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  …………ァーーーーン…………。


  「鐘の音が、」


  ガァーーーーーーン…………。


  「また、空が裂け、大地が悲鳴をあげています!」


  ガァーーーーーーン…………。


  窓を開け放ち、耳をすませてみても何も聞こえない。ルールは怪訝にナーラを見たが、同じ様な顔で首を振った。


  「おそらく、幻獣ヴェルムの加護を受けた、エルローサの者にしか聞こえない」


  何も聞こえないと、首を傾げる十枝にメルヴィウスは説明する。ルールは軽く眼鏡を押し上げて、怯えるファンに頷いた。


  「新たな聖女の召喚ですか?」


  聞いたエレクトに、震えるファンは「はい」と呟く。それを気遣う様に見て、フィオラも兄を見上げた。


  「大地が悲鳴を上げるとは、相当不気味な現象ですね」


  「本当に。何度も何度も、聖女とは、まるで虫の様に湧くな」


  吐き捨てたメイヴァーだが、エレクトも震えるファンを見つめたまま、ここには居ない重要人物を思い出した。


  「未だ消息がわからない。……この件に、セオル・ファルが関わっているんだろうか」


  「学院では、境会アンセーマの教師であるエンヴィー祭司も最近見ない。境会やつら、何か企んでるぞ」


  メイヴァーの言葉に、メルヴィウスは報告書類からふと顔を上げた。


  「……そういえば居たな、エンヴィー・エクリプスだったか? リリーにおかしな事をした…」


  「エクリプスって、あの教師の話?」


  この場では聞くことの無い声に驚いた。見ると忙しく動き回る騎士の間をすり抜けて、可憐な青色のドレス姿がやって来る。


  「姫様、」


  いつもは会議場に足を踏み入れないリリーだが、何食わぬ顔でエレクトの真横に立ち止まった。


  「リリエル、何の用だ」


  眉をひそめたメルヴィウスに、ルールは無言で眼鏡を押し上げる。そしてナーラがリリーを遠ざけようと前に出たところで、言い訳に口を開いた。


  「だって何だか、とっても騒がしいから。気になるじゃない」


  「……今は仕方がない」


  「学院で、何か大きな行事でもあるの?」


  「え??」


  問われた内容に逡巡した。エレクトは、様々な内容を知らないはずのリリーから、どぎまぎと一歩下がった。


  「邪魔だ。部屋に戻れ」


  厳しく言ったメルヴィウスに、蒼い瞳は兄を睨んだが、意外にも不満をもらさず素直にこくりと頷いた。


  「ファンくん、一緒に行きましょう」


  自分と同じくこの場では浮いている少年。リリーは青ざめたままのファンを連れ、目を眇めるメルヴィウスを見ないように戸口に向かう。だがふと、立ち止まって人差し指を顎に当てた。


  「そういえば、エクリプスってあまり良い意味じゃかったような……?」


  「…なんだって?」


  「だってさっき、お兄様が言っていたじゃない。エンヴィー・エクリプスって、境会アンセーマの教師の方の噂でしょう?」


  「良い意味って、お前、エクリプスの何か、知っているのか?」


  「何かって、そんな、この会議場で皆様に発表するほどのものでも無いわ」


  忙しく動き回る騎士たち。その彼らを指揮する者たちが集う会議の場。メルヴィウスと十枝の視線が自分に集まって、リリーはあたふたと口ごもる。


  「……?」


  そのリリーを見て、エレクトは問われた内容の違和感に、内心で首を傾げた。


  「いいから、言ってみろ」


  兄に促されたが、長引かせた事で余計に集まった注目に赤面する。


  「?」


  いつの間にか震えは止まり、自分を見上げているファンの赤い瞳に、リリーは負けてはいけないある男を思い出して、こほんとその場を仕切り直した。


  『日蝕? 月蝕?』


  リリーの言葉に聞き耳を立てていた周囲の騎士も立ち止まり、その場はしん、と静まり返る。


  誰一人、聞き取る事が出来なかった。いつものリリーの不明な独り言が披露され、この時メイヴァーは、教室内でセセンテァが口にした「意味を説明して下さい」という追及に賛同したが、その後に紙を突き破ったリリーを同時に思い出した。


  「何、メイヴァーお兄様、お顔が赤いわ」


  やましい内容を妹のフィオラに見抜かれた。それを隠すように咳払いをしたところで、再びメルヴィウスが意味を問いかける。


  「聞こえなかった。分かるように説明しろ」


  「ああ、いつものね。ええと、お日さまが、月によって隠される? みたいな」


  「蝕、ですね」


  ルールの言葉にその場は落ち着いたが、フィオラの疑惑の視線から逃れる様に、メイヴァーは口を開いた。


  「そのエンヴィー・エクリプスですが、他の祭司とは違い、名前の登録がありませんでしたね」


  「名前が無い?」


  「はい。境会アンセーマの者たちは、多くが王族との婚外子であり、継承権は無く生涯祭司となるようですが、その中で、あのエンヴィー祭司には、境会アンセーマ名しか記載がありませんでした」


  「親から、捨てられたのかしら」


  思ったよりも冷たい声が出た。ファンは、それを言ったリリーの、見たこともない感情の抜け落ちた顔を不安げに見上げた。


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