32



  リリーの身体を気遣って、秋期休暇が明けるまでダナーの領地に引き上げた。


  王都からの道のり、それぞれが途中で各自の領地に戻り、残すはダナー家と四家がリリーの馬車を取り囲む。


  まだ雪は降らないが、息は白くなり肌を刺す空気へ気候が変わる。肺に染み渡る心地よい清浄な冷気に、メルヴィウスは大きく深呼吸した。


  石の門を潜り抜け、ダナーの城下町にたどり着く。領民が黒衣の騎士団を恭しく見つめる中、サテラの広場に差し掛かったところで街の警備兵が一行に駆け寄った。


  「なんだ?」


  リリーの乗る馬車を先に城に進ませ、メルヴィウスは馬首を返す。後方で警備兵の報告を聞いていたセセンティアは、怪訝な顔で馬上のメルヴィウスに告げた。


  「先程、サテラの噴水広場前で、怪しい女を一人捕縛したそうです」


  「サテラ……、まさか、」


  「はい。その女、フェアリーエム・クロスと名乗ったそうです」


  「そうか、リリエルの怪我に関与した者だ。よくやった」


  リリーを突き落とした犯人であるエルストラは王太子によって捕縛され、貴族を捕らえる塔ではなく、庶民と同じ獄舎に入った。


  だがもう一人、リリーに詰め寄り事件に関与したフェアリーエル・クロスは、学院で取り調べを受けて直ぐに、何処かに消えて姿を見せなくなったという。


  境会が匿っていると捜査を主張したが、それは無いと完全否定し、そこで国王がそれ以上の追及を阻んだ。


  「まさか追われる者が追う者の足下に潜むとは。ある意味盲点か? 学院の者たちはクロスの関与は無いと判断したが、それを覆してやろう」


  獲物をいたぶる猫の目のように冷酷に碧く光る。だがそれに、警備兵は逡巡しながらも報告に付け加えた。


  「その者なのですが、実は様子がどうも…」


  「?」


  「妙な格好で、国外から来たと主張するのですが、……その、」


  「なんだ?」


  「おそらく、頭がおかしいのです。何度も何度も、次期様に会わせろと」


  「兄上に?」


 

 **



  捕らえられた女は、ダナー領地の外れにある犯罪人の刑務場に街から移された。


  かつてケーブ・ロッドという女の養父をリリーが収監した場所だが、その男はもう居ない。


  『…………』


  その場所は、養女である女は知っているはずなのに、養父の事を問いかけず、無事も生死も全く関心が無いようだった。


  「……なんだあれ」


  小さな格子窓から確認したメルヴィウスは、報告通りの奇妙さに首を傾げる。


  袖は長く、身体に見合わない大きく袋の様な上着は、幼女の寝具の様な薄いピンク色。更に下衣なのか、袋の裾から短い布、腿がむき出しに晒されていた。


  「娼婦か?」


  「いや、娼婦にも居ませんよ、あんなの」


  これから拷問を受けるのに、女は壁を背に地べたに座り込み、手枷のまま、長く茶色の髪を何度も指ですいていた。更に毛先を眺めては、それを指で千切っている。


  「見た目にはとても美しいので、残念です」


  牢番の言葉に、メルヴィウスとセセンティアは何とも言えない顔をした。


  「お前には、あれが美しく見えるんだな」


  言われた兵士は思わず漏れ出た感想に慌てて口を閉ざし、メルヴィウスは不快に眉をひそめる。


  女は、今も姿を眩ます術を使っている。


  メルヴィウスを支持する騎士団は、災いを避けるために、身体に入れ墨を刻んでいた。その効果なのか、メルヴィウスは女の姿に苛立ちを覚える。


  「意識して見ると、顔がぶれていて、気味が悪いな」


  セセンティアにも、メルヴィウスと同じく魔除けの護りが身体に刻まれており、改めて格子内を慎重に観察した。

 

  「確かに、はっきりと顔が分かりません。それに、俺はフェアリーエル・クロスを何度か間近で確認しましたが、は、それとも別人だと思います」


  「別人?」


  「報告でも、フェアリーエルではなく、フェアリー・クロスと名乗ったとあります。これは言い間違いではないのかも」


  「ははっ、フェアリーエルに、フェアリーエムか。増えんのかよ。……ふざけてやがるな」


  女たちは、メルヴィウスの大切な、妹の面影を利用する。


  苛立ちに足で蹴り開かれた地位さ格子付きの扉。だが怒れるメルヴィウスを前に、奇妙な女はパッと笑顔を見せた。


  「もしかして、あなたメルヴィウスじゃないの?」


  「…………」


  「よかったー…。突然こんな所に監禁されて、すごく困ってたの」


  この場の空気も分からずに、何かの自信を持って笑う女。だがその後すぐに、格子窓から女の絶叫が響き渡った。


 

 

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