第10話 ➡︎焼き尽くす

 晴天の荒野に、白い要塞がひとつ。


 巨大なワニは、遥か前方で眠っている。茶色い荒野でぽつんと佇むそれは、場違いな白さで鎮座しており、異彩を放っている。


「”完全詠唱”をするから、時間を稼いでねー」

「完全詠唱?」

「魔法陣と詠唱、どちらも丁寧に詠唱するので時間がかかるということです。恐らく大きな音のする方へ向かってくるので、私たちはなるべく注意を引きつけましょう」

「気付かれずに奇襲、ってわけにはいかないわけだな。死ぬ前に頼むぞ……」


 ザッ、ザッ、ザッ。


 サイレントバードの靴も履かずに、俺たちは向かっていく。この辺りはもう起きてもいい距離だ。


 俺はリリィに借りているフォルティブレードを握り直した。奴の大きさから考えれば心許こころもとない大きさだが、ダメージは0じゃないはずだ。0か1か、その差が大きい。


 わずかに、白い塊が動いた。


(起きたな……!)


 バッ! と、リリィが左前方に走り出した。クロコダイラスに近づきつつも、俺たちから離れるつもりだ。


「いくぞ! フィンリィ!!」

「はい!!」


 俺とフィンリィは右前方へ走り出す。一回目がリリィ、二回目がフィンリィ、三回目が俺、の順番だ。誰かが攻撃役の間、その他は支援に回る。


 まずはリリィ。頼んだぞ。


 クロコダイラスがその場で宙に舞い、中空で静止した。右と左、どちらに向かうか躊躇ためらっているようだ。


「こっちだ!!! 化けワニ!!!」


 ドォォォン!!!


 俺は近くの岩を思い切り殴った。爆弾でも爆発したかのように岩が吹き飛ぶ。


 くるりと旋回し、クロコダイラスが高速でこちらに飛んでくる。もはや飛空艇だありゃ。


 リリィは反対側で、木の枝で地面に魔法陣を描き始めた。急いでくれよ?


鬼封法陣オーベクス!!」


 印を結んでいたフィンリィが叫ぶ。


 ゴォン! と、クロコダイラスが結界に阻まれ衝突した。ローゼスに使っていた、結界に閉じ込める術だ。


「そういやそんな便利なのもあったな」

「ほんの時間稼ぎにしかなりません」


 ゴン! ゴン! とクロコダイラスは結界の内側から体当たりを繰り返す。その度ヒビが入り、それは次第に大きくなっていく。強度的には強化ガラスみたいなもんだろうが、今にも壊れそうだ。


 バリィィン!!


「言ってるそばから……!」


 結界は脆くも崩れ去った。ローゼスといいこいつといい、壊されてばかりで術の強さのほどがわからなくなる。


 クロコダイラスは体を捻って横向きになり、二人まとめて丸呑みしようと大口を開いた。前の嫌な記憶が蘇る、口の中の洞窟。


「くっ……フィンリィ!!」


 フィンリィを抱き抱えて真上にジャンプする。直後、バクンッ! と空振りした口が閉じた。


狐火フリグス!!」


 空中でフィンリィが唱える。閉じた口の上顎と下顎を縫うように、パキパキと音を立て、青い人魂が次々ぶつかって凍っていく。すると、思うように口が開かなくなり、体をねじってもがき出した。


 そういえば、ワニは噛む力は強いが、開く力はまるで無く、輪ゴムすら千切れないほど弱いと聞いたことがある。こいつがどこまで本物のワニの性質を踏襲とうしゅうしてるかわからないが、これは弱点なのでは……?


「でかした……!」


 シュタッ、と着地し、剣を握り直す。この体の主が剣にも覚えがあることは、握った時から感覚でわかっていた。


 横向きに倒れたクロコダイラスの腹に、高速で剣を振るう。


 スパスパスパッ! と小気味良い音を立て、鱗を切り裂いて無数の傷跡をつけた。


「オオォォォン!!」


 片側の口が開かないまま、クロコダイラスが不気味な声を上げた。腹からは血が流れる。人間で言えば画鋲が刺さった程度かもしれないが、痛み自体久しぶりの感覚だろう。少ないとはいえダメージもある。


 しかし、そのパニックの勢いのせいで、半分凍っていた口が開いてしまった。


「やば……」


 再度こちらに向かい体を旋回させ、襲いかかってくる。


 俺とフィンリィで陽動しつつ、なんとか躱していく。


(リリィはまだか……!)


