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  「お招き頂きありがとう」


  「本じ……、来て……、ありが……」


  学院の姿よりも女性らしく、結いあげていた髪は柔らかく下ろされている。


  (…………すっごく、綺麗……)


  リリーの姿に身体の芯が熱くなり、腰の力が抜けていく。それでも何とか残った理性は働き、パイオドの監視官からの遠距離攻撃を防ぐため、防壁の厚い自室に案内した。


  室内の警護は侍女が一人。だがこの侍女も、デオローダの調査官の後継者である優れた騎士だ。


  一方のアーナスターは、敵意の無い事をダナー側に示す譲歩として、自室に自分の警護を入れなかった。


  「……ぁ、ぁの、」


  顔の火照りを気にしつつ、リリーの様子を窺う。まるでこの部屋の主の様に深く椅子に腰かけた大公令嬢は、アーナスターをじっと見つめていた。


  「っ!!、ぁ…、せ……、た………、」


  「………………」


  改めて自分を救ってくれた礼を言ったのだが、表情の変わらない令嬢は、ただアーナスターを見つめるだけ。


  宝石の様な蒼い瞳にドキドキと大きくなる鼓動に、それを抑えようと深呼吸をしようとしたところで、リリーはがたんと立ち上がった。


  「!!、!!?、っ、っ??、」


  「ナーラ様、少し手伝ってもらえませんか?」


  背後に立つ侍女に何かを告げると、頷いたナーラはリリーを下がらせて、一人掛けの椅子の背を掴むと、ガタリとアーナスターの真横に置いた。


  「ありがとう」


  「??、???、」


  言うと真横に座ったリリーは、アーナスターに身を寄せて「どうぞ」と会話の続きを促した。

 

  「………、………、」


  香水などではない。リリーからは、花の香りが仄かにする。そして時折アーナスターを見つめる瞳に、意識が遠くなってきた。


  (こんなはずじゃなかったのに…、)


  相手が男でも女でも、詐欺師との商談でも負けた事はない。どんな威圧的な取引相手にも臆した事もない。


  それなのに、言いたいことの何一つ、リリーに伝えることが出来なかったアーナスターは、無駄に過ぎ去った時にひどく落ち込んだ。


  見送りのエントランスでは、初めての敗北に肩をがっくりと落とす。だが振り向いたリリーは、アーナスターにふわりと微笑んだ。


  ドレスの懐に隠された巾着袋。それに手を置き、誰にも気づかれないように確かめたリリーは、しっかりとアーナスターに頷いた。


  「今日はとっても楽しかった。またの会を楽しみにしているわ」


  再び光を射したリリーに、アーナスターは腹の力を振り絞って声を出した。


  「……はいっ!」


  「ではまた。学院でね」


  武装された漆黒の馬車は、音も少なく遠ざかっていく。それをいつまでも見送っていたアーナスターに、背後から声がかかった。


  「襲撃にでも来たのかと思ったね」


  「……居らしたのですか。グラエンスラー兄さん」


  アーナスターよりも長身で、九つ上のグラエンスラー・オルガン・ナイトグランド。弟と同じく褐色の肌に金色の瞳を持つグラエンスラーは、常に腰に鞭を備え持つ。


  「今のが右側ダナーの処刑人たちの秘蔵のお姫様? とっても美しいじゃないか」


  「…………」


  「あれなら、彼の国の富豪にも喜ばれるだろうね。次の出品にのせようか?」


  「グラエンスラー兄さん。彼女は、私の友人です」


  「冗談だよ可愛い弟よ。私もまだ、処刑されたくはないからね」


  笑って去ったグラエンスラーから、視線を門へと戻す。


  (もう見えない……)


  今や完全に閉じた門を見て、アーナスターは名残惜しくその場を後にした。




 **




  珍しくグランディアに声をかけたリリーは、中庭のテーブル席に案内した。周辺には、他の生徒も護衛も近寄らず、昼食を取り二人だけの時が流れる。


  「最近、お忙しいのかしら?」


  「何故ですか?」


  「前ほど、お姿が見えないから」


  「……それほどでもありませんよ」


  「……」

  「……」

 

  「…そういえば、グランディア様の、ご兄弟はこの学院にいらっしゃるの?」


  「そうですね。上の兄と弟たちは、在学していますよ」


  「……一番上の方と二番目の方は?」


  「彼らはもう修了し、国務を担当しています」


  グランディアが顔も見たことの無い二番目の兄セオルが、学院で旧教を教える教師になった事は、つい先日、護衛のサイからの報告で聞いている。王太子である兄と同じ歳のセオルは、既に継承権を放棄していた。


  「え、」


  尋ねてきたから答えたのに、聞いたリリーはきょとんとグランディアを見つめている。そしてまた、おかしな事でも考えているのか、今度は遠くを見つめながら茶菓子を玩び始めた。


  (そういえば最近、エルストラが何か言っていたな)


  リリーがエルストラの婚約者であるサイオスに、良からぬ行動を取っていると。その事をグランディアは全く信じなかったのだが、よく観察してみると、リリーは、確かにいつも誰かを探していた。


  (目の前に、僕が居るのに失礼じゃない?)


  いつも何を考えているか全く分からない。近寄れば逃げていく、かと思えばグランディアを誘ってもくる。


  リリーの白い手に玩ばれ続ける包み菓子が目障りになり、それを取り上げようと手を伸ばしたところで、聞きなれない声がした。


  「ご一緒しても、宜しいですか?」


  「?」


  見知らぬ庶民の制服スクラディアの生徒は、一見女にも見えるが、声の低さから男だと分かる。


  グランディアは、不愉快だと分かるように目を眇た。


 

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