十二話 戦神の導き

「駄目じゃないですかっ!?」


 目の前であっさりと殺されたミレイを前に思わず夏樹が叫ぶ。あの口ぶりからてっきり叶には何か策があるのかと思ったら、彼女は氷華に指示することもなくそのままミレイが殺されるのを放置していた。


「そりゃあ駄目だよ」


 それに動じることなく叶は返す。


「それより少年、回収」

「え、あ」


 冷静に指摘されて慌てて夏樹はミレイの回収を念じる。何度も復活するミレイを確実に殺す為かそのまま茨狼はミレイの身体を喰らおうとしていた。


「回収しましたけど…………いったい叶さんは何がしたいんですか!」


 夏樹の視点からすれば意味もなく山を燃やしてミレイが死んだだけだ。


「もちろん、茨狼を倒すことだよ」


 しかし叶の答えるその言葉はぶれない。


「でも今駄目だって…………」

「それはそうだよ。だってなんの強化もされてない彼女で勝てるはずもないだろう?」


 それで勝てるなら最初から正面切って戦わせている。


「だから少年には悪いけど彼女には一度死んでもらう必要があった」


 そう答える叶の前にミレイを蘇生させるためのウインドウが浮かび上がる。

 そこには彼女を蘇生させる選択肢とは別にその能力を数値化した表と、溜めたエネルギーを使ってそれを強化する項目が存在している。


 勇者の強化はその肉体を再構成する際にだけ可能だ。つまりミレイを強化するためにはその生死に関わらず一度その全てを分解してこの部屋に回収する必要がある。


「それなら最初から回収でもよかったんじゃ…………」

「それだと少年が彼女を殺してる気分になって嫌なんじゃないかな?」

「それは…………」


 説明を聞いた時に確かに夏樹はそう感じた。口にはしなかったがその時の表情を見られていたのだろう…………それは叶なりの気遣いかもしれないが、だからってミレイが殺されるのをあえて待たれるのも困る。


「いや、そもそも回収したって強化のしようがないじゃないですか!」


 勇者を強化するには異世界で貯めたエネルギーが必要であり、そしてそのエネルギーを貯めるためには魔物を倒す必要がある…………だがその魔物を倒せないから神具を手に入れる必要があるという話だったのだ。


 その話は茨狼を倒す相談をしていた時にもしたはずだった。


「少年、私がその件でシラネに確認したことを覚えているかい?」

「えっと、エネルギーは魔物以外でも溜められるのかって…………!」


 口にして夏樹は叶の意図に気づく。


「塵も積もれば山となるってことだよ、少年」


 それが正解だと教えるように叶が慣用句を口にする。


「多少効率が悪かろうが、山をそれなりの範囲燃やせばまとまったエネルギーになる」


 シラネは魔物以外の生命体では効率が悪いと説明したが、それならば数で補えばいいという乱暴な理屈だった。

 山には野生動物はもちろん虫などの生物が多数生息しているし、生命体という括りであれば生い茂る木々などの植物だって含まれる。


 それらの命は全てミレイが行った放火によってその命を失った…………つまりどれだけ遠く離れた場所まで炎が広がろうと彼女はその死に縁がありエネルギーの回収が可能だ。


「…………」

「シラネ、回収を頼む」


 思わず絶句する夏樹をよそに淡々と叶は事を進める。炎によって焼き焦げた風景が一瞬にして何もない更地となり、その前に浮かぶウインドウの中のエネルギー残量を示す数値がゼロから大きい数値へと上がっていく。


 横目で夏樹がその数値を確認する限りミレイの能力値を数倍にできそうだった…………しかしその為に犠牲になった命はどれだけいるのだろうか。

 

 これは確かに事前に聞かされていたら間違いなく彼は反対していた事だろう。


「しかし予想はしていたけどまるで足りないねえ」


 エネルギー総量の数字を見て叶が呟く。


「あれだけのことをして足りないんですか!?」

「そりゃあ足りるわけないじゃないか」


 山を多少燃やした程度で茨狼を倒せるほど強くなれるならそもそも勇者をこんなハードな場所で選ぶ必要がない。

 その程度じゃ強くなれないからこそ、神具の入手を前提に強力な魔物たちの勢力圏になった地域を選んだのだ。


「足りないならやっぱり意味がないんじゃ…………」

「少年、足りないと言ってもそれは正面からまともにやり合った場合の話だよ」


 逆に言えばだ、まともじゃない方法でなら倒せる可能性があるところまで強化できたという事でもある。


「氷華、私の見立てじゃ一分が限界だと思うけれどいけるかい?」

「問題ない」


 不意に叶が水を向けると、氷華はすっと目を開いて頷く。


「ではこれで彼女を強化して蘇生するとしよう」


 話ながらもエネルギーの振り分けを行っていたらしく、叶は氷華の返事と同時に蘇生を決定する項目に指を滑らせた。


「その後は氷華、君の出番だ」

「わかってる」


 答える彼女のその唇は、戦いへの期待に高く釣り上がっていた。


                ◇


 茨狼は今度こそミレイを殺しきる為にその体を喰らおうとしたが、その前にまたその体は光の粒子としなって消えてしまった。その事実に彼は不快気に唸り声を上げる…………殺すのは容易いがあれは何度も現れている。しかも今回は山に火をつけるという暴挙に出ていた。


 もちろん茨狼にとってあの程度の炎など大したことは無い。しかし自分の縄張りを荒らされるのはかなりの不快感だった。だからこそ彼はすぐに寝床のある元の場所へ戻る事無くあれの出現位置であろうこの場所に留まっていた…………再出現したらすぐに、またその復活の要因を潰すために。


