【8】

「どう、美味しい?」

今まで黙っていた森川が口を開いた。

令子は、うっとりしながら森川の方に視線を移して言った。

「ええ、本当に美味しい。和くんおススメのカクテルは、どれも素敵だわ」

頬をピンクに染めながら令子が答える。

『美味しい』。その言葉は、何よりも樹を悦ばせた。

目の前のカップルの恋を今夜も演出することが出来たのだ。

「そう、それは良かったよ」

森川はゆっくりと返事をした。

ここまでは、このカップルのいつものやり取りの流れである。

だが、やはりいつもと何かが違うのだ。

あまりにも森川が緊張しているように見える。

「このカクテルにまつわるエピソードって知ってる?」

緊張した面持ちのまま、森川が言った。

令子は頬を染めたままぽわんとした顔で、「どんなエピソードなの?」と尋ねた。

「このカクテルはその昔、イギリスのヴィクトリア女王がウェディングドレスを着たイメージで作られたんだってさ」

森川は話した。

「へぇ、そうなんだ。素敵ね!和くんてホント何でも知ってるのね」

令子は微笑みながら言って、再びグラスに口を付けた。

「ははは、ありがとう。それで……だね。えっと」

森川は照れたように少しだけ俯き、言葉に詰まった。数秒間沈黙が続いた後、ようやく口を開いた。

「あ、あの!キミに、僕のホワイトレディになってもらえたらと思っているんだけど……」

令子は、カクテルグラスを口元へ運ぶのをピタッとやめた。

静かな店内に響くジャズは、相変わらずゆったりと流れている。

樹は、森川の口から出た言葉に目を細めた。

「か、和くん……?」

森川の瞳は真剣だ。瞳の中の星がきらきらと輝いているのが見える。

彼の手にはいつの間にか、ケースに入った指輪がきらめいている。

「ど、どう、かな……?」

令子はじっとその手元を見つめ、その後再び森川の顔に視線を戻して言った。

彼は不安気に彼女を見たままだ。

「嬉しい、喜んで……!」

令子はじんわり涙を浮かべながら首を縦に振った。

店内の他の客たちからも一斉に拍手が贈られ、森川と令子は顔を真っ赤にして微笑み合った。

「おめでとうございます、森川さん。そして令子さん。お二人の記念すべき瞬間に花を添えることが出来て嬉しく思います」

樹はにっこりと微笑み、そして言った。

カウンターの前で二人は立ち上がり、零れんばかりの幸せそうな笑顔で頷いた。

そして深々と店中あちこちに向かって丁寧にお辞儀をし、ゆっくりと店を後にした。

「幸せのカクテル、だね。やるじゃん」

いつの間にか樹の隣には別のバーテンダーが立っており、樹の右肩を軽くポンと叩きながら笑っていた。先輩の東郷伊織とうごういおりである。

向かって右側でゆるく束ねた彼の金髪の長い髪が、店内の灯りに照らされてキラキラと輝いていた。

「それを作ったバーテンダーも、あやかりたいんじゃない?僕が占ってあげようか?」

そう言って伊織はズボンの右ポケットからタロットカードを取り出したかと思うと、軽快にシャッフルし始めた。

慣れた手つきでカードを捌いている彼は、占いが得意なのだ。

カウンターに展開されていくカード。その中から一枚を拾い上げて彼は言った。

「『死神』の逆位置、ふぅん?転換期に来てるみたいだねぇ。どうする?」

ニヤリと笑いながら伊織はカードを右手でピラピラさせた。

「僕は自分のことは自分で決めますよ。伊織さんこそ、自分のことを占ってみればいいのに」

ははは、とお互い挑戦的に笑いながら顔を見合わせるやり取りは、ここではすっかり日常になっている。

別に二人は喧嘩をしているわけでも仲が悪いわけでもない。

これが彼らのコミュニケーションの一つなのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る