25
「お招き頂きありがとう」
「本じ……、来て……、ありが……」
学院の姿よりも女性らしく、結いあげていた髪は柔らかく下ろされている。
(…………すっごく、綺麗……)
リリーの姿に身体の芯が熱くなり、腰の力が抜けていく。それでも何とか残った理性は働き、パイオドの監視官からの遠距離攻撃を防ぐため、防壁の厚い自室に案内した。
室内の警護は侍女が一人。だがこの侍女も、デオローダの調査官の後継者である優れた騎士だ。
一方のアーナスターは、敵意の無い事をダナー側に示す譲歩として、自室に自分の警護を入れなかった。
「……ぁ、ぁの、」
顔の火照りを気にしつつ、リリーの様子を窺う。まるでこの部屋の主の様に深く椅子に腰かけた大公令嬢は、アーナスターをじっと見つめていた。
「っ!!、ぁ…、せ……、た………、」
「………………」
改めて自分を救ってくれた礼を言ったのだが、表情の変わらない令嬢は、ただアーナスターを見つめるだけ。
宝石の様な蒼い瞳にドキドキと大きくなる鼓動に、それを抑えようと深呼吸をしようとしたところで、リリーはがたんと立ち上がった。
「!!、!!?、っ、っ??、」
「ナーラ様、少し手伝ってもらえませんか?」
背後に立つ侍女に何かを告げると、頷いたナーラはリリーを下がらせて、一人掛けの椅子の背を掴むと、ガタリとアーナスターの真横に置いた。
「ありがとう」
「??、???、」
言うと真横に座ったリリーは、アーナスターに身を寄せて「どうぞ」と会話の続きを促した。
「………、………、」
香水などではない。リリーからは、花の香りが仄かにする。そして時折アーナスターを見つめる瞳に、意識が遠くなってきた。
(こんなはずじゃなかったのに…、)
相手が男でも女でも、詐欺師との商談でも負けた事はない。どんな威圧的な取引相手にも臆した事もない。
それなのに、言いたいことの何一つ、リリーに伝えることが出来なかったアーナスターは、無駄に過ぎ去った時にひどく落ち込んだ。
見送りのエントランスでは、初めての敗北に肩をがっくりと落とす。だが振り向いたリリーは、アーナスターにふわりと微笑んだ。
ドレスの懐に隠された巾着袋。それに手を置き、誰にも気づかれないように確かめたリリーは、しっかりとアーナスターに頷いた。
「今日はとっても楽しかった。またの会を楽しみにしているわ」
再び光を射したリリーに、アーナスターは腹の力を振り絞って声を出した。
「……はいっ!」
「ではまた。学院でね」
武装された漆黒の馬車は、音も少なく遠ざかっていく。それをいつまでも見送っていたアーナスターに、背後から声がかかった。
「襲撃にでも来たのかと思ったね」
「……居らしたのですか。グラエンスラー兄さん」
アーナスターよりも長身で、九つ上のグラエンスラー・オルガン・ナイトグランド。弟と同じく褐色の肌に金色の瞳を持つグラエンスラーは、常に腰に鞭を備え持つ。
「今のが
「…………」
「あれなら、彼の国の富豪にも喜ばれるだろうね。次の出品にのせようか?」
「グラエンスラー兄さん。彼女は、私の友人です」
「冗談だよ可愛い弟よ。私もまだ、処刑されたくはないからね」
笑って去ったグラエンスラーから、視線を門へと戻す。
(もう見えない……)
今や完全に閉じた門を見て、アーナスターは名残惜しくその場を後にした。
**
珍しくグランディアに声をかけたリリーは、中庭のテーブル席に案内した。周辺には、他の生徒も護衛も近寄らず、昼食を取り二人だけの時が流れる。
「最近、お忙しいのかしら?」
「何故ですか?」
「前ほど、お姿が見えないから」
「……それほどでもありませんよ」
「……」
「……」
「…そういえば、グランディア様の、ご兄弟はこの学院にいらっしゃるの?」
「そうですね。上の兄と弟たちは、在学していますよ」
「……一番上の方と二番目の方は?」
「彼らはもう修了し、国務を担当しています」
グランディアが顔も見たことの無い二番目の兄セオルが、学院で旧教を教える教師になった事は、つい先日、護衛のサイからの報告で聞いている。王太子である兄と同じ歳のセオルは、既に継承権を放棄していた。
「え、」
尋ねてきたから答えたのに、聞いたリリーはきょとんとグランディアを見つめている。そしてまた、おかしな事でも考えているのか、今度は遠くを見つめながら茶菓子を玩び始めた。
(そういえば最近、エルストラが何か言っていたな)
リリーがエルストラの婚約者であるサイオスに、良からぬ行動を取っていると。その事をグランディアは全く信じなかったのだが、よく観察してみると、リリーは、確かにいつも誰かを探していた。
(目の前に、僕が居るのに失礼じゃない?)
いつも何を考えているか全く分からない。近寄れば逃げていく、かと思えばグランディアを誘ってもくる。
リリーの白い手に玩ばれ続ける包み菓子が目障りになり、それを取り上げようと手を伸ばしたところで、聞きなれない声がした。
「ご一緒しても、宜しいですか?」
「?」
見知らぬ
グランディアは、不愉快だと分かるように目を眇た。
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