5-11 聖女の奇跡

 フォードに掴みかかった直後、首元に受けた衝撃でリアナーレの視界は真っ暗になった。暗闇の中、チカチカと眩い光が点滅している。


 その光は次第にはっきり輪郭をとり、聖女様の姿が浮かび上がった。彼女はリアナーレが最後に会った日と、全く同じ外見をしている。


「お久しぶりです。またお会いできましたね」

「聖女様!? 生きているのですか?」


 尋ねてから、聖女様が生きているのではなく、自分が死んであの世にいるのではないかということに気づく。

 

 そわそわと周りの様子を窺うリアナーレを見て、聖女様はお上品に笑った。


「いえ、私の魂は既に天に昇りました。これは奇跡の一部……器に残された魂の残滓のようなもの。ここは死後の世界ではありませんのでご安心を」

「あの、私、聖女様の体で色々勝手なことを……済みません」

「体はただの器でしかありません。今はもう、その体は貴女のものであり、貴女ですよ」


 聖女様の許しの言葉を聞いて、すっと胸のつかえが下りた。好きに生きて良いのだと言われた気がする。


「聖女様は何のためにこのようなことを? 貴女が生き永らえるよう願えば良かったのでは?」


 リアナーレは疑問に思っていた奇跡の使い方についてを尋ねた。

 彼女の人生は幸せだったのだろうか。聖女として生まれ、幽閉され、退屈極まりない一生を終えたのではないか。


「シャレイアン王家に代々伝わる呪いを、貴女は知らないでしょうね。いえ、貴女だけでなく、王家の人間の記憶からも失われつつある。呪いだけ、その身に残して」


 聖女様は微笑みをたたえたまま、何も知らないリアナーレに説明をしてくれる。


 その昔、シャレイアンの建国者が悪魔に魂を売った。自らの魂だけでなく、子孫の魂をも売り、強大な力を手に入れた。

 王家の血を引く人間が、今尚呪いに蝕まれているのはそのためである。


 近隣諸国に比べ、シャレイアン王国の信仰が薄いのも、その名残。解呪と信仰の強化が、神から聖女に与えられた使命である。


「セヴィーが呪われている?」

「はい。上手く制御できておらず、このままでは全身を呪いに蝕まれ、自我を失って廃人になります」

「そんな……どうして聖女様は彼を救わなかったのですか?」

「約束、覚えてくれていますか? 彼の救済は貴女に託したのです」


 使命を果たすだけでなく、国の平和も、あなたたち二人の幸せも叶えたくなった。だから、一度だけ使える奇跡に


 リアナーレに体を明け渡すこと。呪いの浸食をトリガーとした残存思念出現と解呪能力の付与。

 今起きている現象全てが、奇跡の一部だという。


 次は普通の人生を歩めるよう、リアナ=キュアイス自身の魂の救済も願ったと、彼女は目を細めて告げた。


「私、思ったよりも欲張りだったようです。さて、貴女はそろそろ戻らなければ」

「待ってください! どうすれば呪いから救えるのですか?」

「触れて、強く願えば良いだけです。手遅れになる前に、成し遂げて」


 彼女を形作っていた光の粒子が散らばっていく。二度目の別れだ。

 聖女様は消えていく中で、思い出したようにリアナーレに囁いた。


「そうでした、――」


 言い残した言葉が、リアナーレを包む。

 温かく、切ない、全てを終わらせるため、彼女が残した最後の奇跡だと思った。


 世界が輝く。夜明けは近い。





「隊長!? 良かった……」

「いつまでもその呼び方するの止めなさいよ」


 どれほど意識を失っていたか分からないが、恐らく短時間だろう。

 一番に視界に飛び込んできたのはセヴィリオではなく、鼻水を啜るエルドだった。


 転がり落ちた際に打ち付けたらしく、体はあちこち痛むが、青あざとたんこぶができるくらいだろう。

 エルドに支えられるようにして、彼の膝から頭を持ち上げる。他の男に触らせるなと激昂する男の反応がない。


 それもそのはずだ。セヴィリオと、フォードが目の前で打ち合いを繰り広げている。

 模擬戦のような生易しいものではなく、どちらか負けた方が死ぬ、真剣勝負だ。


 二人の闘いを見るのは初めてだが、フォードが押し負けている。

 代わりに、セヴィリオの首から頬にかけて、真っ黒なうねりが肌を染めていた。

 あれが呪いの証なのだろうとリアナーレは察する。


 セヴィリオはついに、フォードの剣をはじいた。こうなれば、勝負は決まったようなもの。彼は裏切り者を殺すつもりだ。


「セヴィー、やめて!」


 リアナーレは叫ぶが、彼の動きは止まらない。しかし、思い留まったのか首を切ることはせず、防具の隙間からフォードの腕を貫いた。

 刀身から、鮮やかな赤が滴り落ちる。


「リアナ、次は止めないで」


 こちらを見たセヴィリオのアイスブルーの目は、別の色に見える。濁りきって虚ろだ。


 —―手遅れになる前に。


 聖女様の言葉が蘇る。リアナーレは彼に向かって駆けだした。後ろでエルドが待ったをかけるが、このままにはしておけない。

 セヴィリオを救えるのなら、切り捨てられても良い。


 きっと、彼はリアナーレを切り捨てるなど、これまでも、この先もしないだろうけど。

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