十三話 決着
地面に叩きつけられるその瞬間に氷華はミレイの身体を完全に脱力させていた。どこかに力が入ればそこに衝撃が集中して壊れる…………だからダメージを少しでも抑えるなら脱力して全身に衝撃を分散するしかないのだ。
「…………ぐっ!」
ミレイがその痛みに思わず呻く。それに対して氷華も完全同期の代償としてミレイの肉体の痛みを感じていたが表情一つ変えなかった…………しかしミレイを責めはしない。むしろよく我慢していると氷華は彼女を評価していた。
一連の行動でミレイの身体が負った損傷は常人なら苦悶にのたうち回るようなものだ。しかしミレイは思わず呻いたこと以外は氷華の言いつけ通り脱力を維持している。ほんの少し前まで彼女がただの村娘であったことを考えればそれだけで称えられる忍耐だ。
十数メートルほど転がってようやくミレイの身体は勢いを失った。全身に走る激痛を無視して即座に氷華はその体を立ち上がらせたが…………その体は血に塗れていた。それは茨狼の身体に巻き付いていた茨によるものだ。太く固いとげの付いたそれの上を高速で転がったせいでざっくりと体の数か所をざっくりと裂かれてしまったらしい。
「た、倒せたの?」
氷華がミレイのダメージを確認しているとそんな夏樹の声が聞こえた。
ミレイの右手がぐちゃぐちゃに砕けるのと引き換えに茨狼の後頭部には根元まで短剣が突き刺さっている…………狩人の老人が使っていたものらしいが村に残った武器の中では一番の業物だ。おかげで固い茨狼に突き立てても砕けることは無かった。
短剣と言えどそれなりに刃渡りはある。それがまともな生き物であればのであれば間違いなく死んでいるはずだ…………しかし、茨狼はまともな生き物ではない。
「まだだ、氷華」
冷静に、油断するなと警告する声が響く。
「そいつの生命力はまだ残っている」
恐らくは抜け目なく叶は茨狼のステータスを表示して確認していたのだろう。
グルァアアアアアアアア
それを証明するように茨狼が吠える。
弱っているのは明らかで、けれどまだ死には瀕していないと示す強さで。そしてその吠え声と共にその体に巻き付いていた茨が蛇のように動き出してミレイへと向かって伸びる…………それも矢のような速度で。
「無理」
冷静に氷華は現状を評する。ミレイの肉体の損傷はもはや戦えるどころか満足に歩けるレベルですらない。辛うじて立っているのも氷華の類まれなるバランス感覚によるもので、茨狼の牙を躱して跳んだ両足は本来の限界を超えた力を出したことで自壊し砕けている。
さらに茨狼に短剣を叩きつけた右腕に至っては手首を軸に肘の辺りまでぐちゃぐちゃに潰れたようになってしまっていた。
元々多少強化したところでミレイは茨狼を倒す強さにはならない。しかしそれはあくまで能力を均等に強化した場合であり、一点に特化すればその能力値だけは僅かに通用するレベルにまでは上げることは可能だった。
例えば力と敏捷だけにエネルギーをつぎ込んで強化すれば辛うじて茨狼の動きに対応できるだけの瞬発力を生み出せる…………もちろん、体は自身の力に耐えきれずに壊れていくだろうが。
しかし勇者である彼女は蘇生が可能である。例えばほんの一分動いただけで自壊するようなバランスの強化を行ったとしても一分後に回収し、目的が達成していたならバランスを戻して蘇生すればいいだけなのだ。
氷華はその一分を有効に使い、茨狼自身の突進の勢いも乗せて大打撃を与えた…………しかし致命傷には届かずもはや戦える状態にない。氷華の目は迫る茨を完全に捉えているが、自壊と外傷によって壊れたその体では避けることもままならなかった。
「か、回収!」
だが茨がその身を貫く直前で夏樹の声が響く。それと同時にミレイの身体は光の粒子となって天へと昇って行き、茨は何もない空間を通り過ぎた。
「ナイス判断だ、少年」
彼を褒め称える叶の眼前にはすでにミレイの蘇生用のウインドウが浮かんでいた。
「叶」
「わかっている、即蘇生だ」
