4-2 絶望

「セヴィー。私、父様の仕事を継ぐことにした」


 急逝したアストレイ公爵の葬儀の日。真っ黒なドレスを着たリアナーレ=アストレイは、セヴィリオにそう告げた。


 その日は雨だというのに、公爵の亡骸を乗せた馬車を見送るべく、多くの国民が沿道に集まった。


 アストレイ公爵は貴族でありながら第一線で活躍する軍人で、街へ赴けば一般庶民のように振舞っていたという。故に、彼に対する国民の信頼は厚い。


 彼亡き後のシャレイアンは、隣国プレスティジとの戦争に敗北するのではないか。国民の間でそうした不安が渦巻いていると噂に聞く。


「軍に入るってこと?」

「そう。アストレイ家の娘だし、別に驚くことでもないでしょ。兄様が継ぐより余程ましだと思う」


 彼女の言葉は軽やかだったが、決して冗談で言っている訳ではないことは目を見れば分かる。


 その日も彼女は涙を見せなかった。亡き父に「貴方の後は私が継ぐので、どうか安らかにお眠りください」と語るような力強さで、遠くを見つめている。


 郊外の小高い丘に位置する墓地からは、街がよく見える。無機質な墓標の前、セヴィリオは雨でぬかるんだ土の中に沈んでいきそうな心地がした。


「約束はどうなるの?」


 彼女が一度決めたことを曲げるような人間ではないと知っている。

 アストレイ公爵家の家柄上、彼女が断れば間違いなく兄に話が行くことも、兄よりも彼女の方が適任であることも分かっている。

 国にとっては歓迎すべきことだろう。


 ただ、軍に入るということは、普通の公爵令嬢としての人生を諦めるということだ。王子の妃となる道は間違いなく途絶える。

 セヴィリオは彼女がその選択をしたことに絶望していた。


「ごめん」

「どうして……」

「これが、アストレイ家の人間に与えられた使命だと思うの」


 ――お姫様にしてねって言ったのはリアナなのに。強くて格好いい王子様になれなかったから? リアナはずっと、僕を恋愛対象として見てくれていなかったの?


 彼女と結婚する未来しか、セヴィリオは想像してこなかった。


 思い描いていた世界が砕け、崩れ落ちていく。目の前にはぽっかりと、真っ暗な空洞だけが残される。

 これから絶望の未来に向かって、セヴィリオはこの道を歩いていくのだ。


「貴方は私のような粗暴な女ではなく、可愛いお姫様を見つけて幸せになって」


 彼女の朱色の髪が風に流れる。きっと、彼女は黒の軍服が似合う。幼い日の約束など忘れて戦いに明け暮れ、国民の英雄として名を轟かし、国に生涯を捧ぐだろう。

 

 軍旗を翻し、戦場を駆ける彼女の幻影が見えた。王子の妃として王宮に閉じこもって生きるよりも、彼女にとっては幸せな人生なのかもしれない。


 ――それでも、僕は国よりも、リアナが大事だよ。そんな言葉、望んでないだろうけど。


 喉元まで出かけた、個人的な感情を必死に飲み込んで、セヴィリオは立ち去る。そのまま、オンベール王の元へと向かった。

 

 退屈そうに玉座に座る父親の前に跪き、生まれたばかりの覚悟を伝える。


「僕に軍事総帥の後を継がせてください」


 突然の申し出に、王は驚く素振りは見せなかった。その代わり、興味なさそうに鼻で笑う。


「お前に務まるのか? アストレイの娘にも勝てぬと聞くぞ」

「死ぬ気で努力をします」


 学問、武術、教養、王子としての教育は最低限こなしてきたが、どの分野でも兄に勝てた試しがない。その時点で、セヴィリオは父親に見放されている。


 武術で女にすら劣るような息子が、軍のトップに立ちたいと言い出したら、鼻で笑いたくもなるだろう。


 国王はまだ、リアナの化け物じみた戦闘力を知らないのだ。亡きアストレイ公爵をも凌ぐ才能の持ち主、と言われていることも知らないに違いない。


 今のセヴィリオに軍を統率するだけの力がないこともまた、事実である。だから、文字通り死ぬつもりで力を手に入れるのだ。


 最愛の人のためなら命をかけられる。何としてでも、彼女を陰から支え、護ってみせる。例え、報われることがなかったとしても。


「務まるかはどうあれ、お前の身の置き場としては丁度良いかもしれんな。次期アストレイ家当主に務まるとも思えぬ」

「それでは――」

「どうせお飾りだ、期待はしていない。重要な局面の最終決定は、私とライアスに委ねるように」


 顎髭を指で弄りながら、オンベール王は言った。彼の目は、セヴィリオを真っ直ぐ見ようとしない。曇っていて、焦点が合わない。


「承知……しました……」


 セヴィリオは大人しく引き下がる。何を言っても無駄だ。シャレイアン現国王は冷酷で横暴、人間味に欠ける。


 国に仕えるということは、この男に仕えるということ。都合良く消費される未来が待つだけだ。


 首から下げた婚約指輪を握りしめる。母親の形見だ。

 母を見捨てた父のようにはなるものかと思っていたのに、最早指輪を渡すことすら叶わない。

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