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  「行かせたのか? 何でだ!」


  リリーと不透明な誓約を行い、指名手配までされている。グラエンスラーを生かして帰す気のなかったメルヴィウスだが、グレインフェルドはその怒りを受け流した。


  「見方を変えれば、我らはナイトグランドを掌握したと言ってもいい」


  大ギルドの長男と誓約し、次男はリリーに執着している。それをグレインフェルドは、リリーの失敗ではなく手柄に収めると言う。


  「…なんだかんだで、一番リリーに甘いのは、兄上なんだよな。怖いぜ」


  言いながらも、どこか納得したような表情のメルヴィウス。それを見たグレインフェルドは、リリーの所在を聞いた。


  「さっき許可してただろ。幻獣ヴェルム。あれ、森に帰すって裏に行った」



 **



  幻獣は何を主食としているか分からない。ダナーでは狩りを禁じてはいるが、王都や他国で今も売買される。


  凶暴な成獣は飼うことが出来ず毛皮として売られるが、希にみる小さな幼獣は観賞用として飼われ、何も食さず数日で動かなくなる事で知られていた。


  数日で動かなくなる。それを購入することで茶会や会合で飾りとして見せびらかし、財力の強さを自慢する。その為だけの幼獣。


  珍しい光を放ち、柔らかい毛並みに鼓動が脈打つ。幼い身体を温める様に優しく抱え、リリーは裏庭の奥へと進む。


  生かすためには森に放す事が最善ではあるが、その後はどうなるか分からない。


  金額の問題ではないが、帰す事が無駄になるのではと、リリーを見守る者達の中にはそう思う者もいた。


  裏庭から更に奥へ、森の闇は深くなる。


  「姫様」


  月明かりが射し込む黒の森。青と黒の闇の中、よく見ると大きな影がある。


  「幻獣ヴェルム、フィレスタです」


  尖った耳にしなやかな肢体。旧教の神エルロギアに遣える第一の神獣と謳われた幻獣。


  十枝の貴族たちも目視出来た事が無い。稀少な幻獣の美しさに魅入っていると、「さあ、行って」というリリーの言葉に我に返った。


  「!!」


  草むらに幼獣をそっと置いたリリーは、全身がビクリと固まった。


  「どうしましたか? 姫様?」


  ナーラが覗き込むと、「グーー」と鳴いた幼獣はフィレスタの元へ走り去る。


  身を寄せてペロペロと互いを確認する姿に安堵するが、何故か「食べないでよ、」と一人で焦るリリーにメイヴァーは笑いかけた。


  「大丈夫ですよ姫様。彼らは共食いをしません」


  「…………良かったのよね?」


  「はい」


  去った幻獣を無事に見送る事が出来たが、その後にリリーの手に小さな歯形を見て、その場は騒然となった。



 **



  大規模な王族貴族の粛清により、数日間学院は休学となった。更に数日後、第四王子グランディアが王太子と決定した事が国内外に宣布された。


  慌ただしく式典が執り行われ、季節は変わる。肌寒くなってきた頃に、ようやく学院は通常の姿を取り戻した。



 **



  「ナイトグランドのアーナスターは、なかなかしぶといね」


  全ての罪を長男のグラエンスラーに被せる約束をしていたが、グランディアはそれをしなかった。次男のアーナスターの関与も匂わせて共に排除しようとしたが、証拠不十分として上手く躱される。


  「暗殺者の口も封じられました」


  ナイトグランドギルドへの査察中、グランディアを刺客が襲った。用意周到に現れた暗殺者に、それはグラエンスラーの仕業ではないと直感したが、護衛騎士のサイに阻まれ逃走した後、死体となって見つかった。


  グランディアを利用して兄を追い落とし、そしてグランディアさえも葬ろうとした。


  狡猾なアーナスターに対しグランディアは、彼が一番衝撃となるだろう行事を計画している。そしてこれは、初めてダナー大公家へ王太子としての力を使用する事にもなった。


  求婚ではなく、後に王となる者の命令。



  「次の学院での王太子就任の披露宴で、正式にダナー大公令嬢との婚約を発表するよ」



 **



  学院が再開して、久しぶりにリリーの顔を見に行こうと階段を降りる。


  下の階層の踊り場が見えると、丁度そこにはリリーと女学生がいた。


  (あれは、)


  幼い頃からグランディアに好意を寄せる第三王女のエルストラ。兄の第三王子は王位継承権を剥奪され退学しだが、エルストラの母方の家門フィンセンテは爵位を下げられたものの、妹はそのまま学位を取得するために残っている。


  リリーと向き合うエルストラの穏やかでは無い様子。女二人の深刻そうな会話に少し気が引け一度立ち止まったグランディアだったが、自分の名が聞こえたので割り込もうと足を進めた。


  それに、階段を背にするリリーに、詰め寄るエルストラが気になった。


  「グランディア様がこの学院に通われるから、ここまで頑張ってこれた。…でも、私は、」


  階下からも数人の姿が見える。騒ぎ立てる声に何事かと庶民の制服スクラディアや神官たちもそれを見上げ、人々が集まってきた。



 **



  礼拝の講堂に向かう途中、リリーに声をかけてきたのは第三王女のエルストラ。


  第三王女ではあるのだが、禁制の薬物の輸入に関わった第三王子の妹として、今は取り巻きも居らず、他の生徒に距離を置かれて一人で立っていた。


  摘発された他の王族親族が学院を退学する中、エルストラだけは非難をされても、熱心に通い続けている。それをリリーは、なかなか出来る事ではないと関心に見ていた。


  そのエルストラが、深刻な話があると話し掛けて来た。彼女が周囲の黒制服ステディアを気にするので、リリーは彼らに少し離れるように伝える。


  「ですが姫様、」


  「大丈夫よ。すぐそこだから。ではエルストラ様、お話とはなんでしょうか?」


  「今度開かれるグランディア様の就任披露宴、そこで婚約発表が行われるそうなのです」


  「まあ、そうなのですね」


  知らなかった。そうリリーは驚いた顔をした。だがそれに、エルストラは白々しいと怒りをくすぶらせる。


  「リリエル大公令嬢は、その事をどう思ってますの?」


  「どうと言われても、良いことなのではないかしら?」


  「グランディア様がこの学院に通われるから、ここまで頑張ってこれた。…でも、私は、披露宴で婚約発表なんて、耐えられない、」


  『エルストラちゃん、大丈夫ですか?』


  涙ぐみ思い詰めるエルストラに、階下から場違いな庶民スクラディアの声かけ。だが近寄る深緑色の制服に、いつも気高く佇むリリーが動揺した様に見えた。


  階段を上ってきたのは、この状況でもエルストラの傍に侍る庶民スクラディアの取り巻きだった。


  『エルストラちゃんを虐めないで! リリーに何を言われたのですか?』


  『何の事かしら? 私は何も言ってないでしょう? 私はエルストラ様のお話を、聞いてただけよ、』


  ーー「??」


  二人の会話に、その場の者たちは何語かと身を固める。何かを言い争うのは分かったが、言葉の意味が全く分からない。


  「エルストラ、何をしているんだ」


  「!!」


  上階からのグランディアの声かけ。余所見をするリリー。そのリリーに立ち向かう取り巻き。


  計算した事ではない。だが怒りの対象のすぐ後ろには、階下へ続く長い階段が見える。


  エルストラは、目の前の黒色の制服に手を伸ばし、両手で強く押し出した。

 


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