32・夜中の訪問者

 魔法指導を終えてヘルマンと広場を出ようとしたところに綾瀬がやって来た。私に話があるという。ヘルマンはムスタファ様の恋敵を近づける訳にはいかないと言ったけど、譲歩してもらった。離れたところから監視の目を光らせている。


 私も用心してレオンとの距離を測る。

「すぐにその確認をするのはやめて下さい。ヘルマンの見ている前では何もしませんよ。手出ししたら、同じ事を先輩がするのでしょう?」

「そう。だから絶対にやめてね」


 今度はレオンが大きく息を吐いた。

「あなたに訊きたいことがあるんです。ルート選択について。詳しくは聞いていなかったから。仕組みとか、色々と」


 どうしてそんなことをと思いはしたけど、私がムスタファルートにいることが綾瀬は面白くないのかもしれない。昨日の礼拝堂では、だいぶ感情的に声を荒げていた。だから詳しく知りたくなったというところだろうか。

 以前に、選べる攻略対象が他にはフェリクスとテオだけだったから仕方なくムスタファなのだと説明はした。だけど何故この三人だけだったのかといったことは話していない。


 この世界の元になっているゲームでは、攻略対象の好感度と親密度が基準に達しないと、その対象のルートは選べないのだと説明をする。

 綾瀬は細かな質問を重ね、その基準が《5:5》であること、カールハインツは全く及ばなかったこと、フェリクスとテオはその数値で、それが一般的なことを聞き出した。



 ──これはイヤな展開だ。

 そう思ったところで彼は、

「で、木崎先輩の数値はどうだったんですか」と尋ねた。

 答えたら面倒なことになるのは目に見えている。ここは誤魔化して……。


「魔法指導は終わったのか」

 私が口を開こうとしたところで、そんな大声がした。

 振り返ると軽装のムスタファが大股でやって来るところだった。ひとりだ。でも離れたところにヘルマンがいる。彼の手前、かしこまって頭を下げてからはいと答える。


 ムスタファは振り返り侍従の姿を見つけると、彼を去らせた。こちらに向き直ると木崎みのある表情になっていて、

「なんだ、魔法の出来を見たかったのに」と言う。

「進歩はないよ。やるのは構わないけど」

「いや、いい。成功してから見る。──それで綾瀬は何をしている。勤務中だろ。隊に戻らなくていいのか」

 レオンを見れば、なんだか微妙な顔をしていた。

「あなたって徹底的に潰しにかかりますよね。敵にしたらイヤな性格だなあ」

「今頃分かったの? 昔から容赦なかったよ」

 そう言ってから、いや、ちがうなと思う。『昔から』ではなくて『昔は』だ。

「で、潰すってなに? ルート選択のことでケンカでもしたの?」

「違いますよ。僕があなたをデートに誘うと言ったから、先輩は阻止しに来たんです」


 木崎のムスタファが行儀悪く、レオンにローキックを入れる。

「勝手なことを言うな」

「今日はキックボクシングの気分なんですか。僕をサンドバッグにしないで下さい。マリエット、先輩はひどいんです。これで四度め」

「二度めだろ。水増しするな」

「ええと。とりあえずレオン。デートは断る。ごめん」

「僕が納得できる理由なら、諦めます。『気を持たせたらいけない』という理由は不可です。僕は傷ついているのです。目の前で堂々と手を繋がれて」

 綾瀬が言っているのは、昨日の地下でのことだろう。

「あれは、」

「理由は結構です」私を遮り、綾瀬が言う。「どのような理由であれ、手繋ぎは手繋ぎ。だから僕も手を繋いでデートをするのです。それともあなたは木崎先輩の手は取れても僕は嫌だと言うのですか。先輩は特別ですか」

