第38話 外伝

ーーー『はしけ』というものを初めて知ったのは父にねだった本がきっかけだった。


自身は荷物の運び役に徹し、先頭の船に行く先を任せ、身をきしませながら付き従う。


その様は父、あるいはこの先の自分自身の様に思った。


王国の東方の海なんて、辺境育ちの自分にはとても同じ国の出来事に感じなかったが、遠く離れた地で同じ様に働く艀が今も水面を進んでいるかと思うと、不思議と躰の奥に熱いものが流れるのを感じたーーー


「あなた…」

「どうかお気を付けて…」


自分には出来すぎた家内だった。領主である本家の当主、つまり叔父の勧めで引き合わされた時は、何故従兄弟ではなく自分なんだと随分といぶかしんだものだった。

後年になり年下の従兄弟は剣に明け暮れ、妻を娶るどころではなかった事を聞かされるのだが、出来すぎた家内と、この時既に誕生していた幼い我が子アプールに引き合わせてくれた神には心底の感謝をし、帰宅すると一目散に2人を抱きしめる日々だった。


同時に常に先陣を切る年下の従兄弟の為、祖国、そして領土の為、どんな重い荷であろうが決して沈まぬ艀であろうと心に決めた。




ーーー「図体の割に頼りない男ね」


領主様の甥だと言うから会ってみたけれど、騎士団の勇猛な威風など微塵も感じない目の前の大男。


そんな第一印象だった。


少し年上の小心者の大男よりも、先程庭で剣を振るっていた、随分と年下だが領主様の御子息の方が頼りになりそうだわ。


まぁ商家の娘の自分が領主の家に嫁げるのだから贅沢など言うまい。実家の父の喜びようでは尚更後には引けなかった。


そう思っていた。



あれは婚約をしてすぐの頃。偶々届け物をしようと騎士団の本部を訪れた時だった。


今まで遠巻きに眺めるだけだった騎士団の内部。


訓練場を兼ねた庭に足を踏み入れた瞬間だったのを今でもハッキリと覚えている。


大気が震えるような振動と同時に目に映った2人の大男。


白髪の老騎士の振るう身の丈程も在ろうかという長大な柄の斧を、私のベッド程の盾で受け止めている婚約者。



二人きりの時には決して見せない真剣な面持ちにすっかり心を奪われた。


届け物の事など一度目の剣戟で何処かに吹っ飛んでいった。


ただただ目の前の婚約者だけを飽きもせずに見守っていたーーー


結婚と子を授かったのはどちらが先だったのだろうか。

勘の鋭い先達にはバレバレだったが、そんな事はどうでも良かった。


ふしだらと陰口を叩かれようとも構わない程に愛してしまっていた。


大きな二の腕を枕に包まれる様に眠りに着くのが好きだった。

いくら早起きに努めようとも、目を覚ますとこちらを向いてじっと目を細めている貴方が好きだった。



あの日が来るその時まで。そして今でも。


幼くして父を亡くした我が子が騎士団に入るのを止めはしなかった。

もしろ寝しなに語った物語は殆どが夫の武勇伝ですらあった。


そう。あの日、私の中にも熱い鉄が入り込んだのだろう。


『我が鉄血は不倒にして不屈』


父を越える巨躯の艀。


初めて戦場に送り出す時、母は息子の二の腕を短く抱きしめると、背中をバチンと叩き彼女流の進水式とした。



鉄花のナヴィガトリア 外伝


『Barco Negro』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る