33
「お手を」
「ありがとう」
校門の前で、いつもの様にトライオンの手を取り馬車から降りる。黒制服に身を包み、凛としたリリーの姿にエレクトは安堵した。
だが内心エレクトは、リリーの美しい姿を見るたびに、失った大きな機会に、身を引き裂かれる思いがした。
リリーの危険に配慮出来なかったエレクトへの罰。それは、一族内でのリリーへの求婚の権利の剥奪だった。
自分を庇うリリーのために、もう二度と同じ失敗は許されない。エレクトは、リリーへの恋心を永遠に封じた。
*
玄関口に近付くと、周囲は不穏にざわめいている。見ると先の方に、白制服の者たちがこちらに気付いてあからさまに態度を変えた。
だが先頭を歩くリリーは、こちらを睨み悪態を口にする
「!!」
悪戯する子供に呆れる大人の微笑み。美しいリリーの慈愛の笑みに、白制服の男たちは顔を赤らめ口ごもり、女たちは逆に苛立ち紅潮する。
(あれは)
白制服の生徒たちが、珍しく何故この場所に留まっていたのか。その答えは、久しく見ていなかったアトワ大公家の後継者、フィエル・アトワ・ハーツの姿にあった。
「姫様、フィエルです」
取り巻きたちに囲まれながらも、存在感は一際目立つ。アトワ家の直系に多い薄弱な色彩。真白い肌に、白髪。そして血の様に赤い眼は、リリーの蒼い瞳を捉えた。
「…………」
端正な顔立ちと精悍さを兼ね備え、文武両道で常に上位に位置する。スクラローサ学院では柔らかい印象のグランディアと比べて酷薄な雰囲気のフィエルだが、人気は一二を争っている。
初めてフィエルを見る生徒も、久しぶりに目にした生徒も、一様に注目して頬を染める。そのフィエルの姿に何を思ったのか、リリーは無言で眺めていた。
「フィエル様、ダナーの者も、フィエル様に見惚れています」
「怖いわ、あの方の悪い目付き」
「…………」
(見惚れている?)
取り巻きの女子生徒の言葉に、フィエルは違和を覚える。
「……」
そしてその瞳は、突然興味を失った様に逸らされると、フィエルを振り向かずに去って行った。
(なんだ、あの女は)
**
眉目秀麗、いつもにこにこと人当たりが良く、兄を立て、自分の立場をわきまえて前に出過ぎない。
その第四王子が突然牙を剥き、兄弟を引きずり下ろして王太子となった今。以前と変わることなく穏やかに笑いかけてきたグランディアに、第三王妃は絶望した。
「エルストラを、あの、ザーラ……公爵に?」
第三王妃と共に呼び出されたフィンセンテ自身も、奴隷競売でザーラと競り合った。醜悪で肥えた隣国の化け物公爵に可憐な少女が買い上げられると、それをおぞましいと笑って見ていた過去がある。
そのザーラに自分の娘が捧げられるという内容だったことに、王妃は意識が遠のいた。妹を支える青ざめた元侯爵に、グランディアは「大丈夫ですか?」と声をかけると、控える侍従を片手で呼びつける。
程なく戻って来た侍従は、よろめく第三王妃を労る飲み物ではなく、書類と筆を卓に用意した。
「これは人身売買ではありません。先方が、どうしてもエルストラとの婚儀を求めているのです。ですが決断は、彼女の母方であるフィンセンテ家に委ねると、父王からのお言葉です」
「……あり得ません。そんな、ザーラ公だなんて、恐ろしい。貴方も、よくも平然とそんなことを。あの子は、貴方とも、血の繋がった兄妹なのですよ、」
古くから王家を支えるフィンセンテ侯爵家の方が、アトワ大公領出身のグランディアの母親よりも格上だと、いつも婦人会で自慢していた第三王妃。
グランディアは、半分だけ繋がりのある兄弟姉妹を、全員敵だと思って生きている。
「そうですか。先方が公爵家なので、それに見合う様に、取り上げた爵位をある程度は戻そうと、議会に薦める事も出来たのですが…」
「!!」
「返答期日までに、この事は、家門の皆様ともご相談になって下さい」
既に一族の者たちにも伝えてある。失った爵位を取り戻すために、第三王妃の一存では決められないと、グランディアは血の気が失せた兄妹に最後通告を言い渡した。
*
(一つ片付いたな)
憔悴した兄妹を笑顔で見送り、残った午前の仕事に向かう。
王太子となり学業と仕事を並行している。目まぐるしく仕事に追われる日々だが、今日は朝から気分が良かった。
それは護衛のサイが、グランディアのために仕入れた情報があったから。内容は、ダナー大公女の冬季学期からの復学だ。
(昼食には間に合いそうだ)
様々な報告に目を通し、許可印を押していく。纏めた書類を封じて立ち上がると、急いで鏡に向かったグランディアは、リリーに会いに行くために隙なく身だしなみを整えた。
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