「別にそんな訳では」

「ならば僕とも手を繋ぎましょう」

 失敗した。綾瀬にはめられてしまった。

「宮本を困らせて楽しいのか」と木崎。

「僕だって余裕がなくて必死なんです」


 ふたりがやいやい言い合いを始める。

 私がなんと言えば、レオンは諦めてくれるのだろうか。


「レオン」

 ふたりの目が私を見る。

「やっぱり木崎は特別だよ。ただし同志としてだけど」

 ムスタファの手を取り握る。

「信頼をしているから手を取るの。恋愛の意味はない。だからレオンの望んでいるものとは違う。レオンとはデートも手繋ぎもしない。ごめん」


 綾瀬のレオンは真顔になり、私を見る。真っ直ぐな視線はどこか居心地が悪いけれど、負けずに見返す。これでも反論されたら、もうどうしていいか分からない。


 しばらくの間のあと、彼は

「納得しました」

 と言った。ほっと胸を撫で下ろす。

「ありがとう」

「ええ。残念だけど諦めます」レオンは木崎を見た。「聞きました? 彼女には『恋愛の意味はない』んですって」

「だからそう言っているだろ」と木崎。

 また言い合いを始めるふたり。そっとムスタファの手を離す。外でこんなことをするのは初めてだ。レオン対策とはいえ、気恥ずかしい。


 ◇◇


 近衛の広場をあとにして石畳の道をたどり、ムスタファとふたり彼の自室に向かう。遠くに警備の近衛の姿は見えるけれど他には誰もいない。

 月の王と称される静謐がイメージの王子は頬は上気して赤く、髪は汗で額に張り付いている。ムスタファは剣の練習をしていたはずだ。レオンと。それでも汗臭くないのがさすがというか、ヨナスさんの努力の賜物というか。ひとつ結びにした揺れる銀髪の陰からちらちらと見える、青年にしては細い首にも汗が流れている。彼より厚着なレオンのほうが、涼しげだった。


 城の入り口まであとわずか。だけどムスタファは足を止めた。

「気晴らしに散歩でもするか」

「散歩?」

「お前も俺の専属になってからずっと、根を詰めているだろ」

「前より自由時間があるよ」

「その時間、勉強漬けだろうが」

 行くぞと木崎は言って入り口への道を反れる。


 これは溺愛ルートっぽくてよくないんじゃないのかな、と気になったけど。たまにはいいかと考えて、ムスタファの背を追った。


 ◇◇


 寝支度をととのえ、最後に施錠を確認する。鍵はかかっている。

 悪意むき出しの侍女が減ったとはいえ油断は禁物。自分のためにも、心配してくれる人たちのためにも自衛はしっかりしなくては。


 ベッドに入り明かりを消す。暗闇の中で、今日は良い日だったなと思い返す。カルラの誕生日だったのでプレゼントをあげたら、とても喜んでくれた。『一緒に遊ぶ券』も大好評だったようで、カールハインツにとても感謝されたし。


  ……気晴らしの散歩も楽しかった。





 明日はまた気合いを入れ直してがんばろう。

 さあ寝ようと目を閉じたかと思ったら、トトトンと忙しげに扉を叩く音がしてびくりとした。

 首だけ上げ、そちらに目をやる。


 少しの間のあと、またトトトン、と。

「マリエット」

 聞き取れるギリギリの声がした。

「ツェルナーです」

 ツェルナーさん? 扉越しのせいか声がちがう気がする。それに彼がこんな夜中になぜ。

「お願いです、助けて下さい」

 助けて下さい?


 不安になりベッドを降りて、灯した燭台を手に扉に近づく。

「ツェルナーさんなのですか」

「そうです! 夜分にすみません。でも他に頼れる人がいなくて」


 だけどやはり、声がちがう。


「ツェルナーさんの声ではありません」

「それは……」


 心臓がどくどくと音を立てている。

 どうしよう。扉の向こうにいるのは誰なのだ。確かめるすべは?


「マリエット、すみません。『キザキ』『ミヤモト』『アヤセ』」

 息を飲む。それを知っているのは私たち以外ではヨナスさんとフェリクス主従だけのはずだ。


「声がちがうのは訳があります。信用できないのも分かります。だけど助けてもらえないでしょうか」

 泣きそうな声に聞こえる。

 よし、万が一のときは燭台で殴ればいい。

 そう腹を決めて扉を開いた。




 そこにいたのは旅行鞄を手に、侍従のような服を着た見知らぬ女性だった。


「……どちら様?」

「……ツェルナーです」

「え?」


 どこからどう見ても、見たことのない女性だ。髪色だってツェルナーさんとはちがう。


「説明しますから匿ってもらえないでしょうか」

 そう懇願する声は震えていて、よく見れば目の端には涙がにじんでいた。

 一歩下がると

「どうぞ入って下さい」

 と、彼女を部屋に通した。

 ツェルナーさんを名乗る女性を部屋に入れると部屋の灯りを全て灯し、彼女に円卓の椅子を勧めた。水差しからコップに水を注ぎ、わずかに残っていたレオン土産のドライフルーツと一緒に出す。