氷華に答えると同時に叶は蘇生を決定する選択肢に手を触れる。
「シラネ、茨狼の前にミレイを戻せ」
「ミレイ、さっきと同じ。なにがあっても動かないで」
叶と氷華が、必要な相手にそれぞれ指示を飛ばす。そして回収から数秒と経たないうちにミレイは異世界へと戻された…………恐らく、茨狼からすればミレイ消えて次の瞬間には目の間にいたことだろう。
「すううううううううううううううううううううううううううう」
そしてそれはミレイと氷華にとっても同じこと。しかし目の前に横たわる茨狼の顔があっても氷華は動じず大きく呼吸することをミレイの身体へと促す。深く深く、その身に取り込んだ酸素と同じだけその力を溜めるとでもいうように大きく深く息を吸い込む。
呼吸を止め、吸い込んだ空気はそのままに腰を落として大きく拳を引く。
そして、呼気と共にその拳を茨狼目掛けて解き放った。
◇
茨狼には何が起きたから理解できていなかった。彼が相手の強さとして図ることのできるのはその保有するエネルギーの総量である。彼は経験から相手のエネルギーの量でどの程度の動きをするのか予測できた…………しかしそれは相手が真っ当な存在である場合だ。
速さに特化した成長をする魔物だってこの世界には存在するが、まさか自由にエネルギーを割り振って自壊するような極端な強化を行える相手がいるなど想像できるはずもない。
故に茨狼はなぜか嚙み砕けず、それでも撥ね飛ばしたはずの相手から後頭部に短剣を突き立てられるまで何の反応もすることが出来なかった…………だがそれでも生き残り、得体の知れないそれを最大の脅威と感じて排除した。
茨狼の最大の失敗はそこで気を抜いたことだ。
もちろんそれがこれまで幾度となく蘇って現れたことは覚えていた…………だが、そのいずれも時間的なラグがあった。だから今回も再び出現するまでには時間的余裕があるのだと茨狼は勘違いしたのだ。
茨狼がミレイから受けた傷は致命傷ではないが癒すことに集中する必要がある程度には重症だった…………だからこそ、切り抜けられたことに安堵して気を抜いた。
だから目の前に再出現したミレイに思わず思考が真っ白になってしまったし、それが大きく息を吸い込んで拳を構えるところまで見送ってしまった。
そしてようやく行動しようと思った時には、その拳は茨狼へと撃ち込まれていた。
◇
その構えには見覚えがあると夏樹は思った。それは氷華と初めて出会った日に彼女がこの部屋の扉をぶち抜こうとぶん殴った時だ…………後の時はただの文学少女だと思っていた氷華の行動にただ目を奪われていたが、思い返してみれば堂の入った構えをちゃんと彼女はとっていた。
その構えそのままに、ミレイが茨狼の眼孔へと拳を打ち込んだ。
氷華が茨狼のその目を狙ったのは偶然ではない。いくらバランスを無視して強化したと言っても素手で茨を狼の固い体を撃ち抜くのは難しい…………だがその巨体相応に大きな眼孔であれば話は別だ。そこには固い骨もなく致命的な急所である脳まで繋がっている。
「うわ」
その光景に思わず夏樹は呻く。自分の少し下くらいの歳の少女が巨大な狼の眼孔に肘まで腕を突っ込んでいる光景というのは何とも言えない光景だった…………しかしすぐにはっと目を見張る。茨狼のもう一方の眼にはまだ光があった。
「回収!」
慌てて口にすると同時にミレイが光の粒子に変わって回収され、茨狼の背から伸びた茨が空を切る…………それが最後の抵抗だったのかずしんと音を立てて茨狼の首が地面へともたれて動かなくなる。
「あ、氷華ごめん…………つい」
氷華であれば回収せずとも問題なく躱せたかもしれないと夏樹は謝罪する。
「問題ない。ミレイの身体はもう壊れてた」
茨狼の最後の抵抗がなくとも回収の必要があったと氷華は首を振った。氷華がミレイの身体で放った正拳突きは全身の力を全て拳の一点に絞り込むものだ。それを肉体的なバランスが大きく偏った状態で放ったのだから反動で身体が壊れないはずもない。
