147.切り札


「あたしと千歳が芋虫の悪魔の餌になる予定やったからあの人とは、ほんまに魔法の天才やった。無いような思い出掘り返すたんびに思う。きっとあたしは、今でもあの人に及んでへんて」


 既視感のある裁の凪いだ様に、不快感を覚えた。


 私だ。私が隠し事を明かす時、つい繕う静けさそのまま。


 裁は、降りしきるビビットオレンジの血に貼り付けられた髪を払おうと、柄から離した左手で鬢を耳にかけた。


「でもあの人は、自分で芋虫の悪魔を殺す気やったんよ。裁家の没落も、物心付いて間も無いあたしやなくて兄さんが願った事やった。それが叶いそうにないからあたしに護身用を兼ねて幾つかの魔術を教えて、芋虫の悪魔を殺させたんは偶然。そうなったんも芋虫の悪魔が、兄さんの思惑に気付いて両親諸共殺したから。事故みたいなもんよ。まだちっさかったあたしが、腐っても悪魔である芋虫を殺せたんも」


「……ずっと疑問だったんだ。裁家没落後、誰がまだ幼かったお前と妹さんの見てたんだって。妹さんに至っては一般家庭に収まってる。養子の手配をした人物はお前ぐらいしかいないだろうとは思っていたが、没落当時でもまだ幼かったお前が、いつどうやってやったんだって」


「今は目星付いてるやろうに兄さんよ。魔法使いになりたない子供達の面倒見る、お人好しの魔法使いがやってるボランティアみたいなんがあって、兄さんがそこにあたしらり込むよう事前に準備しとったんやって。まあ、後からそのボランティアの人から聞かされて知った話やし、あたしは早々に抜け出してこの通りやから詳細は知らんけど。千歳が裁家と無縁に過ごせてるんは、ボランティアの人に忘却の魔法をかけられてるから。あの子はあたしも兄さんも知らん。裁家に関わる事全てを忘れ去ってるから、もし魔術師に疑われても出自がバレる恐れが絶対に無いし、自分をほんまに親がおらん一人っ子やと思ってる。お陰で七ヶ月前にこの街にやって来てゴーレムを放つまで、千歳がここに住んでるなんて知らんかったし、千歳があたしそっくりなゴーレム見かけても、何も思い出す様子あらへんかったわ」


 てか、それがほんまに訊きたい事?


 裁は言いながら、底の見えない横目で私を射る。


 感情の起伏が分かりやすい振る舞いをずっと見せられて来た手前、突然纏われた得体の知れない静けさについ身動みじろぐ。


 分からない。裁が何を言おうとしているのか。


 分からなくて、気味が悪い。


「まあせやから、あんたが思ってるような、あたしに芋虫殺しを押し付けるような悪い人やないで兄さんは」


 裁は、手持ち無沙汰となった左手を下ろした。


「気味が悪い奴やであんた」


 肩からぶら下がるように垂れる左腕を揺らし、裁は遠くの正面を見る。


「あんたは〝館〟での態度は芝居や言うた。あたしもそうなんやろうなて納得してた。あんたは人から離れたぐらいのお人好し。自分を守る事を放棄した、道徳的には完璧で、生物としては欠落してる故に理解されへん哀れな聖女。そう思てたけど、あんだけ好き放題されとった劇場支配人の悪魔に、一回だけブチ切れた瞬間を見てちゃう思た。あんたは悪魔と同じぐらい人が嫌い。そらそやろな。普通の人間すらそないな感性持ってるあんたの目には、血も通ってへん薄情な化けもんに映るんやから。それでもあんたは誰かを救う。人から外れるぐらいに、人の気持ちが分かってまうから。親代わりの人を殺したあたしにもそうやって、やり直しのチャンスを与えようと食い下がって来るみたいに」