「ありがとうございます」と女性。年は私より五つぐらい上だろうか。綺麗な顔立ちをしている。

 彼女の向かいに座り、

「他に何か必要ですか」

 と尋ねれば、女性はいいえと答えてかすかに微笑んだ。

「本当にありがとう。あなたの顔を見て、少し落ち着きました」

「ツェルナーさんなのですか」

「はい」

「まったく違う人にしか見えません。もしかして魔法で女性になってしまったとか」

 彼女はゆっくり首を横に振った。

「反対です。魔法でツェルナーになっていました。ツェルナーは私の兄で、私は妹のリーゼル・アイヒホルン」


 ちょっと待て。予想外の情報が畳みかけられてきたぞ。

 この女性は私の知っているツェルナーさんだけど、本物ではなく、その妹だというの?


「どうしてなのか急に魔法が解けてしまったのです。申し訳ないのですが二、三日こちらで匿ってほしいのです」

「かくまう」思わずカタコトになる。「誰から?」

 女性は目を伏せた。

「全てからです。フェリクス殿下も私が兄に化けた妹だとは知りません」

「え」思わず声を上げる。「殿下からも隠れるの!」

「はい。諸事情でしばらく城をあける旨の手紙は書いて自室に置いてありますから」


 そういうことじゃない、と反射的に思った。

 フェリクスとツェルナーさん、ふたりの関係を見る限り、手紙で済ますような話ではない。

 だけどまずは彼、ではなかった、彼女の説明を聞かないと。


「では、ご事情を話していただけますか」

 リーゼルさんはうなずき口を開いた。


 ◇◇


 ツェルナー、リーゼル兄妹は都には住まず、生まれてからずっとアイヒホルン侯爵領の本邸で暮らしていたそうだ。近くには国内三大大聖堂と言われるホルン大聖堂があった。一家は敬虔な信者で事あるごとに大聖堂に通い、アイヒホルン家とホルン大聖堂は密接で良好な関係を築いていたという。


 ところが七年ほど前に、アイヒホルン家次男のツェルナーと大聖堂に勤める司教が駆け落ちをしてしまったそうだ。この司教、数人いる司教を束ねる主座であり、いずれは大司教となるだろうと見られていた大人物だった。

 司教以上の聖職者は結婚も交際も禁じられている。駆け落ちなどとんでもなく、しかも同性ということで大聖堂側は激昂したそうだ。

 悪いのはツェルナー。聖職者を惑わす悪魔。それが彼らの見解だった。


 この時の彼は十九歳で司教は四十八歳。一般的に考えれば青年を惑わしているのは、思慮分別がある年齢のはずの中年男のほうだ。


 しかし憤激した大聖堂側は一方的にアイヒホルン家を非難し破門するとまで言ったのだが、両者ともひとつだけ一致する考えがあったそうだ。同性で駆け落ちという不道徳な恥を世間に知られたくないということだ。


 そこで司教と駆け落ちをしたのはリーゼルとし、リーゼルはツェルナーとして大聖堂での奉仕をすることになったという。

 彼女は当時十六歳で婚約者がいたけれど、彼にすら事実を伝えることは許されず、真実を知る者はアイヒホルン家と大聖堂側を合わせて数人ほどだそうだ。


 しかしながら大聖堂側は偽ツェルナーの贖罪奉仕だけでは怒りが収まらず、司教とリーゼルの駆け落ちを国王に伝え、不敬虔なアイヒホルン家に罰をと迫った。教会といさかいを起こしたくなかった国王は一家の言い分も聞かずに断罪して公の場への出入りを禁じたのだった。


 ところが四年ほど経ったころ。王宮からリーゼル扮するツェルナーの元に使者がやって来た。曰く、魔法レベルが高いゆえ、第五王子の従者に特別登用を認めてやる、ありがたく思うように──。


 要するにフェリクスの従者が皆逃げ出して困り果てていた王宮が、魔力が高い上に絶対に断れない格好のカモを見つけて、強制的に召し上げたのだという。






「これに慌てふためいたのが父と大聖堂側です」

 ツェルナー改めてリーゼルさんが淡々と身の上を話す。

「それまでの私はツェルナーの扮装はしていましたけど、基本は人目につかないよう行動して本人ではないことを隠していました。だけど王子の従者となるとそうもいきません。すぐに女だと分かってしまう。そこで私を魔法でツェルナーにすることになったのです」

