1-6 ルーラの涙
シャレイアンの王宮は、崖の上にそびえるようにして建っている。
到達するには崖沿いの、広くない一本道を上る必要があり、難攻不落の城と名高い。
聖女様の部屋の窓からは、国内で一番大きな湖や、城下に広がる赤レンガの街の様子、そして遠くに水平線を見渡すことができた。
シャレイアンは東に海、北西には山脈が連なる、自然に恵まれた国だ。プレスティジの企みも理解できる。
リアナーレは今朝発生した想定外の虫を追い払った後、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
円形に造られた街の広場を、人々が忙しなく行き交っている。
「リアナ様、あの、あのですね……」
逃げ出したルーラは遅い朝食を運びながら、顔面蒼白の状態で戻ってきた。何かを伝えようとして、躊躇っている。
「兵が戦地から帰還した?」
「もうご存知でしたか」
「いや、なんとなく、街の様子からそう思っただけ」
王都帰還の際、リアナーレはいつも騎馬隊の先頭にいた。街の人々が、勝利と生還を祝して、王宮までの沿道に集まるのは恒例行事だ。
先程、米粒ほどに見える人々が、沿道方面へと出掛けていくのが見えた。
窓から身を乗り出せば、戦地へ持ち出していた軍旗が再び掲揚されていることも確認できるだろう。
「その通りです、兵が戻りました。それで……戦には勝ったのですが、リアナーレ様が亡くなられたらしいんです」
ルーラは大粒の涙を溢し始めた。私情を隠せない彼女は、王宮に仕えるべきメイドとしては失格だが、幽閉状態だったリアナにとっては、良き話し相手だっただろう。
「泣かないで、ルーラ」
「リアナーレ様がぁ……うっ、うぅぅ……っ。明日から何を頼りに生きていけばいいの……」
「頼りって……」
リアナーレは彼女がそこまで戦女神に惚れ込んでいるとは思っておらず、泣き止まないことに驚いていた。
「あの方は私の光だったのに、まさか亡くなるなんて。最強の女神様が命を落とされるなんて、そんなはずがありません〜」
そんなことがあったんです。
リアナーレは自分の情けない最期を思い出し、項垂れる。戦女神の人生最後にして最大の黒歴史だ。
憧憬対象の死に胸を痛め、泣き続けるルーラを前に、リアナーレは迷った。
入れ替わりのことを言うべきか。言わざるべきか。どちらを選んでも、ルーラは悲しむことになるだろう。
セヴィリオに隠し通さなければならない以上、リアナーレとしては秘密を共有する味方が一人、側にいてくれると心強い。
そして、素直で正直な彼女には、騙すようなことはせず、真実を話しておきたいと思った。
「ルーラ、驚かないで聞いてね」
リアナーレは戦場で命を落としてからの、怒涛の出来事を語り聞かせた。
ルーラはしゃくりを上げながら、涙を拭う。
「つまり、今のリアナ様はリアナーレ様?」
「そういうこと」
「では、リアナ様は本当に亡くなられたのですね……」
「分からないけど、そうだと思う」
暦を確認すると、リアナーレが死んでから、リアナの体で目覚めるまでに数日が経過していた。
それを踏まえると、完全な入れ替わりではなく、リアナの魂が抜けた器にリアナーレの魂が入ったと考えるのが妥当だろう。
――大丈夫です。貴女の魂はとても強いので、寿命はまだ先ですわ。
聖女リアナ=キュアイスの鈴のような声音が、頭の中に反響する。
「聖女様は、こうなることを知っていたのかも」
「そうですね。リアナ様にはきっと何か、お考えがあったと思うんです。普通の人とは異なる時空を生きているような、不思議な方でしたから」
聖女様が宿していたキラキラとした目の輝きは、今のリアナの体からは失われていた。あれは、彼女の魂に結びつく、聖女の証だったのではないだろうか。
そういえば、一生に一度だけ、奇跡が使えると言っていた。
医者が感極まっていた通り、リアナーレの魂が乗り移ることができたのは、聖女様が起こした奇跡のおかげなのかもしれない。
「とにかく、このことは誰にも言わないで。セヴィリオには絶対バレないようにしないと」
「はい。承知しました! 私はこれからもリアナ様とお呼びしますね」
「うん、それでお願い。昔はリアナって愛称で呼ばれてたから、大して違和感もないしね」
聖女様が見つかる前は、リアナーレはリアナと呼ばれるのが普通だった。
セヴィリオも例外ではなく、幼い頃は彼にもリアナと呼ばれていた。だから余計に、その名を呼ばれると、自分のことだと錯覚しそうになる。
「さて、私も戻ってきた者たちを迎えますか」
リアナーレは手を組み、天井に向かって背筋を伸ばした。
「はい! 急いでドレスを準備します」
「一番シンプルなやつにして。裾を踏んで転ばなくて済みそうなやつがいい」
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