153.強さも正しさも、在るだけで傷付ける。


 変身する姿について、帯刀おびなたから注文は受けていない。あの気色の悪い姿は、完全に私の趣味だ。当時は気にも留めていなかったが、こいつさえ碌に機能してくれなかったならあんな家に生まれずに済んだのにという、両親への恨みの表出である。帯刀おびなたにそれを向けてしまったのは、真っ当な親に巡り合えなかった彼女への勝手極まり無い慰めだ。彼女が望むのはあくまで両親の関心で、私のように両親へ憎悪をぶつける術では無い。つまり私達とは最初から、食い違っていた。限り無く近しい結果を求める為に共謀し、それは劇場支配人の悪魔と裁という闖入ちんにゅう者によって、果たされないまま霧散した。


「私は傲慢だったよ」


 壁に備えられたスイッチを左手で押しながら、右手の指を鳴らした。蛍光灯に通った電気に部屋の埃っぽさが露わになって、中の〝患者〟の魔法を解かれた瓶は割れる。破片が床に散らかる中、変身の魔法をかける直前と変わらない制服姿の帯刀おびなたが、角椅子に座っていた。


 顛末てんまつは既に聞かせてある。鉄村家に向かう前に裁と鉄村に手伝って貰い、献体に紛れて保管庫に収まっていた帯刀の瓶を探し出して引っ張り出し、この資料室に移動させておいた。そして、鉄村家で行った説明と同じ内容のものを先に帯刀おびなたに聞かせてから、鉄村家に向かっている。その際に変身の魔法を解かなかったのは、何を言われるか分かったものじゃなくて恐ろしかったから。


 帯刀へ歩き出す。


「いつからだったか、お前に神聖視されてるのが居心地悪かった。確かに私は、お前に心配をかけまいとそれは気丈な振りをして生きて来たけれど、負担になりたくなかっただけで、持ち上げられたかった訳じゃない。でもこの温度差の拭い方も分からなくて、ずっと片付けるのを先延ばしにしてた。この齟齬そごはいつか必ず、よくない結果を引き連れて来るんだろうと分かってて。それが私達が果たせなかった、いや、私が果たすのを放棄した復讐だ。お前は両親への最後のチャレンジとしてこの復讐を提案したが、今まで私を頼って来た事への罪悪感もあってだろ。これが終わったら私みたいに、一人で何でも出来るように頑張るからって言われた時には、なんて重荷を負わせたんだと自分を呪った。弱味を見せない事で、私はお前の負担になってた。本当に必要だったのは沈黙じゃなくて言葉で、私はそれを理解していなかった。父や母に構って貰えなかった事を憎んでるくせに、同じ事をしてた。それに漸く気付けたのは、裁が私の在り方に、自分の兄を重ねた時だったよ。捨て身で救われたって嬉しくない。それはお前だけが得られる満足に過ぎなくて、救われた側には纏わり付いて来る呪いでしかないんだって。つまり実際の私とはこの通り、自分の事しか考えてない至極勝手な奴だった。お前の事だって放り出して、裁を助けるのに必死だった。お前が描いてるような聖性なんて持ってない。この程度が私という人間で、私とは最初から、お前を救うに相応しい人間じゃなかったんだよ。誰にだって同情してしまうくせに結局は正しければそれでいい、敵も友達も同列に扱う、薄情者なんだから」


 帯刀おびなたは、普段の振る舞いの中で見せる、少し困った笑みを浮かべた。


「……って言葉を考える時間を稼ぐ為に、さっきは私をここに置いて行ったの?」


「そうだよ。何の言い訳も用意出来てないままにお前と話すのは、流石に怖い」


 どうかしてると思った。


 情で善悪を歪める事は許さない。正しさとは、どんな悲劇の前でも屈してはいけない。そう一週間前全身全霊を懸けて貫いて、やっと意味を見出せたばかりの私の信念が、もうぐらぐらと揺れている。帯刀が願った復讐という暗い望みを果たさなかった私とは、確かに自分を正しいと信じているのに、それでも帯刀と話すが怖いのだ。傷付けてしまうのが、悲しませてしまうのが、嫌われてしまうのが怖いから。間違っていると分かっているのに、どうしても帯刀に幸福を用意したいと願ってしまう。


 やっと分かった。両親に、悪魔らいという身分上起こる問題を解消する手段も無いまま家庭を持たせ、裁を惑わし兄への贖罪へと駆り立て、そして今私を狂わせているこの感情が、愛情だ。


 確かにこいつとは理屈じゃない。是非も善悪もどうでもいい。頭の中には、手に入るかも分からないくせに描いた幸福ばかり。


 だから私は、告げねばならない。


「だから私達はお別れしよう。出会った以上他人には戻れないけれど、知り合い程度に互いの扱いを落とすんだ。私は、好きな人の為に道を踏み外す事を、美しいとも正しいとも思わないし肯定もしたくない。最高に人間らしいとは思うけれど、だからって仕方無いなんて言って許さない。私達が生きてるのは、ハッピーエンドが約束されたラブストーリーじゃなくて現実だ。甘い言葉にかまけて立ち向かう事から逃げ出す事を、私は生涯認めない。誰かの為と言って誰かを傷付ける事を、あやまつ自分を甘やかす事を、正しさなんて呼びたくない。困難が襲うなら戦えばいい、壁が阻むならぶっ壊してやればいい。理想とはその為のガソリンじゃないか。私は、挑む事を放棄させる愛情じゃなくて、願いを叶えようと足掻く人間の底から湧き上がる、痛々しいぐらいの勇ましさを信じてる。だから友達を作っても、いつか必ず傷付ける。弱さをどうしても、許せないから。誰しも持ってるものなのに。いつか覆せる筈だって、強さを強要してしまう。こんな頑固者となんて、一緒にいない方がいいよ。鉄村にも、後で言う」



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