102.運命に情けは要らない


 色んなものに痛め付けられて、うに心はり切れているけれど。それでも自分が原因であると分かってしまうと、全身から力が抜けて、崩れ落ちそうになった。目の前が真っ暗になるかとも思ったし、内臓が、金属と入れ替わったみたいに強烈な重さを放って、内側から伸しかかって来るような感覚も覚えた。


 でも別に、今更どうなるんだって話じゃない。帯刀おびなたの案を受け入れた時点で、街にはとんでもない迷惑をかける事は分かっている。でもその迷惑も、いもしない魔法使いという実害の無い形に過ぎないという前提が、絶対的であると信じていたから。まさか本当に本物の魔法使いが狙ったようにやって来るなんて、幾ら楽観的な性分とは言えない私でも、考えやしない。ましてやって来たその一方は、私の出自を面白がって見物しに来た悪魔だなんて。


 ばちが当たったのだろうか。復讐なんてしようとするから。真っ当に生きていこうという努力を、怠ったから。神なんて信じた試しが無い。それでもこうも、私と帯刀を突き放すのか。いや違う。きっと最初から間違っていた。


 私は悪魔らい。〝患者〟だの魔術師だのと幾ら肩書が付いて来ても、この血筋とは変わらない。私とは魔法も魔術も無しに、ただ恨みだけを滾らせた人の身で、悪魔を食い殺したイカれ野郎の孫。普通の人間とまともにやっていけるなんて、当たり前みたいに考えていたのが誤りだったんだ。だって引き寄せるものがこんなにも違う。生きているだけで、こんなにも脅威になる。


 側にいるべきじゃなかったんだ。どんなに辛くても悪魔らいとなんかいるものじゃないって、突き放すべきだったんだ。私は帯刀を救えない。私は帯刀に、前を向かせる事も出来ない。私とは在るだけで、こんなにも苦痛を撒き散らす。それをこんなにも、分かってたのに。


 軽やかさとは程遠い胸の内に引きられるように、重くなった頭が下を向いた。


 青砥あおと部長は腹を抱えて笑う。


「カッハッハッハッハッハッ!」


「ぎゃははははははははは!」


 それを遮るように顔を上げた私は、腕を垂らしたまま哄笑した。常軌を逸した私の笑い声に驚いた裁と鉄村が身動みじろぐのを、耳が捉える。


 その間も私の哄笑は続いて、うに青砥部長の笑い声を掻き消しているのにまだ響いて、やっと終わってもだらだらと尾を引いて空へ溶解すると、死体のように重く冷え切った静寂が這い寄った。


 何だかその冷たさに落ち着いた気になって、棺に閉ざされた空を仰いでも何も無いし、だらだらと頭を下ろす。特に何を見るでも無く前を向いたまま、鉄村へ告げた。


「よかったな。いつも私と一緒にいるから、魅了を無効化する魔術を常に使ってて。お陰で平気そうじゃないか。他の魔術師は頼んだぞ」


 視界に入っていない鉄村から、呆然とした声が漏れる。


「……え?」


「ねえ青砥部長。今話した事を私に告げたら、私が絶望するんじゃないかって期待してたんじゃないですか?」


 滲み出る不健全な笑みに、歯が覗いた。


「邪魔臭くて全く気の合わない魔法使いは実は被害者で、ここまで上手くいかないのは自分が引き寄せていた悪魔の所為だと知ったら、引っ掻き回されて滅茶苦茶になった予定を見せ付けられるより、その苦しみの方が遥かに勝る。そこに、生物が覚える苦痛の最大級である死を与えたら、さぞいい顔で悶えるだろうって。だからそうやって姿を現して、裁諸共私の怒りを自分に向けさせてから殺し、最高の形で苦痛を与えてやろうって! だッはははははは! あァーあんたってば本ッ当に性悪だが私の解像度が低いな……」


 足元に突き刺さる、『一つ頭のケルベロス』を引き抜く。


 蛇のように尾を揺らして、耳を倒したり立ち上げる。


 それでも皮膚の内側ギリギリまで身体を満たす嘲りに不健全な笑みが引かなくて、『一つ頭のケルベロス』の切っ先を、ぶらぶらと足元に向けた。俯いてそれを眺めながら、殆ど独り言みたいに吐き捨てる。


「今更お前如きの登場で増すような濃度の苦痛じゃないんだよ」


 落書きをするように、切っ先で足元に傷を走らせた。


「こんなもの日常だ。何も上手くいかなくて、何も思った通りに運べない。頼んでも無いのに常に最低と最悪へまっしぐらで、修正してもまたいつ脱線するか気が気じゃない。どれだけ努力してもまるで、自分のものじゃないみたいに人生を操れない。悪魔? 魔法使い? いつもベタベタと付き纏って来る障害が、最大規模となって現れただけじゃないか。こちとら物心付いた頃からっくにクソみたいな気分だし、私とは何があっても最期まで帯刀おびなたの友達で、何を敵に回してでもあいつの願いを叶えるって、もうあの冬の日に決めてるんだ」


 瓶の縁の人型が砕け散る。撒き散らされる肉片が瓶にぶち当たり血飛沫で彩って、それを墨のような奔流が纏めて吞んだ。空を棺に閉ざされている街はカクタスグリーンの光を放っていた瓶が墨に沈み、光源を失って暗くなる。


 深夜のような闇の中、猫背になっていた私は、頭上から振り下ろしていた『一つ頭のケルベロス』をぶら下げるように、だらだらと上体を持ち上げた。


「……だからお前は何の感慨も無く、取るべき責任として私が殺す」



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