですね。

2丈4.6mより高く伸びたやつはあまり甘くないです。


収穫した甘蔗さとうきびを絞って、汁を煮詰めると茶色いどろどろとした蜜状になります。

これを乾かすと固い黒砂糖の塊になるはず。


「……めちゃくちゃ繊維が残ってますね」

「搾り方が悪いんですかね」


汁を何度も漉す工程を追加して不純物を取り除きます。


また、そもそも搾り方の時点でひたすら木づちで叩くとか、スリコギで擦る、臼でつくとかだと繊維が飛び散ってしまうので、圧搾機を考えます。


なんかこう、大きなローラーみたいなのでゴリゴリやれば楽だと思ったんですが、試作が上手く行きません。摩擦が大きすぎて力がかかりすぎるみたいです。


じゃあこう木で挟んで上に石をたくさん乗せて絞りあげるとか考えたんですがこれも石が重くて効率が悪い。


いろいろ試作していたら、木工さんが「くさびをいれたらどうですかい?」と提案してくれたので、試したら割と上手く行きました。

木の板を二枚合わせ、その間に絞るものをいれます。板の両端を枠にはめ、枠と板の間の隙間にくさびをガンガンと打ち込むと板が閉まって搾れる方式です。


こうやって絞って焚き上げることで、黒砂糖の量産にも着手しました。



 ― ― ― ― ―



「で、材料が足りないと。山奥にもっとあるんじゃないですか?」

「山奥は蛮人が居るきに、民が怖がって行かんぜよ」


ある日、黄蓋さんから茶葉や甘蔗さとうきびなどの材料が尽きて生産が続けられないと報告を受けました。


南荊州には武陵蛮、またの名を五渓蛮という蛮族がいて、山からよく降りてきて人を襲うんだそうです。

なので、あまり山奥には皆行きたがらないと……。


「じゃあ、その方々と話をつければいいんですね?案内してください」

「へ?!いや、蛮人じゃきに……」

「蛮人でも人間でしょう」


黄蓋さんが驚いてましたが、私は匈奴とも話をする美少女ですよ?……今は男装ですけど。


え?奇妙な風習があって話にならないかもって?


「文化が違うのは慣れてます。どんな風習でも対応します!」



と言った私は、狗の生き血を塗りたくる羽目になったのでした。


迂闊……っていうか、なにこれぇ……


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