 そしてその予想は正しく、虚空から生まれたようにその姿が現れた。茨狼はすぐさまその喉笛を食い千切ってやろうと動きかけるが、僅かに違和感を覚えてまずはその様子を伺う。


 すぐにわかったのはそれの強さが増していることだった。いかなる手段を用いたのか前に現れた時の数倍以上の強さになっているのが臭いでわかる…………もちろん、彼にしてみればそれは赤子が幼子になった程度の違いでしかない。それでもその急成長は警戒心を抱かせるには充分だった。


 それに何よりもその雰囲気が違う。


 これまでは自分に怯えるはずだけだったそれは、明らかに敵対者としての殺意を茨狼へと示していた…………それも彼が思わず身構えてしまうほどの明確な強さで。


 グルゥ


 戸惑ったように茨狼は唸る。強さだけで見れば自分と比べるもない相手がなぜ自分が身構えるほどの殺意を放つことが出来るのか…………それは彼のこれまでの経験からすればありえない事だった。


 すると戸惑う茨狼をそれが片手を上げ、自身へ招くようにその手の先を躍らせる…………それは明白な挑発だった。


 そしてその挑発を見過ごせるほど、茨狼のプライドは安くなかった。


                ◇


 風切氷華にとって読書は人生に欠かせないものだ。物語に没頭している間は何もかも忘れて居られるし、その続きに思いを馳せるのは楽しい。その間だけは自分の本質の何もかもを忘れて穏やかな気分でいられる。


 だが、それで自分の本質が変わるわけでもなかった。氷華という人間は戦うために出来ていて、戦うための力を持っている…………理由は知らない。生まれた時からそうだったし、それを変えることは決してできないらしい。


 読書はまだ好きだしこれからも続ける…………だけど、戦いへの欲求はもう我慢は出来ない。


 だから戦う。


 生身でない事は少しだけ不満だが、この昂揚の前には些細な問題だった。


「ミレイ、準備はいい?」


 そしてその昂揚を表に出すことなく淡々とした声で氷華は尋ねる。


「大丈夫です!」


 対照的に昂揚した声で返事は戻って来る。彼女にしてみればようやく役に立てる機会が来たと張り切っているのだろう…………それがただ痛みに耐えるだけの苦行だとしても。


「シラネ、やって」

「はい、なのです」


 返事が聞こえると同時にミレイが元の世界へと戻され、氷華の視界が一変する。そこに広がるのは普段とは違う高さの視点から見える山に囲まれた廃墟の村…………そしてこちらに気づく茨狼の姿。


 俯瞰視点で見るのとは違いその巨体は威圧感があったが、恐怖ではなくさらなる昂揚感が氷華には湧き上がっていた。


「やるよ、ミレイ」


 僅かに腰を落とし、右手に握った短剣を前に構えを取る。自身で動かしつつもそこに見えるのは氷華ではなくミレイの姿…………勇者との完全同期による戦闘。それが氷華に与えられた戦神としての役割だった。

 夏樹が彼女に意思を伝えるのと同じ要領で肉体を動かす信号を送っているらしいが…………小難しいことは氷華にはどうでもよかった。


 ミレイの身体を介してであろうが生死を懸けた戦いができる、わかるのはそれだけで十分だ。


「ふん」


 こちらの雰囲気が変わったのを察したのか茨狼は様子を伺っている。流石に敏いが誘うのは簡単だ…………あの手の獣は自分の強さに対するプライドが高い。

 いくら得体が知れなかろうが明確に弱者とわかる相手に挑発されれば我慢は出来ない。


 案の定、空いた手で軽く招いてやるだけで茨狼はその忍耐を決壊させた。


「ミレイ、ちゃんと我慢してね」


 氷華が彼女に求めるのは完全なる虚脱だ。完全同期によって氷華はミレイに肉体を動かす信号を送るが、別にそれでミレイ自身が動けなくなるわけではない。


 彼女が体を動かそうとすれば当然それに従って体は動くので、氷華が動すのと重なれば滅茶苦茶な動きになってしまうことだろう…………いかなる苦痛があろうとも、ミレイにはその動きの全てを氷華に委ねてもらう必要があるのだ。


「がんば…………っ」

「口も閉じて」


 冷淡ではあるが、喋るその動作だけでも氷華の妨げになる…………茨狼はもうこちらへと駆け出していた。その巨体からなる俊足を考えれば、彼我の距離が詰まるのはほんの数秒先のことでしかない。


 ガチィッ


 目の前で牙が激しくかち合う。茨狼が目標を外したのではなく、ミレイ目掛けてその大きく開いた口が閉じられる直前で後方へと一歩下がったからだ。


 だがそれで茨狼が止まったわけでもない…………ミレイへと駆けて来た勢いのままにその巨体が下がった彼女へと向けてぶつかろうとして来る。


 ダンッ


 地面が弾けるほどに蹴とばして、ミレイの身体が宙へと身を捻りながら…………それも迫り来る茨狼へと向かって跳んだ。彼我の距離は一瞬でゼロになってぶつかるが、彼女はその衝撃を身の回転に変えて茨狼の鼻先を登るように転がっていく。


 高速で世界が巡るミレイの視界の中でも氷華は映る全てを捉えていた。ほんの一秒もない時間の中で正確に自分の居る場所を把握し、回転の勢いを全て載せてその右手に握った短剣を茨狼の後頭部へと叩き込んだ。


 ゴキリ


 と、手首の折れる音が体の内側に響いた…………けれどそれを気にする余裕はない。


 茨狼の身体を転がり終えて、固い地面へとミレイの身体はその勢いのまま叩きつけられた。

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