思い出×事実婚
「まぁ、俺の話はいいだろ……水道水を飲んだだけなんだし、それより初の話を聞きたいんだ」
「えー、でも私、私のことにあんまり興味ないです」
自分の話をするのって興味あるかどうかなのだろうか。
「……あー、じゃあ、親父とか……初の母とかとの思い出を話してくれよ」
「ん、いいですよ。えっと、ここの家を選んだのはお母さんだそうです。お父さんはお庭がある家が良かったらしいんですけど、昔は都会でしたし、建て直すようなことも難しい場所なのでそんなお庭があるいい家はなかったらしくて」
「ああ、まぁ空き家は多いけど空き地はないもんな」
初は手を伸ばしてカーテンを開けて、窓からすぐそこにある塀と何も植えられていない植木鉢を見る。
「お父さんは植物とかが好きなんですけど、お父さんもお母さんも毎日お水をやったり草むしりをしたりって、そういうのが苦手で、私がその係でした」
「どんなの植えていたんだ?」
「えっと、ミニトマトとか、キュウリとか、あとゴーヤに……」
初は指を折りながら口にしていき、パッと顔を赤らめて首を横に振る。
「ち、ちがいますよ。私が食いしん坊なんじゃなくてお父さんが買ってきたやつですからね! 別に食べたくてお世話をしていたわけじゃないですから!」
「……美味かったか?」
「ん、まぁ美味しかったですけど」
俺がクスッと笑うと初は「もー!」と怒り、ソファに座ったまま肩をとんとんとぶつけてくる。
「意地悪です。兄さんは」
「いや、別に食いしん坊とは思ってないよ」
「うー、からかってきますね……」.
初はそれから洗濯機に洗剤を入れすぎて泡だらけになった話や、親父がご飯を炊くのによく失敗しておかゆみたいなご飯を食べたこと、毎年大掃除をしていたことなどを話していく。
とても楽しそうな語り口は、そんな光景を見たこともない俺でも目に浮かぶようで思わず笑いながら聞いていく。
初はホッと息を吐いて、コーヒーに口を付ける。
「ん、もう、兄さんの話を聞くつもりだったのに私の話ばかりです」
「悪い悪い。幸せそうでもっと聞きたくなっちゃってな」
「……もう、ふたりともいませんけどね」
初は少し寂しげに言ったあと、俺の肩に身を寄せる。
「……兄さんが来てくれて、良かったです。ひとりではこの家は広すぎて、ひとりではこんな時間は長すぎて。……ずっと、リビングの照明を消してました。壁の端まで見えるとその広さが寂しくて」
「……ああ、これからさ、俺とのこともさっきみたいに楽しそうに話せるようになってくれると嬉しい」
「えへへ、もう話せますよ」
初が照れたように笑ってから、小指を俺の手に当てる。きっと手を握ってほしいのだろうと理解する。
けれど、この手を握り返してもいいのだろうか。
ゆっくりと初の方に目を向ける。とても可愛らしく、こんなに笑いかけてくれる人は初めてだ。
だからこそ……罪悪感が俺の腹の中にうずまいていく。
「……初はさ、寂しかったんだろ」
「そうですけど、どうかしましたか?」
「……いや、あまり今の段階でベタベタするのは悪いかと思ってな。初、冷静じゃないだろ」
突き放すような言葉かもしれない。口にした言葉を一瞬で後悔して、けれども初の目をしっかりと見る。
初は少し驚いた表情をしてから、形の良い唇を微かに動かす。
「まぁ……冷静ではないです」
「えっ、認めるのか」
「……ん、ちゃんと自分の精神状態は分かった上で甘えてます。私は今、とても辛いので、誤魔化そうとしてます」
「……そういうの自覚あるタイプの人間っているんだな」
初はコクリと頷いてから、ぐでーっと俺の肩にもたれかかる。
「冷静ではありませんけど、冷静なときの私でも……兄さんのそういう正直で生真面目なところはとても好意的に見えると思います。あまりお行儀がよくないのは普段なら少し気にしてると思いますけど、直そうとしているのは好印象です」
「自分を分析してる……」
初はそれから「んっ」と咳払いをしてから続ける。
「恋愛感情とか、そういうのはかなり性急です。普段の私はどちらかと言うと臆病なので感じても認めないと思います。特に立場として妹なのですから、それから離れて好意を伝えるのはありえないです。普段の私とは大きく違うので、とても冷静とは言えないでしょう」
「あー、なら、こうやって隣にいるのはやめとくか? 落ち着いてからにした方がいいかもしれないだろ」
「いえ、私は人のいないこの土地に一生引きこもるので、兄さんを逃すと伴侶を得ることが出来ませんから、問題ないです」
伴侶という言葉が出てきたことにビビると、初は不思議そうに首を傾げる。
「どうかしましたか?」
「い、いや、随分とぶっ飛んだ話が出てきたなと」
「……えっ、私のことが好きで一緒にいたいんですよね?」
「それはそうなんだが……。いや、いくら一目惚れしたとは言えど、高校生の身分で結婚とかそういう話が出るのは、ビビるだろ」
俺が若干引きつつそう答えると、初は俺の袖を握りつつ首を横に振る。
「でも、現実的な話として……私も兄さんも、一般的に人に好かれたりする感じじゃないですし、ここにいる以上は他に相手なんて早々現れるものでもないです」
「まぁ……それはそうなんだが」
「兄さん、そんなに難しく考えるものではないです。所詮、世間一般では本当に好きな人と結婚するというパターンは非常に少ないわけです。私の恋心が冷めたとしても責任は果たすので平均的な結婚よりは愛もありますし、兄さんは今も平常心なんですから。おおよそ、問題はないけです」
言うほど問題ないだろうか。妹との事実婚というのは……。いや、まぁ……お互い、これを逃したら一生結婚する機会は訪れない可能性は高いのだが……。
「若いうちに腰を落ち着けるのもいいと思いますよ。付き合って別れてと繰り返すのはそこそこ時間かかりますし、その時間を他に費やせるとしたらお得でしょう」
初は明らかに若すぎるんだよなぁ……。
「それに、これからふたりで大恋愛なんてことはないでしょうし、特に大きなイベントとかもなくのはほんと生きるわけなんですから、特に気にする必要なく婿に来たらいいんです」
しかも俺がもらわれる側なのか……。
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