第31話 更にいつもと異なった朝

 日曜日が終われば月曜日なわけで、祝日でもない月曜日は当然学校がある。

 この週末は弥織が家に〝おかーさん〟として来てくれた。珠理の相手を二日間してくれた甲斐があって、家の用事についてはかなり片付いている。今週はいつもよりはゆっくりと過ごせるだろう。

 とはいえ、彼女が〝おかーさん〟を演じてくれるのは週末だけである。この土日は確かに劇的に変化したけれども、また月曜日からは普通の日々に戻る──そう、思っていた。


「おはよっ、依紗樹くん」


 珠理を保育園まで送ってから登校していると、なんと学校一の美少女こと伊宮弥織が声を掛けてきたのだ。


「え、弥織⁉ お、おはよう」


 俺も挨拶は返すが、ちょっとどもってしまったのは言うまでもない。

 だって、そうだろう? 彼女の方から声を掛けてくるなど、想像できるはずもない。


「オムライス、美味しかったでしょ?」

「ああ、うん。めちゃくちゃ美味しかったよ」

「もう蜂蜜の事は?」

「バカにしません、すみませんでした」


 そんな会話を交わしながら、学校への道を歩いて行く。

 うちで会話をするのと、朝の通学路で会話をするのは、やっぱり違う。それはやはり、周囲の視線だ。

 これまで殆ど男子生徒とつるむ事のなかった鋼鉄の処女アイアンメイデンこと伊宮弥織が、男子生徒と一緒に登校しているのである。しかも、互いにで。

 これで注目されないはずがない。俺も最初はどうなのかと思ったが、弥織が自然と名前で呼んでくるので、俺も自然と名前で呼び返さざるを得なかった。

 それに、家では名前呼び、学校では苗字呼びというのも何だか慣れないし、この土日だけで彼女を苗字で呼んだ回数よりも名前で呼んだ回数の方が多分もう多い。そうなってくると、名前呼びの方がお互いにしっくりくるのだ。

 彼女が苗字で呼んできたら合わせようと思っていたが、臆面もなく名前で呼んでくるので、俺も驚いた。『どっちで呼び合う?』みたいな相談が事前にあるのかとも思ったが、彼女の中では一択だったらしい。

 ちなみに、我が悪友こと間谷信也またにしんやが話しかける前に弥織が俺に声を掛けていたので、俺達を見た信也は缶コーヒーを手から滑り落としていた。

 途中から視界の隅に鈴田桃音すずたももねことスモモも入っていたが、彼女も反応としては信也と似たようなものだった。ぎょっとした顔をして、俺達を見張る様にして後をつけていた信也に駆け寄り、何やらひそひそ話をしている。

 だが、通学中に彼らが話しかけてくる事はなかった。俺達に気を利かせたのか、或いは楽しそうに話す弥織に遠慮したのか、それは定かではない。

 会話の内容は珠理の事や料理の事、或いは学校の事など様々だった。

 ただ、土日ずっと一緒に過ごしていたせいか、会話自体は自然にできた。もう以前の様に彼女を前にして、緊張する事もない。自分の家で俺のエプロンを身に付けて台所に立っている姿を見ているのに、今更何を緊張しろと言うのだ。


 ──てか、あれ? これめちゃくちゃリア充っぽい登校じゃない?


 女の子と二人で朝の登校。それは、俺がどこか夢見ていた高校生活だった。

 珠理がいるから、そんな生活とは無縁だと思っていた。しかし、その珠理が切っ掛けでそうした登校に繋がっているのだから、不思議なものだった。

 しかも相手は、密かに憧れていた伊宮弥織である。珠理には感謝せざるを得ない。まあ、その代わり、周囲の吃驚きっきょうの視線を一身に浴び続ける羽目になったわけだけれど。

 ちなみに、そういった視線に弥織自身は気にしている様子はなかった。恥ずかしそうにしている様子も、周囲を伺う事もない。

 クレープの時も気にしていなかったところを見ると、普段からあまり人の視線が気にならないのか、常によく見られているから慣れてしまっているのか、そのどちらかだろう。

 通学路から昇降口、そして教室に行くまで俺と弥織は二人だった。当然、教室に二人して入った瞬間もクラスメイト達からぎょっとした視線が送られ、何だか気まずい様な、少し誇らしい様な、複雑な気持ちを味わうのだった。


