4-4 闇夜

 まだリアナーレ=アストレイが戦女神として生きていた頃のこと。

 その日、セヴィリオは月に一度行われる国議会に出席しており、溜まった稟議書の始末をするため、夜更けまで執務室に残っていた。


 大臣どもの言い争いで会議が長引き、疲れ果てているところへ、軍の人間にしては珍しい控え目なノックが響く。

 こんな夜更けに訪れてくるとは、余程無作法な奴か、緊急の要件に違いないと思って扉を開けた。


「今晩は」


 そこに立っていたのは意外な人物で、セヴィリオは視線を彼女の背丈に合わせて落とす。


「一人?」

「ええ」


 彼女は上品に、ゆっくりと頷く。リアナ=キュアイス、星詠みの聖女。国王の勝手な決め事でセヴィリオが結婚させられた相手である。


 リアナーレの愛称と、名前が一緒なので紛らわしいが、セヴィリオにとってのリアナは、永遠にリアナーレである。これはどうしても譲れないことだ。


「僕を殺しにでも来たの」 


 予想だにしない突然の来訪者に、セヴィリオは身構える。

 娶ったにも拘わらず、全く愛すことのない夫への恨みが募った、ということくらいしか思いあたる節がない。


 聖女はセヴィリオの言葉を聞くと、口元に手をあて小さく笑った。


「そんなこと、する理由がないですわ」

「王宮に縛り付けている癖に、放置をしていることは、十分恨む理由になると思うけど」

「退屈といえば、退屈ですが。王子様に愛されたいなど微塵も思っていないので、求められないことは私にとっての幸せです」


 彼女の紫の目は暗い廊下でも光り輝いて見えた。澄んだ眼差しからして、彼女は嘘偽りなく事実を述べたのだろう。


「それでは何をしに」

「少しお話をしたいことがありまして。通していただけますか?」

「分かった。お茶を持ってこさせよう」


 セヴィリオは聖女を来客用の椅子へと案内し、衛兵にメイドを呼ぶよう声をかける。

 

 主人が夜遅くまで仕事を続けているのはいつものことなので、彼女らも対応に馴れてしまっている。夜食になるようなツマミと共に、すぐにやって来た。


 部屋に聖女がいることに驚いたようだったが、無駄口は叩かず、テキパキと紅茶を淹れて去っていく。


 メイドが出ていくのを見届けて、セヴィリオは執務机から、彼女の対面の椅子へと移動した。


「セヴィリオ様、そのままだと遠くない未来、身を滅ぼします」


 先に口を開いたのは、聖女の方だった。彼女は忠告をすると、淹れたての紅茶に口をつける。

 貴族の出だと勘違いしそうなほど、洗練された仕草だった。


「占いの結果か? くだらない」

「何のことか、貴方が一番良くご存知のはず」

「……何故知っている」


 彼女の不思議な目は、はっきりとセヴィリオの片腕を見ていた。

 衣服の下に絡まる蛇の呪いを、セヴィリオは一度も彼女に見せたことがない。話したことすらない。


「これでも私、一応聖女なので、正反対の性質を持つものには敏感なのです」


 そうか、と言う他なかった。彼女が普通の人間でないことは雰囲気から察してとれるので、セヴィリオは彼女の言い分に対して然程違和感を抱かなかった。


「このことは他言無用で頼む」

「ええ。それと、もう一つ、貴方にお話しておきたいことがあります」

「なんだ」

「こちらが本題です」


 ――私の命はもう、ひと月と持たないでしょう。


 彼女は自分は死ぬと言いながら、穏やかに笑っていた。


「それも聖女の能力で分かるものなのか?」

「はい。ですから今日は、お別れのご挨拶に参りました」


 聖女は笑みを絶やさず、セヴィリオに軽く会釈をして見せる。

 彼女は死に怯えるどころか、死を喜んでいるようだった。どこか素敵な場所へ旅立つ前日の高揚を彼女から感じ、セヴィリオは困惑する。


「何か、望まれる奇跡はございますか?」

「何の話だ」

「私は一度だけ。正確には死の直前に、神の奇跡を使うことができます」

「自分のために使えば良い」

「私はあまり、私欲がないのです。神様にお会いしてみたいとは思いますが、それは間もなく叶うでしょう」


 奇跡。そのようなものが存在するのだとして、他人に等しい夫の願いを叶えようとする理由は何だ。セヴィリオは全く理解できなかった。

 それでも、もし奇跡を起こせるのだとしたら、願うことはただ一つ。


「僕は……」

「はい」

「やはり、止めておく」


 別の女と結ばれたいなど、仮にも妻である女性に向かって言える願いではない。

 セヴィリオは思い留まったが、聖女は目を細めて思考を読むような素振りをする。


 そして、彼女は笑顔のまま告げた。


「リアナーレ=アストレイ様と一緒になりたい。そうですね?」

「……そうだ」

「ふふ、私のことは気になさらないで。誰か一人を愛するという感覚が、そもそも抜け落ちていますから」


 ところで、と聖女は話を続ける。


「大切なのは体と魂、どちらだと思いますか? つまり、貴方は戦女神様の外見と中身、どちらを愛しているのですか?」

「両方だ。どちらかを取るのなら、魂」


 聖女は慈愛に満ちた表情で、両の指先を重ね合わせた。それほど深く誰かを愛せることが羨ましいと、彼女はうっとり言葉を紡ぐ。


「一番良い奇跡の使い方を考えてみます」


 聖女はそう言い残すと、真っ暗な夜の廊下へと吸い込まれていった。

 立ち去る間際、セヴィリオは何かしてほしいことはあるかと彼女に尋ねたが、十分恵まれていますと首を横に振るだけだった。


 リアナ=キュアイスとまともに会話をしたのは、これが最初で最後だ。

 彼女と砕けた口調で話したことなど一度もない。セヴィリオの前では口が悪かったというのは、入れ替わったリアナのためについた嘘である。

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