118.手懐けられたケルベロス


 眠ってなんかいないのに目覚めたようにはっとする。


 私のその表情に裁は確信を滲ませた。


「多分、あいつと初めて顔を合わせた時からかけられてる。その異常な敬意の払い方は、服従の魔法や。昔呼ばれた悪魔のパーティで悪魔に話して貰った事ある。魔法使いには貸し出しが許されてへん高位の魔法やから、浴びても髪や肌の色に〝患者〟特有の症状が出えへんから見つかりにくいて」


「どういう魔法なんだ」


「上等さとは別に持ってる、察知が困難な性質。たとえばあたしらが持ってる魅了やったら名前の通り、見惚れて能無し。そこに命令を下して、騙くらかす為のもんやろ? 服従の魔法は自主的な隷属。かけられた人間が正気のまま、自分の頭で命令を理解した上で、命令以外の部分はその人格に即した行動を取る。魔法にかけられてる事には気付かんとな。せやから端から見たら普段通りやし今日まで誰も、あんたの異変に気付かんかった」


 淀み無く答えていた裁は前のめりになると、怪訝そうに私の顔を凝視して言葉を切る。


「……せやけどあいつ、あんまりあれこれ命令してへんみたいやな。あいつへの敬意以外はおかしな所見えへんし……。何か、あいつに制限かけられそうなもんに心当たりある?」


 そんないきなり言われても。


 そう口にしようとした気持ちを、割れた窓から見えるゴーレムと腐肉の攻防が遮った。ゴーレムが押され始めたのだ。裁へ目を向けると涼しい顔をしているが、額には汗が滲んでいる。


 もう時間が無い。この意地っ張りが隠せない程の疲労に、戸惑いを頭の隅へ押しやり尋ねた。


「服従の魔法って、扱うのに必要な条件とかあるか? たとえば私の魅了みたいに、かけたい相手と目が合わないといけないとか」


「確か接触。握手でも、偶然に見せかけてれ違い様に肩をぶつけるぐらいの瞬間的なもんでもええ。兎に角かけたい相手に触らなあかん」


 もう一度口元に右手の甲を当てて記憶を辿る。


 青砥あおと、…………。いや、劇場支配人の悪魔と初めて会ったのは去年。一緒に帰ろうと、部活を終えた帯刀おびなたを迎えに行った時。帯刀と揃って遅くまで残り、熱心に絵を描いていた。


 でも挨拶はしたが握手なんてしてない。偶然ぶつかった事ならあるかもしれないが、服従の魔法をそのタイミングでかけられたと仮定するにも、私が奴にとって不利益な情報を見せた後であるという根拠がある筈だ。


 何かあったか? この七ヶ月間は『鎖の雨』で魔法使いの侵入を許していないから、魔術師らしい戦いをしていない。それ以前に侵入して来た魔法使いの迎撃も主に他の魔術師がしていたし、そもそも父への負い目と『一つ頭のケルベロス』という攻撃的過ぎる魔術を危惧した御三家が、私を積極的には戦いに参加させないのだ。普段の私の役目とは違法魔術使用者の対応が主である。だから裁の読み通り、劇場支配人の悪魔は私の全力を知らない。それでもここまで警戒されるようなきっかけなんて、一体いつ……?


「いや、あった」



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