「そんな事ができるのですか」


 この世界の魔法は生活魔法が一般的なのだ。他人に変身するだなんて、まるで絵空事に思える。

「……正確はには魔法ではありません。可能ではあるのですが、持続性に不安がありました。だからより強固である呪いを、父と大司教がふたりで協力して私にかけたのです」


 その魔法も呪いも複製元にしたい人物の体の一部があれば、簡単に瓜二つにできるらしい。彼女の母国では乳歯が抜けたらトゥースボックスで保管する風習があり、ツェルナーの一部は用意ができた。


 この呪いは、大聖堂の図書室に隠された禁書に載っていて、それを知っていた大司教が提案した。彼女の父は魔力が高く、呪いを掛けられるだけの能力を持っていた。


 そうして完璧にツェルナーとなったリーゼルはフェリクスの従者となったのだった──。




「それが一刻ほど前、突然姿が戻ったのです。原因は分かりません。アイヒホルン家は三年間も王家を騙してきました。このことを知られる訳にはいかないのです」

 話し終えたリーゼルは悲しげに見えた。


 三年の間の心労とか、婚約者のこととか、胸が潰れそうな話だ。七年も兄として生きてきたなんて。

「大変でしたね」

 私はそう声をかけることしかできなかったけど、リーゼルさんはありがとうと微笑んでくれた。


「とにかく二、三日様子見をしたいのですが従者部屋にいてはすぐにみつかるし、城を出てしまうと都合が悪くて」

 呪いをかけた父親に何かあった可能性が高く、もし実家から手紙が届いたらと考えると城内にとどまっていたいのだそうだ。

 それに彼女の給金は城下の銀行に預けてあるのだが、当然ツェルナーとしてだ。女性のリーゼルが引き出しに行っても渡してもらえないかもしれない。となると城外で暮らす資金もない。


「ですから少しの間だけ、こちらに匿っていただきたいのです」

 お願いしますと頭を深く下げるリーゼルさん。

「頭を上げて下さい。事情は分かりましたから、匿うのは構いません。ただ、フェリクス殿下に打ち明けたほうが良いと思います。あの方は味方になってくれるでしょう?」


 フェリクスとツェルナーさんの間には強固な信頼関係がある。私にはそう見える。

 それなのにどうして彼女がフェリクスからも隠れようとするのか、分からない。


 リーゼルさんは頭を上げたものの、視線は下げたままだった。

「無論、味方になってくれるでしょう。ですが殿下には知られたくありません」

「何か理由があるのですか」

「……話したくありません。無理をお願いしているのに、すみませんが」

「いえ、私こそ踏み込んだことを尋ねて失礼しました。ただ、フェリクス殿下が置き手紙で納得するとは思えなくて。あなたが突然いなくなったらきっと驚く……」ちょっと違う気がする。困る、でもない。困惑? 違う。「……心配すると思います」


 きゅっとリーゼルさんの口が強く結ばれた。


「とりあえず今夜は休みましょうか」

 立ち上がってベッドを見る。枕がひとつしかないけれど、ふたりで寝られる幅はある。

「私は床で構いませんから」

 かけられた声に驚いてリーゼルさんを見る。

「あなたのベッドを借りるわけにはいきません。ムスタファ殿下に申し訳が立た……」

「ツェルナーさんは、私があなたを床に寝させて平然としている人間だと思っているのですか」

 思わずツェルナーと呼んでしまった。


 はっとしたリーゼルさんは、

「そうですね」と弱々しい笑みを見せた。「私としたことが、そんなことも分からなくなるほど平常心ではなかったようです」

「リーゼルさん」

「お言葉に甘えさせていただきます。しっかり休んで、明日には平静を取り戻します」

「それがいいと思います」

「朝になったらツェルナーに戻っているのが一番良いのですが」


 果たしてそうなのだろうか。

 リーゼルさんにとっての最善は?

 それにフェリクスは?


 ふと昨日、地下の探検から戻ったフェリクスに向けたツェルナーさんの顔を思い出した。



 ──そうか。きっと彼女はフェリクスが好きなのだ。

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