第32話 ハゲワシの家紋
翼を広げて天を
これまで数々の
その人物は名を《ハゲワシのイエルク》あるいは《ディルタイの
竜人公爵はかつて王家に
大して昔の話ではない。数十年前ぽっちの話である。
その頃、王国は南方の領地を争っていた。しかしこの戦いには
そこで、王国は
その読みは結果として正しかった。
兵士たちがどれだけ立派な
竜の恐ろしさに敵国の兵士たちは
だがハゲワシのイエルクだけはちがった。
あるとき、この人物は選び抜かれた
そして意表を突いて
けっして
まったくもって文字通りの意味であった。
彼らは
イエルクたちは
そして王国軍の陣営の中をけたたましい
あまりの
どうなったか――それは栄光ある王国史の裏側で
怒り狂った竜はイエルクたちを
知ってのとおり竜人公爵は人間の違いなどわからない。
味方の陣地で理性を失い、
竜は怒りのままに陣地に集まっていた王国兵を
イエルクは大混乱の
ラトは竜人公爵の、あまり大っぴら語られない
大っぴらに語られないのはもちろん、みんな竜人公爵が怖いからだ。
「覚えているぞ、あの屈辱! 忘れはしない! 我が足下で、我が領民たちが
竜人公爵は当時の怒りを思い出して、全身を震わせる。
応接間のソファからは灰色の煙が立った。竜の
竜人公爵は当然、
本気を出した竜の前ではさしものイエルクたちも後退するしかなく、いったんは追い詰められたかに見えた。
しかし結局、復讐の誓いは果たされることはなかった。
なんと――その戦いの終わりごろ、もう後がないと見るや
王国風の
イエルクはもともと
必要とあらば誰にでも立てつき、上官を殺し主人を殺して地位を築いた。王国に寝返るのもこれが初めてというわけではない。
ちなみに、竜人公爵に働いた
その最大のものは、戦地に
イエルクは王国に寝返った後、みずからの家紋として
「その家紋が
「イエルクめ、今度こそ
「閣下。それでは思うつぼです。まさしく過去の二の舞となってしまいます。相手は王家に
「ではどうすればいいというのだ!」
「まずは戦いから
ラトはあくまでも冷静な態度である。
「僕がこの知性でもって、手紙の送り
「ああ、そうだな」
「またまた、クリフくんったら。そんなに冒険者仕事が大事かい? これは王国の歴史に残る偉大な使命で…………って、待ってくれ。いま、君、なんて答えた? ああ? ああ、そうだなって答えたのかい?」
ラト・クリスタルはティーカップをサイドテーブルに置くと、ソファから身を乗り出し、
クリフは言った。
「俺もお前の仕事に協力する。謎の解明とやらに」
ラトは黙りこんだ。
黙り込んだだけではない。
口の閉め方を忘れてあんぐりと開け放ったままだ。
後ろに
これまで、クリフが積極的にラトのやることに関わろうとすることはなかった。いつもラトが無理やりクリフを巻き込み、嫌々ながらも協力させられていたのが実情だ。それが、態度をまるで正反対に変えたのだ。
しかしながら竜人公爵にとってはクリフの心変わりなど取るに足らないものだった。
彼はラト・クリスタルが暗号文の謎を解明するという望み通りの返事をしたのを良いことに、いくらか軽い
クリフもそれと同時に退席し、後には戸惑うラト・クリスタルと半分焼けて
*
いかにハゲワシといえど寄る
王国に
その土地の名はアロン領グーテンガルト。
先の
現在は王国風にディスシーンと呼ばれ、戦に
ハゲワシが晩年を過ごした砦は、王国に下った後に名乗った姓を取ってアンダリュサイト砦と呼ばれている。
イエルクの
竜人公爵に差し出された手紙に差出人の名前はなかった。
ハゲワシの家紋で
「こんな手紙を竜人公爵に送りつけてどうなるかは火を見るより明らかだ。怒り狂った竜人公爵が砦に
前回とは反対に南の国境の端までの移動になるが、竜人公爵の翼を用いれば
しかし公爵が昔の
そこからは馬車を雇っても半日かかる。
がたつく馬車に乗り込んで目的地が近くなるにつれ、クリフは
「ハゲワシのイエルクの
いつまで
「おば様ってのも
いつもなら、
名探偵ってのは何人もいるのか、とか、そんな話は聞いたこともない、とか、わめいたかもしれない。でもそれもない。静かだった。
「どうしたんだいクリフくん。この間から君らしくないじゃないか。もしかしてお
「いいや」
「そうかそうか。君にとってこのあたりは
「さあな」
「仕方がない。君がそう
ラトはクリフの目の前にステッキを
「僕は
「やめるんだ、ラト」
「わあ、ようやく
クリフが
しばらくして
「申し訳ありませんがね、
しかし、砦はまだまだ先だ。
「どういうことだい? 君には十分な
しかし御者はラトの言うことに
「なんだい、あの
「だったら自分の荷物は自分で持ってくれ」
クリフはうんざりした調子で言った。
調査に使うとか使わないとかで、ラトはやたら荷物が多く、クリフが半分ほど
「ずいぶん進化したじゃないかクリフぼうや。良ければ教えてくれないかい? もしかして、このへんの人たちは
「……」
「駄目だ、発達段階がまた元に戻ってしまったようだね。僕に協力するっていうのは、嘘だったのかい?」
「嘘じゃない」
「じゃあ、なんでずーっとだんまりなんだよ! いかにも不機嫌そうに、そんなのはね、まったく大人のする態度とはいえないぞ!」
ラトは自分の日頃の態度を
しかしクリフにも、言葉にはしにくく、説明しようにもできない事情というものがあるのだ。
やがて二人の行く手に砦らしきものが見えて来た。
石組みの
森の中に
畑には、三人の農夫が
「
「いや…………その設定は必要ない」
クリフは
畑に近づくと、三人の農夫が
「ぼっちゃん!」
「こりゃ、なんてこった。ぼっちゃんのお帰りだ!」
彼らははっきりとクリフを見て、叫んだ。
後から追いついたラトは
「…………ぼっちゃん? きみのことか?」
「俺の故郷がアロン領グーテンガルトだってところまでは見抜けたのに、これは見抜けなかったらしいな」
クリフは
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