4-7 僥倖

「セヴィリオ様、先ほど西部の駐屯兵から書面が届きました」


 昼下り、いつもは優雅なモントレイが、足音を立てながら執務室を訪れる。要件は恐らく新たな戦のことだと察せられる。


「プレスティジに動きがあったか?」

「まだ確証はないようですが、心積もりをとのこと」


 セヴィリオは小さく折りたたまれた跡のある紙を受け取った。伝書鳩に結んで送られてきたものだ。


「冬場に動くとはな」


 セヴィリオの読みでは、次の開戦は雪どけの後になるはずだった。

 雪が積もってしまえば進軍が難しく、道中野宿をするのも厳しい。冬は休戦というのが、このあたりの一般常識だ。


「今年は暖冬です。この時期にしては珍しく、雪も積もっていない。とはいえ、プレスティジが無茶をするとは思えませんし、何か作戦があるのでは」

「モントレイ、緊急国議の準備を頼む。お前も出席しろ」

「承知いたしました」


 国として早急な決断が求められる事態である。その日の夕刻には各部門の代表が集められ、円卓が埋まった。


 招集されたいつもの顔ぶれの中に、タリス財務大臣もいる。富と権力に溢れた丸々とした見た目はどこにもなく、タヌキ男は余命僅かの病人のように萎れていた。

 セヴィリオの正面に座る性悪男のもとで、馬車馬のように働かされているのだろう。死よりも苦痛を伴う、ある種の拷問だ。


 セヴィリオは国議の場が嫌いだ。元から、相手の出方を伺い、腹の中を探り合うようような議会に嫌気が差していたが、リアナを死地へ送ることになった一件以来、一層嫌になった。

 部屋に足を踏み入れただけで動悸がする。兄と顔を合わせると、吐き気まで催す。


「聖女様は元気かな?」

「お陰様で」


 ライアスは弟の顔を見るなり、わざと気分を逆撫でるような発言をする。

 セヴィリオは未だに、この男が何故リアナに執着するのか掴めていなかった。大した理由はなく、彼にとってはただの暇潰しなのかもしれない。


「アストレイ公爵、レクトランテへの派兵要請は済んでるのかい?」


 セヴィリオが緊急国議の要件を簡潔に報告すると、ライアスが勝手に場を仕切り始めた。

 彼の元へは議会の招集と共に、軍から詳細の報告書を上げているので、この場で一々確認する必要もないのだろう。


「はい。明日には第一報が届くかと。正式な使者は別途向かわせています」

「今のところオルセラ側に動きはないようだし、今回はプレスティジ単独かな」


 いつものごとく呑気な第一王子に、セヴィリオの後ろ、壁際に立って控えていたモントレイは我慢がならなかったらしい。

 一歩前に踏み出して、発言をする。


「殿下、失礼を承知で申し上げますと、この厳しい時期に進軍をするということは、何かしらの勝機があってのことだと存じます」


 許可のない発言に、身分や格式をやたらと重んじる重鎮らがざわつくが、第一王子本人は全く気にしていないようだ。

 むしろ、ライアスはモントレイを贔屓しているようにも思える。


「好きに発言をしてくれて構わないよ、モントレイ伯爵。さて、今回の対応をどうするかだけど――」


 ライアスはセヴィリオを見て三日月の形に目を細める。軍事総帥は嫌な予感がした。





 扉がやたらと強く叩かれる。

 議会での横暴なライアスの物言いに鬱憤が溜まっていたセヴィリオだが、来訪者の予想がついて心を弾ませながら扉を開けてやる。


「リアナ、夜遅くに一人で出歩いたら危ないってあれほど――」

「私の部屋からここまで、たかが数十メートルの距離でしょ。それに、ちゃんと外にエルドがいます」


 想像通りの人物は説教に反論しながら、セヴィリオの横をすり抜けて部屋へと入る。

 入口付近のスペースに作られた、来訪者用のテーブルセットが既に彼女の定位置になっており、勧められるまでもなく勝手に座り込んだ。


「急にどうしたの」


 リアナは珍しく大人しかった。何か不満や文句を言いに来たわけではなさそうだと、行儀良く座る彼女の様子から推測する。


「これ、どうぞ」


 しばらくもぞもぞと体を動かした後、彼女は手に持っていた小さな何かを机に置いた。

 朱色の何か。それが何なのかよく分からず、セヴィリオは目を細めて観察する。


「糸……の塊?」

「ゔっ、薔薇をイメージしたレースを作るつもりだったの」


 リアナは顔を真っ赤にさせて言う。

 戦闘に関しては無敵の彼女にも、人並みに出来ないことがあるのだ。

 薔薇とは程遠い、糸が絡まっただけにも見える作品に、セヴィリオは思わず笑ってしまう。


「ふふっ……ふはっ、不器用だね」

「本当は刺繍をしようと思ったのだけど、針を指に刺しすぎだってメイドに却下された」

「正しい判断だと思うな」


 彼女についているメイドは、メイドとしてはどこか抜けていても、人として信頼に値する。リアナにとって、良い暇潰しの相手になってくれているだろう。


「こんなゴミ、もらっても迷惑よね。捨てる」

「いや、貰うよ。ありがとう」


 リアナが机から回収したものを、セヴィリオは奪い取る。

 彼女は両の手で顔を覆い、深く息を吐きながら俯いた。


「恥ずかしい。やっぱり慣れないことをするんじゃなかった」

「何で? すごく嬉しい。君がくれる物なら本物のゴミでも嬉しいのに、頑張って作ったものなら尚更嬉しいよ」

「貴方は本当にリアナが好きなのね」


 潤んだ紫の目が、指の隙間からセヴィリオを見つめる。


「ずっと、僕の片想いみたいだけど、少しは脈があると思っていいのかな」

「さぁ。せいぜい頑張って頂戴」


 リアナは唇をきゅっと結んだ後、そっぽを向く。


 ――何で慣れないことをしてまで、作って渡しに来てくれたの? 暇だったから? それとも、僕が喜ぶと思って?


「好きだよリアナ。本当に好き」

 

 隣に座り、彼女の頬を撫でた。白い肌が薄っすらピンクに染まっているのを見て、セヴィリオは期待してしまう。

 照れているということは、少しは男として意識してくれているということだろうか。


「今から、少し時間をもらっていい?」

「私はいつでも暇だから構わないけど、仕事は大丈夫なの?」

「嫌でも時間がとれなくなるだろうから、今夜はいい」


 セヴィリオは「おいで」と言って彼女の手を取り、執務室と繋がった奥の部屋へと進んだ。

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