「…………」
それを聞いて夏樹は何とも言えない表情を浮かべる。いくらミレイが蘇生可能だと言ってもそれを前提にし過ぎじゃないだろうか。
「少年、気持ちはわかるが今の私達に手段を選んでいる余裕はない」
「…………わかってますよ」
ミレイへの同情で現実が見えないほど夏樹も馬鹿ではない…………下手に躊躇えばより彼女が苦しむ結果になることはわかっている。
それでも、やりきれない気持ちを全て抑えることはできないだけだ。
「もっとも彼女に無理させるのはこれでひと段落だ」
そんな彼を励ますように叶が言葉を続ける。
「ひと段落って」
「私達が何のために茨狼を倒そうとしたのか忘れたのかい、少年?」
「あ」
そもそも茨狼を倒すことは本来の目的ではない…………本来の目的である神具を手に入れる障害なったから倒すことになったのだ。
「邪魔者が消えたからこれで神具を目指せるようになったわけだ」
「そうですね!」
ようやく見えた明るい兆しに思わず夏樹の声も軽くなる。
「とはいえ神具を手に入れるのは急ぐ必要はある…………なにせ村を襲った後にわざわざ茨狼を見張りに残して入った相手だ。それを倒したことはいずれ気付かれるだろう」
定期的に茨狼に報告させるなり、他の魔物に様子を確認させていた可能性は高い。茨狼が倒されたことを知ればより強い魔物か、下手をすれば村を襲ったという魔物の群れを派遣してくるかもしれない。
そうなる前に神具をとっとと手に入れて、この辺りを離れるのが得策なのは間違いない。
「えっとじゃあ」
「少年はもう少ししたら彼女を褒めて、宥めて、神具のある場所へ出発させてくれ」
「あ、はい」
「途中で日が暮れるだろうけどこちらでナビすれば問題ないからね」
基本的に夜間の山中を移動するのは危険極まりない。夜行性の危険な動物が活動する時間でもあるし、何よりも一歩間違えば大事故に繋がりかねない地形を見通せないのが致命的だ。
しかしこの部屋からであれば夜間であろうと山の地形は見通せる。夏樹たちがサポートしている限りミレイは暗闇の中で方角を見失うこともなく進むことが出来るだろう。
「それに今しがた殺した茨狼のエネルギーで結構な強化も出来るはずだ」
茨狼一匹分のエネルギーを使ってそのままミレイが茨狼並に強くなるというわけでもないらしいが、それでも今と比べれば相当な強化になるのは間違いない。神具のある場所に到達するまでの自然による障害なら大抵は乗り越えられるだろう。
「無理せずとも明日中には神具のある場所に到達できるだろうさ」
「そうですね」
とはいえミレイを蘇生して顔を見せるのは早いほうがいいだろう。彼女の立場からしてみれば茨狼に止めの一撃を入れたところで回収されてその先を知らない…………まあ、蘇生される前の状態で意識があるのかわからないが。
「少年」
「はい?」
「彼女が気になるのはわかるが、もう少しお姉さんたちに気を配ってくれてもいいんじゃないかな?」
空になったコーヒーカップをひらひらとさせながら叶が唇を尖らせる。
「一仕事終えたのだからなにか労いがあってもいいとお姉さんは思うね」
「え、あ…………コーヒー、お代わりいりますか?」
「お願いするよ」
頷く叶に夏樹は慌ててコーヒーメーカーへと足を向け、その途中で気づいて氷華の方へと視線を向けた。茨狼との戦いを終えて一言も口を開いていなかった彼女だが、こちらの様子を伺っていたのかすぐに目が合った。
「氷華も、いるよね?」
「うん」
そっけなく頷くが、視線は彼からそらさなかった。そのまま夏樹は今度こそ飲み物を淹れに行こうとしたが、再び何かを思い出したように足を止めて振り向いた。
「お疲れ様でした」
その一言を、まずは口にしておくべきだと思い出したのだ。
返事は無い、しかし歳の違う二人の女性と少女はどちらも満足そうに頷いたのだった。
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