第7話 バブみバブみ言わないで下さい。

 それから俺は、順序立てて、できるだけわかりやすく一連の流れを説明した。

 五歳になる妹がいる事、その妹は母親と会った事がないという事、伊宮いみやさんをスーパーで初めて見掛けた時に何故か妹が伊宮さんを『おかーさん』と呼んだ事、それから『おかーさんと会いたい』と言い始めた事、そして、本当の母親とは会わせてやれないけど妹が『おかーさん』と言った人には会わせられるのではないかと考えた事。

 話の途中で、伊宮さんが「お母さん、いないんだ……」と複雑そうな表情を浮かべていたのが少し印象的だった。それは、よく母が亡くなった事を伝えた時に見る同情から来る表情とは少し異なったからだ。

 洗い浚いを全て話した上で、先日ここで呼び出して一日限りでいいのでお母さん役を買って出てくれないかと依頼しようと思っていたら、言い間違えた事まで話した。もちろん、言い間違えた事で気を悪くさせてしまったり気持ち悪い想いをさせてしまったりした事についてもしっかりと謝った。

 説明を終えた時に、俺の言い間違いを笑う者はいなかった。

 むしろ──


「えぐ、えぐ……ッ、真田さなだって妹想いの良い奴だったのねぇ……」


 スモモがめちゃくちゃ泣いていた。


「わかる! こいつはずっとそうなんだ……自分よりも妹をずっと思って世話して、毎日大変な想いしてんだ……俺と遊ぶのを我慢して!」


 事情を知っているはずの信也しんやまで泣いている。

 何でお前まで泣いているんだと思ったが、ツッコミは後だ。あと、俺はお前と遊ぶのをそれほど我慢しているわけではない。少しだけだ。


「まあ、とりあえず……誤解をさせてしまった分については申し訳なく思ってるんだけど、ストーカー男とか、コクったとか、そういう話ではない事だけはわかって欲しいかな……」


 スモモに言いながら、こっそりと伊宮さんの方を盗み見た。彼女がどんな顔をしているのか気になったのだ。

 伊宮さんは黙ったまま、眉根をきゅっと寄せて辛そうな表情をしていた。どうしてそんな表情をしているのか想像もつかなかったが、シスコンぶりにドン引いている様子ではないので、ひとまずは安心した。


「酷い事言ってごめんねぇ、真田ぁ! だって、みーちゃんが何も教えてくれないからぁ!」


 スモモが泣きながら非難する視線を伊宮さんに送った。


「えっと、ごめんね? 私も言わなきゃって思ってたんだけど……」


 伊宮さんは詰め寄るスモモに謝りながら、こちらにも面目無さそうな顔を見せた。


「どうして伊宮が周りに説明してやらなかったんだ? 依紗樹いさきが告ったわけじゃない事も、ストーカーじゃない事もお前はわかってたんだろ?」


 信也が少し伊宮さんをとがめる様に言った。

 かなり言葉を選んではいるが、彼は、彼女が周りの誤解を解いてやればここまで誤情報が広まる事はなかったのではないか、と言いたいのだ。


「えっと……その件については、ごめんなさい」


 伊宮さんは相変わらず申し訳なさそうな顔をしていたかと思うと、俺に頭を下げた。


「その……皆が変な風に勘違いしてて、話が変な方向に行ってるから、私も説明したいとは思ってたの。でも……それを説明するってなると、真田くんの、その、バブ……」

「バブ?」

「……バブみを同級生に求める性癖まで言わないといけなくなると思うと」


 何も言えなくて、と伊宮さんが顔を赤らめながら言った。一方の俺も、死にたくなるほど恥ずかしかった。

 まさしく彼女の言う通りだ。彼女は俺の狙いなんて知らないし、俺の妹が彼女をおかーさんと呼んだ事も知らない。ただ同級生から『俺のお母さんになってくれ』と言われて断っただけである。

 そこに告った・告ってないや、ストーカー云々が関係ないのは彼女とてわかっていたが、それを説明する為には俺の特殊性癖(いや、違うけど)も晒す事になると思ったのだ。俺の社会権を守ろうとすればするほど言えなくて、彼女も困っていたのだろう。とても悪い事をした。


「それに……男の子から告白された事はあるけど、『お母さんになって欲しい』って言われたのは初めてだったから。その、バブみを求められてるって思うと、何だか恥ずかしかったし」


 とりあえず、バブみバブみ言うのやめてくれないか。羞恥のあまり、屋上ここから飛び降りたくなってしまう。

 彼女の言い分をまとめると、未経験が重なり過ぎて、また要望も要望だっただけに恥ずかしくなって脳がショートしてしまった、という事だろうか。

 ただ、これに関しては彼女を責められる要素がない。俺だってそんな失言すると思ってなかったし、同級生に言う事になるとは思っていなかった。


「あとね、ちょっとショックだったって気持ちもあって」

「ショック?」


 どうして彼女がショックを受けるのだろうと思って、深く考えずにそのままオウム返しして訊いてしまった。


「うん。だって……そういう風に見られるって事は、私って恋愛対象とかじゃないのかなって──」

「え?」


 なんだか思ってもいない言葉が出てきて、俺が怪訝とした顔を向けていると、彼女も「え?」と首を傾げた。そして、「あっ!」と口に手を当てて驚いた様な声を上げた。


「な、なんでもない! なんでもッ」


 伊宮さんが、らしからぬ様子で慌てて首と手をぶんぶん振って否定した。

 俺が訊いてしまった事で、どうやら心で思っていた事が口に出てしまったらしい。ただ、この発言はどういう意味なのだろうか?

 俺が怪訝そうに首を傾げていると、横では信也とスモモが顔を見合わせ「お?」という顔をしている。

 もしかすると、伊宮さんってちょっと変わったところもある女の子なのかもしれない。

 俺は何となくそんな印象を彼女に抱くのだった。

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