113.劇場支配人の悪魔


 足元にひびが入る。それは蜘蛛の巣状に広がって、アスファルトを埋め尽くすと破砕した。


 剥がれたアスファルトの下から、あの腐ったビビットブルーをした眼球の群れが、多肉植物の薄皮の向こうで私を見上げる。軍靴の底から足裏に伝うぷにぷにとした感触と相俟あいまって、気味の悪さに身が凍った。


「もうだんまりとはいられないだろ?」


 囁かれたように至近距離から青砥部長の声がして、怖気立って振り返る。目にはビルの壁面だけが飛び込んで、別方向から迫る何かが切る風を受けうなじが粟立つ。


 振り回されるように視線を投げた。半透明をしたビビットブルーに呑まれたと思うと動かなくなった身体が浮き、背後のビルへ打ち付けられる。肺から空気を押し出され、ビルの壁は大きく陥没し亀裂が走った。


「がっ……!?」


 首から下を覆う湿った感触に目を落とすと、ビビットブルーの眼球犇めく腐肉が、スライム状になって貼り付いている。私が立っていた位置から剥がれて飛び出したのか、その辺りが抉れてへこんでいた。内臓を潰されたのか折れた骨が肉に刺さったのか、喉を駆け上がる血が噎せるような塩辛さを連れて、胸元をビビットオレンジに濡らす。


「悪魔に人間のような名称は無い。あるのはその姿や、持つ魔法に因んだ肩書だ」


 投げられた声に目を上げた。正面の頭が崩れたビルに、両手をポケットに入れた青砥部長が歯を見せて立っている。私と距離を詰める格好で、瓦礫を蹴り飛ばしながらビルの縁へ歩いて来た。


「俺のように趣味として偽名を持つ者もいるが……。まあそういう楽しみを持ってこそ、一流の悪魔ってもんだ」


 腐肉から逃げ出そうと身を捩るがべったり貼り付かれ上手くいかない。


 青砥部長はその様を一笑すると、ビルの縁で上体を倒し私を見下ろす。


「まさかその魔術刀が封じられるとは思ってなかったんじゃないか? 確かに魔法を壊す魔術とは実に興味深いが……。悪いが所詮は魔術という、魔法の下位互換だ。魔法使いなら戸惑うだろうが、俺ぐらいの悪魔になれば可愛いもんだぜ。何せ俺の肩書は」


 背を押し付けられているビルを尾で殴り壊した。瓦礫が四方八方へ飛び散る中膝を折って着地して、力任せに腐肉を斬り刻む。腐肉の圧迫により抑えられていたのか再び込み上げる血を吐きながら、青砥部長を睥睨した。


「裁に何かしたんですか」


 八つ裂きにされた腐肉から液体と眼球が飛び散る中、青砥部長は拗ねたように眉をハの字にする。


「そんなに俺と話したくないのかお前?」


 使い物にならなくなった剣を手放し青砥部長へ跳んだ。宙に置き去りにされた『一つ頭のケルベロス』は風化して崩れ去り、空っぽの左袖を濡らし続けていたビビットオレンジの血が骨肉を噴き出し腕を成すと、取り戻した左の拳で殴りかかる。だが、狙い定めた筈の青砥部長はさっぱり消えた。


「は……!?」


 右方向から突っ込んで来た衝撃に捕らえられる。かと思えば、衝撃の感覚が一切無くなった。


 訳が分からないまま胴に目をやると、どこからか伸びる腐肉の束に絡め取られている。束は勢いそのままに噴き出しながら、左手のビルへ突っ込んだ。地を滑走するように直進し幾本ものビルを貫き倒すと、空を裂くように頭を突き上げる。


 飛び散る瓦礫とビビットオレンジの血が視界を彩るのを、神経が断絶されたように動かない身の歯痒さを味わわされながら見た。もうその直後には色覚も狂い、昔のテレビみたいに砂嵐が走ったり、部分的に機能が死んだように何も見えない箇所まで現れる。


「何だこれっ……」


「カッハッハッハッハッハッハッハァ! あーァお前がどれだけつれなくても俺は黙ったりなんかしねえぜ!」


 遥か遠ざかったビルから、青砥部長の哄笑が鳴り渡った。


「さあ口上を聞いて貰おうか! 俺はこの街で起きたあらゆる出来事は全てお見通し、お前ら人間が俺へ向ける意識も思いのままに歪め捻じ曲げ、ビルから死体まであらゆる物体さえも支配する! だが全知全能の神に非ずだ、お前にあしらわれている通り心までは奪えない! そうさ俺は、演出シナリオにはケチを付けられても演技には手を出せない、ただの素人で我が儘なオーナー、劇場支配人の悪魔だからな!」



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