受動的無料コンテンツ飽和時代
突然ですが、何でもかんでもコミカライズしすぎだし、実写化しすぎだと思っている時期が私にもありました。むしろ、割と最近までそうでした。
書店が減り、好きな漫画はKindleで買うようになり、小説は読むのに体力がいると思い始めた今日この頃。
コミカライズ、めっちゃありがたや……と気付いてしまいました。実写化は、ちょっと制作サイドとファンサイドで解釈の不一致が起きやすいことも多いので、置いといて。
小説→漫画→動画(ex.アニメ、YouTube)
右に行けば行くほど、受動的で済むんですよね。つまり、自分の脳を使う割合が少なくて済む。と、私は考えています。
私は脳を使うのは好きな方だったのですが、脳を使うと身体も疲れることを知ってから、なんでもかんでもキャパを割くことが出来なくなりました。
考えずに済むことは楽です。
そして、考えなくても楽しくなれるコンテンツが溢れて飽和しています。それはまるでファストフードやファストファッションのように。しかも、それらと違って殆どが無料で。
やったー! ラッキー! と捉えるか
恐ろしい、怖い と捉えるか
楽しければどうでもいい と捉えるか
十人十色。
でも、思うのです。
一つは、このコンテンツの次のいく先はどこなのかなって。一つは、この時代が産み出したものはどうなるのかなって。一つは、自分の血肉にしてきたものは、なんなのかなって。
血肉。ファストフードだろうが、高級料理だろうが、家庭の味だろうが、コンビニ弁当だろうが胃に入って、それが自分の口に合えば、あー美味しかったって思うのは多分変わらないと思うのです。
じゃあ、何が違うのでしょう。
満足感? 値段? 思い出? 味?
それもまた十人十色。
ただ一つ言えるのは、それらは確実に自分の体に関与するということ。
チョコレート大好き人間の私は受験生時代に食べすぎて、ニキビだらけの肌荒れをしました。中学生の頃は、コーヒーを無理に飲んで胃炎になり、二度と飲めなくなりました。
反対に、モスバーガーの菜摘で野菜が食べられるようになり、身体の不調がマシになりました。
口に入れたものの結果がなんらかの形で出ることを私は知りました。
さて、読書や鑑賞はどうでしょう。
とある漫画に沢山励まされ、救われました。とある小説は私の倫理観を揺さぶりました。とある美しい絵画には心を洗われました。将棋やスポーツを観て、戦略を考える楽しみを知りました。
目と耳から入れたものが、精神と思考になんらかの影響を与えることを知っています。
受動的無料コンテンツ飽和時代、何を選択して、何を選択しないかで、きっと自分の五年後が変わるのかなとぼんやり思います。
健康年齢が恐らく長くない私は、目が見えるうちに、体が動くうちに、頭が働くうちに、何を得られるかワクワクします。
死ぬまで血肉になるのなら、せめて自分で選んだものを取り入れたい。
そう思うのでした。
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