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  穏やかな波の音だけが聞こえる、月夜に照らされた黒い海の上。


  人目をはばかり出航した一艘の船には、布で覆われた商品と数人の男達が乗っている。その一つに被せていた布が風に煽られ飛んでいき、慌てて掴んだ船乗りが、振り返って驚いた。


  「おい、これ、どーなってんだ!?」


  出航前に見ていたのは、豊満で妖艶な褐色の身体に、目の覚める様な赤毛の女だった。だがその女は泡の様に消え去って、貧相な体つきの黒茶髪の女が横たわる。


  「おいおいおいおい、どーなってんの、これ」


  絶世の美女を船に乗せたと喜んでいた男たち。それを東の山岳部族トイへ引き渡すと言ったグラエンスラーに不満を漏らしていたが、変わり果てた内容に頭を抱えた。


  「どーすんのこれ、次代になんて言えばいーの?」


  ーー「頼んだよ。そうでないとお前ら、これからは眠れない夜が始まるからな」


  動き出した船、無防備な商品に鼻の下を伸ばした船員たちに、手を出すなと笑顔で釘を刺し見送ったグラエンスラー。


  『え、あれ? オルガンさんは…?』


  目を覚ました商品は聞きなれない言葉を呟く。それを呆然と見ていた男たちは、困惑に青ざめた顔をそれぞれ見合わせた。


  「ある意味、眠れねぇ夜が始まった……」



 **



  忠実なる王の僕、王警務隊。


  二百年前から続く名誉ある職務は、王都内では王命に等しい権力を持つ。


  庶民貴族の枠に囚われず、後ろ暗い者達には恐れられ、そうでない者達には尊ばれる善悪の剣。


  ただそんな彼らが踏み込めない領域がある。それは王ただ一人にのみ従う左右の大臣。その両家の一族には、手を出せないという不文律があった。


  王族の学院内薬物の持ち込みが発覚しそれ以降、定期的に生徒達の持ち物を改める。

 

  抜き打ちで行われる行為に恐々とする生徒たち。顔には一切出さないが、怯える者達をいつも優越感に見ていた王警務隊のアエルは、自分を見つめる冷ややかな蒼い瞳に気がついた。


  (ダナー家の娘か)


  目の前の生徒の鞄の中身が隅々まで暴かれて、衣類の裏側まで漁られる。


  羞恥に赤くなり涙目になる女子生徒に何を思ったのか、大公女の蒼い瞳は王警務隊を見ると軽く首を傾げ、不満を示すかの様に腕を組んだ。


  スクラローサ国に在りながら、王国の法から外れた厄介な者たち。そして同時に、左右かれらは王警務隊にも干渉はしてこない。


  そのはずだったのだが、アエルは大公女の強い瞳が気になった。


  「……何か?」


  調べ終わり、解放されて着席し、恥ずかしげに胸元を引き寄せ俯く生徒から目を離す。


  それを見つめた後、再び無言でアエルの上から下までを眺めた蒼い瞳は、真白い指先で顎を支えると足を組んだ。


  「私、リリエル・ダナーと申します。貴方のお名前は?」


  「!!」


  不可侵の不文律に手を掛けた。それにアエルだけでなく、他の王警務隊も驚きに振り返る。


  「リリー様」


  プラン家の跡取りが諌めるのも構わず、美しい大公女は再びアエルに向き合った。


  「王警務隊所属、アエル・スペース・デルフェルメと申します。右大臣ステイ大公国、ダナー大公令嬢」


  「デルフェルメ卿ね」


  繰り返された名前。それ以外は何もなく、リリーは興味を失ったかの様にアエルから瞳を逸らした。



 **



  「気があるのではないか?」


  「それはそうだろう。俺だからね」


  これまでに数多くの女を泣かせてきた自覚はある。同僚からの艶事の冷やかしにも、常に当たり前で通っている。自他共に認める色男として有名なアエルだったが、蒼い瞳にそれを感じる事は出来なかった。


  そしてそれを確かめる為に、翌日大公女の元へと向かった。



 **



  (噂には聞いていたが、あり得ない護衛だな)


  大公女に声をかけるには、時と場所が限られる。正式に屋敷に訪問するわけでもなく、学院内ですれ違う事もほとんど無い。


  手っ取り早く気軽に声をかけれる場所は帰宅時なのだが、馬車に乗り込むリリーを取り囲む護衛に、アエルは声かけを逡巡した。


  (カインの執行官ガレルヴェン・ソル、デオローダの調査官ナーラ・フレビア、パイオドの監視官セセンテァ・オウロ……。あんた達、領地に帰らないで、なんでいつまでも王都ここに居るんだ……)


  名だたる者達は、一人の女子生徒の送り迎えをしている。それを平静に見る事が出来なかったが、近寄るアエルを不審者と見なし、セセンテァが立ちはだかった。


  「王警務隊所属、アエル・スペース・デルフェルメ卿、何か?」


  隊服を着ていない。そのアエルを、会った事も無いセセンテァが名乗った事に、内心でゾッとした。学生服の元から覗く入れ墨、何もかもを見透かす様な銀色の眼は、監視官としてアエルの何処までを調べたのか。


  自分に声をかけた、大公女の気持ちを気軽に確かめに来た。そんな迂闊に後悔を抱き始めたアエルだったが、そこに救いの声が降り注ぐ。



  「セセンテァ様、いいのよ。その方に、用があるのは私なの」



 

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