「じゃあ、またね」


 弥織は目元だけで俺に微笑んでそう言うと、自分の席へと行ってしまった。

 俺も自分の席に向かおうとすると──いきなり首に腕を回されて締め付けられる。


「ぐええっ! く、苦しい!」

「さてさて、依紗樹クン。苦しいのは置いといて、ちょっとこっち来ようか」

「来ようか」


 攻撃者は、俺が弥織と分かれるのを待っていたであろう信也とスモモの二人だ。俺の肩をガッと掴んで教室の隅っこまで引っ張っていく。


「どういう事か訊かせてもらおうかね?」

「訊かせてもらおうかね?」


 口調それ自体は人の良さそうな感じだが、顔が笑っていない。


「う、うるさい! 何も聞くな」

「おいおい、この状況でそれはないんじゃないか? 俺のLIMEを無視した挙句、週末を終えたら名前呼びで仲良し手繋ぎ登校だ?」

「手は繋いでねえだろ!」


 こういうデマが一つでも付け足されると、話はどんどん膨らんでいくので否定すべきところは否定せねばならない。

 そういえば信也から『訊きたい事がある』と土曜日の夕方あたりにLIMEが届いていた。土曜日は家に帰ってから弥織が来ていたし、珠理の事でいっぱいいっぱいだったから、それどころではなかったのだ。

 そのメッセージに気付いたのは昨日の夜だった。結局昨日も疲れていたので、そのまま返事をせずに寝てしまっていたのである。


「大した進展ぶりじゃないのさぁ。ねえ、あんたどんな手ぇ使ったの? あのみーちゃんが男子と一緒に帰ってクレープ食べたってだけでも大事件なのに、一緒に登校ってどういう事?」


 うっしっし、とスモモが卑しい笑みを浮かべて訊いてくる。

 彼らによると、どうやら土曜日の午後には俺と弥織が前日に一緒にクレープを食べていた話題で持ち切りだったらしい。

 おそらく、信也の『訊きたい事』もそれだったのだろう。


「ええい、やかましい。別に進展なんてしてない。それに、スモモは弥織から直接事情を訊けばいいじゃないか」

「訊けないからあんたに訊いてるんでしょーが! みーちゃんにこんな浮いた話なんてなかったから、あたしだってどうすればいいのかわかんないのよ! てかさり気無く名前で呼んでるし!」


 何だかスモモがお怒りである。お怒りというより困惑しているのだろうか。

 もしかすると、二人が朝に話しかけてこなかったのは、俺達に気を遣ったというより、困惑し過ぎてどうすればいいのかわからなかっただけなのかもしれない。


「どんな手を使ったんだ! 金か? 金なのか?」

「それとも黒魔術か催眠術? 教えなさいよ!」


 とんでもなく失礼な事を言われている気がするが、こればっかりは何とも言えない。

 言ってしまえば、珠理の魔法が全てである。そういった意味では黒魔術の方が近いのかもしれない。

 どう答えようかと頭を悩ませていると、後ろから声が聞こえてきた。


「桃ちゃん、依紗樹くん? それに、間谷くんも。三人でどうしたの?」


 その声に、スモモと信也がぎょっとして後ろを向く。

 彼らの後ろには、学校一の美少女こと伊宮弥織が立っていた。眉間に皺を寄せ、信也とスモモを訝しむ様にして見ている。


「い、いやー、きょ、今日もみーちゃんが可愛いねって話よ?」

「そ、そうだぜ? なあ、スモモ?」


 二人が顔を見合わせてこくこくと頷き合う。もうちょっとマシな言い訳はないものなのか?


「……その話と、依紗樹くんをこんなところに連れ込んでるのにはどういう関係があるの?」


 じぃっと弥織がスモモを見つめる。

 そこにはやや責める様な意味合いがありそうだ。


 ──あれ……? もしかして、俺の事庇ってくれてる?


 弥織の表情や行動から、その様にも受け取れる。

 信也がスモモに『おい、どうすんだよ』とでも言いたげな視線を送っていた。そう、弥織が今日も可愛い事と俺を教室の隅っこに連れ込んで尋問らしき事をしているのでは、話が繋がらないのだ。


「そ、それは、その……そう! そんな可愛いみーちゃんと一緒に、よかったら一緒にお昼どうかなーって、真田を誘ってたのよ! ね、そうよね⁉」


 スモモが苦し紛れな言い訳を述べて、俺に片目をパチパチ瞑ってなにやらメッセージを送っている。

 弥織がその真意を確認する様に俺の方をじっと見てくるので、仕方なしにこくこくと無言で頷いた。

 それを見て彼女は「そっか」と呟くと、表情を緩める。


「じゃあ、今日から……お昼、一緒に食べよ?」


 昨日見せてくれた聖母の笑みが俺に向けられて、一瞬言葉を失いつつも、またこくこく頷く俺である。一方、そんな弥織を見てぴしっと石化した様に固まっているのが信也とスモモだ。

 かくして、スモモが苦し紛れに放った嘘を発端に、俺達四人は学校で共に過ごすグループになったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る