141.あるお人好しの十八番。


 裁はその言葉を待っていたように、挑発的に笑った。


「いいや?」


 乗って来るのは分かってる。


 劇場支配人の悪魔戦でもまずは分析と言っていたように、こいつのスタイルは後の先だ。どこまで行っても事前準備が絶対である付与の魔法使いエンチャンターという性質上、未知の相手とやり合うのを非常に嫌う。単にこいつの性格として、敵対者は徹底的に叩かないと気が済まないという理由も多分にあるだろうが。


 私も笑えて来て、微かに頬が緩んだ。何で鉄村でも帯刀おびなたでもなくてこいつとなんかと、こうも齟齬そご無く通じ合えるんだろうって。


「そもそも『一つ頭のケルベロス』とは、父が悪魔らいの性質を抑える為に作った護身用なんだよ。分類としては防衛魔術だ。〝館〟でお前が言ってた通り、こいつは魔術の手法でも伝統的な、鬼だの幽霊だのの怪物退治に使われた道具に、魔術的な加工を施したものだ。魔法使いの親という性質上対処する専門家は魔術師とされているが、分類上は悪魔も怪物に入る。だから怪物を倒した道具は悪魔にも魔法にも効くし、悪魔らいの私もこいつで攻撃されると致命傷を負う。『一つ頭のケルベロス』となる以前のこいつとは、祖父が不俱戴天の悪魔を食い殺す際に包丁代わりに使った事から魔除けの力を得た刀で、悪魔封じにはぴったりの道具に変質してたんだよ。父は悪魔喰らいの力のコントロールが私より下手だったし、何より悪魔喰らいの力を恐れてた。だから身体に満ちる魔力を危険度を落として排除する為に、『一つ頭のケルベロス』という首輪兼出口を作った。こいつが吐き出していた墨のような魔術は、他の魔術師に迷惑がかからないよう魔法を壊すという機能のみを持つまでに劣化させられた、悪魔喰らい故に持つ膨大な魔力の一部だ。厳密に言えば祖父が食い殺した、不俱戴天の悪魔の性質を持つ魔力になる。毎度左腕をいで出現させなきゃならないのも、悪魔喰らいとしての膂力を抑える為であって材料としてた訳じゃない。私がカッとなってお前ごと劇場支配人の悪魔を斬り殺そうとした時、生物には効かない筈の付与の魔法エンチャントで刀身を折れたから驚いたんじゃないか? お前も壊せる自信が無かったからあの土壇場でわざわざ接近して、私の右手越しに触れて材質を確かめたんだろ」


「せやからさっき粉々にしたった時は、直接付与の魔法エンチャントをかけた。肉や骨で出来てる訳や無い、魔術的な加工を受けただけのオンボロ刀て分かっとったからな。言われてみれば、明かして周囲に警戒を促す為にあんのが魔術名やのに、『一つ頭のケルベロス』なんて名前、聞いてもどういう魔術なんかよう分からへん。あたしを封じた兎の『責め苦のプレゼンター』や鉄村さんの『暴君の庭』の方が内容をイメージしやすい。蟹のおっさんの『苦海の檻』と言い魔術とは、その内容に沿った名付けがされるもんなんとちゃうか?」


「ああ。だから『一つ頭のケルベロス』も、もっと攻撃的な名前であるべきだ。ただでさえ使用者が悪魔喰らいっていうとんでもない膂力で振るわれるのに、こんな首が欠けてる事しか分からない名じゃ不気味さしか伝わらない。それでもこんな名が通っているきっかけは阿部さんで、父は結婚前の母を連れて単独の魔術師として日銭を稼いでいた頃、そもそも自分の魔術に名前を付けていなかったんだよ。警戒を促さなきゃいけない、仲間がいなかったんだから。私より〝患者〟の症状のコントロールも下手だった父は時折犬になっちまう事があって、阿部さんは父のその姿から、冗談半分に言ったんだ。まるで、頭が一つしか無いケルベロスだって。父の、たった一人で魔法使いを殺しては街を守り続ける強さへの畏怖も込められていたそのジョークは魔術師間に広がって、まだ街にやって来て間も無かった父そのものの渾名となった。やがて『一つ頭のケルベロス』とはまだ名付けが済んでいなかった、父の持つ魔術群の総称へと移る。その代表が、お前に折られたあの魔術刀だ。今は都市伝説のようにこの街を独り歩きしているこの名とは正確には、特定の誰かを指したものじゃない。不確定な存在が持つ絶対的な強さへの、敬称であり蔑称なんだよ。だが私は、不倶戴天の悪魔なんか恐れちゃいない。悪魔らいとして人から離れたこの身も、おぞましさや寂しさこそあれ、恐ろしさなんて覚えた事は一度も無い。そしてこの先も父の焼き増しみたいに、ただ守る為に魔法使いを殺し続ける気だって毛頭無い。私が本当に恐ろしいのは、愛してもいない家族を守れない事でも、友達と分かり合えない事でも、幼馴染を救えない事でも無くて、見殺しにされそうな誰かを、困っている誰かを、間違っている誰かを、他人だから助けなくていいなんて、本気で思えるようになる事だから。父と私とは逆行している。父が求めたのが運命を忍ぶ力なら、私が欲しいのは、運命を砕く力なんだから。折ってくれて感謝するぜ裁。不倶戴天の悪魔の性質を持つ魔力を封じる、つまりは、悪魔喰らいの力を封じる為にあるっていう能力上自分じゃ壊せなくて、『一つ頭のケルベロス』が邪魔で今までずっと、私自身の魔術が使えなかったんだから」


 叩き付けるようなビビットオレンジの血の豪雨の中、右腕を突き出した。親指を足元へ向けるように手の平を倒す。


 そいつは実に伝統的かつ形式的で、まさに魔術師が好む下らない礼儀作法マナー


 如何なる理由があろうとも魔法使いに放つ直前まで、魔術の開示を禁じる。


 魔術を開示する際はその名を呼んで周囲への警戒を促し、眼前の魔法使いを必ず殺すと誓え。


 悠長な事だ。笑みに辟易が混ざる。


 礼儀作法マナーにじゃない。やっと明かせるのかと待ち草臥くたびれて。


 笑みを消し、空の右手を見据えて告げる。最初で最後になるかもしれない、そいつの名を。


「『餓牙がが獄送ごくそう』」



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