 裁は遠くを見たまま、左手をゆっくりと柄へ戻した。


「〝魔の八丁荒らし〟たる由縁の二つ目の魔法。それは生憎、『餓牙がが獄送ごくそう』の対象からり抜ける。この魔法に壊せるような形は無い。単身で機能する事すら出来でけへん、依存出来る他者がおって初めて姿と意味を持つ無貌むぼうの罪業。芋虫の悪魔がこれを裁家に貸し出さんかったんはきっと、人間に貸し出しを禁じられてる上等な魔法やからやない。出来損ないと同族に笑われ続けたあいつが、自分以外の誰かになりたくて生んだ、嫉妬の魔法やと思うから」


 裁は鋭く私に向き直り、その右半身に隠れていた刃を露わにする。


 突如『餓牙がが獄送ごくそう』と瓜二つの姿を取って現れたあの剣は、裁の身長に合った丈を持って変貌していた。獣と人を寄り合わせて作られたようなおどろおどろしさなどまるで無い、一本の骨から削り出された彫刻のような一刀。その滑らかな切っ先は裁の口元から覗く、吸血鬼の牙によく似ていた。


「芋虫の二つ目の魔法は模倣。指定した相手が今あたしに見せてる、あらゆる技を完璧に真似る。劇場支配人の悪魔戦で使わんかったんは、あいつの魔法があたしと同じ付与の魔法エンチャントっちゅう、生きてる生物には干渉出来でけへん魔法やから決定打になられへんと思ったから。せやから残されたタイミングは、あんたが切り札を出した後。あんたの動きと『餓牙がが獄送ごくそう』を真似れたんは、未だあたしを振り回す忌々しい芋虫のお陰。でもそれももう終わる。感謝するであんた。いや、天喰塁。その愚かな信念に最大の敬意と嫌悪を表し、そして裁家は完成する。最悪の魔法使いとしてではなく、この世で最も優れた、悪魔殺しの魔術師として」


 単一指定した魔術を完成させる。聞いただけなら使い道も分からない『大悪だいあく屠りの番狂わせ』が、どうして魔術師の起源を体現している危険な術だと廃れたか。


 完成させるとは言い換えれば、自分の腕で引き出せる限界以上、つまりその魔術が持つ性能を、否応無しに最大値まで引きり出すという事だ。それに伴う魔力消費量の加減など知りやしない。つまり『大悪だいあく屠りの番狂わせ』とは、人間が振るえる最大威力を強制的に叩き出し、命懸けの必殺を放つ自暴自棄紛いの魔術である。そして、対象となる魔術が必要というそれ一つでは機能しない事から付与の魔法エンチャントにも近いこいつは、他の魔術とセットで使われる。故に二つ目の魔法で裁は、私の『餓牙がが獄送ごくそう』を真似たのか。


 『餓牙獄送』とは対象とした者の持つ、あらゆる悪魔を起源としたものを食らい尽くし破壊する魔術。既に逸脱したこの攻撃性を完成させるなら、他に何を壊そうと言うのか。


 人間だ。悪魔殺しとして既に出来上がっている『餓牙獄送』が、頑なにその牙で砕くのを避けている唯一の相手。魔法使いも魔術師も等しく無力に帰しながら、決してその命は取りたがらない私の性分を示したような無二の柔さ。


 当たり前だ。この魔術を作ったのは私なんだから。裁はそれを取り除いたのだ。人間の前では『餓牙獄送』とは、ただの気味悪い刀へ落ちてしまうから。悪魔喰らいという半端な私にも、傷を負わせて失血死を誘う事は出来ても、斬撃そのものが決定打になれはしないから。外そうが当てようが、勝とうが負けようが術者は死ぬまで戦わされる、全魔力を注ぎ込んだ決着の一刀とする為に。


 私の信念を切り落とされ、己が理想を示す刃となったそれを、裁は正中線に構えながら魔術師然と命名する。


「『餓牙がが獄送ごくそう』改め、『親喰おやばみ鬼鶴おにづる』」



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