 リリィの方に目をやると、魔法陣は完成しており、目を瞑って秘力を高めているのがわかった。赤い光に包まれ、周囲に赤い蛍の光のようなものが漂っている。なんの作用か知らないが、周りの小石達が重力を無視してふわふわと上昇していた。リリィの髪も水中かのようにゆらゆら揺れている。


 そして、いつものダルそうな声とは違う、はっきりとした口調で唱え始める。


「開け放つは魔界の門 我 おもうは炎竜の王

なんじあかき血脈は 獄炎の泉

汝を成す体躯たいくは 不動の証明

汝と地平を結ぶは 滅びの道筋

始まりに汝の影 終わりに地平の光

狭間の全て 灼熱をって消滅せよ」


 リリィがクロコダイラスに向けて両手のひらを突き出す。その手の中に光の粒が集まり、煌々こうこうと輝く火の球が形成されていく。だいぶ離れたこの距離ですら眩しくて直視するのがはばかられる輝きだ。その凝縮されたエネルギーの程がうかがえる。


「フィンリィ!! 離れるぞ! なんとなく消し炭にされかねん!」

「はい!!」


 リリィとクロコダイラスを結ぶ一直線上から、俺たちは飛ぶように離れる。



「焼き尽くせ!!! 灼熱の咆哮ロア・フレア!!!」



 ヒュン……ッ!


 光線が走る。


 ジュゥゥゥゥゥゥゥ!!!


「オオオォォォォォン!!!」


 リリィの両の手から放たれた光の太い柱。それは熱光線だ。


 クロコダイラスまで一瞬で到達し、横っ腹をバターのようにみるみる溶かしていく。生き物の焦げる臭いを放ちながら、直径3メートルほどの風穴を開けるまでに1秒もかからなかった。風穴の周囲はドロドロに溶け、溶岩に触れたかのように火が付いている。


 貫いた熱光線はその先の山すらもみるみる溶かし、その直線上の全てを蒸発させた。光線に触れて出来たトンネルは、高熱ゆえに真っ赤にギラギラ輝いている。多少離れていた俺のところまで熱気が嫌というほど届き、汗が吹き出す。


「なんちゅう威力……巨神兵か何かですか……」


 全てを溶かす破滅の熱光線だ。攻撃専門の魔術とはこれほどなのか。何年も傷をつけられなかった鱗が嘘みたいに溶けたぞ。


 ズドォォン! と、力を失ったクロコダイラスが地に落ちる。間違いなく、の死だ。


「あー疲れた。あとは頼んだわよー」


 ぺたん、とリリィが座り込む。光線が消えると、辺りの熱気も一瞬で冷めた。


 これだけの魔術じゃ、そりゃ疲れるだろう。このあと援護出来るのか……?


 そしてすぐ——


 クロコダイラスの死骸が動き出した。


 まるで中で誰かが着ぐるみを脱ごうとするように、モゴモゴと揺れる。もうが始まるのか。


「この隙に詠唱を開始します!」

「お、おう!」


 安心している暇はないと言わんばかりに、フィンリィが高速で指を絡め、印を結んでいく。この印は魔法陣(フィンリィの場合は”霊法陣”かもしれないが)の代わりになるらしい。詠唱+魔法陣=完全詠唱ということは、フィンリィもそれをするということだろう。


 どんなことをするのかわからない。またとんでも破壊光線を出されたらたまったものではないからな。


 俺はなるべくフィンリィから離れるため、疲労しているリリィに近づくために走り出した。


 フィンリィを白い光が包んでいく。そして目を瞑り、唱え始める。


「開け放つは霊界の門 我 憶うは銀狐ぎんこの覇者

悪戯いたずらに奪い 悪戯に与える者よ

寵愛ちょうあい打擲ちょうちゃくを 憎悪に口づけを

在るがまま 成すが儘 世界に混沌をもたら

我が肉体を依代よりしろ

銀狐憑依アルグ・ウルペス!!」


 フィンリィが神々しく、激しく輝いた。


「くっ……眩しい……!」


 まるで閃光弾のような眩しさに、思わず目を腕で隠す。


 輝きは一瞬で収まったが、まばゆい光を直視したせいで視界が歪む。


 じきに収まり、フィンリィを見た。


「どういうこと……?」


 フィンリィの姿が変わっていた。


 儚げで、妖艶な美女。


 髪も瞳も鋼のような銀色。腰まで伸びた長髪。衣服までもが巫女のような白い装束に変わっていた。顔立ちはフィンリィのままだが、心なしか目元がキリッと釣り上がっている気がする。フィンリィの気の強い姉貴です、と言われたら納得がいく感じだ。もしくは妖狐のコスプレか。


 フィンリィの持つ可愛さステータスを、そのまま”美しさ”に全振りしたかのようで、うん、これはこれで良い。酒場に潜り込んだ時のようなおっさんではやる気を損なう。前回のような、ただ変身したというわけではあるまい。


 銀髪フィンリィはさげすむような眼差しで、辺りを見回したり、自分の腕を持ち上げてみたりしている。その間にもクロコダイラスは脱皮を終え、抜け殻からにゅるにゅると新しい中身が出てこようとしていた。


「フィ、フィンリィ! 頼んだぞ!」


 俺が叫ぶと、銀髪フィンリィはこちらを一瞥いちべつした。ドMなら喜びそうな、見下すような目線。そして、つまらなそうに言った。



「嫌じゃ」



 ……え?


 嫌……?


 すっかり変わった容姿と目つき。冷たい言い方と語尾の”じゃ”。フィンリィが使いたがらなかったわけ。そして、いつか霊術の説明で言っていた「回復と交霊が得意な術」という言葉。


 これはフィンリィじゃない。何かが憑依している。


 まさか、憑依している”何か”までは、のか……?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る