【7】
ゆったりと控えめなジャズ。ベースの音が胸の奥まで浸透するような重厚な響き。
店内は今日も穏やかな空気が漂っている。
暗めの照明が、普段の自分よりも大人に見せてくれるような感覚。
もしかしたら時間も二倍以上緩やかに流れているのではないか、とそんな錯覚に陥る。
通い慣れたいつものバーではあるが、今日の彼には少し違って見えた。
ここに来るときはいつも、テーブル席ではなくカウンターを選ぶ。
お馴染みのバーテンダーが、自分の好みを把握してカクテルを作ってくれる。
仕事帰りにちょっと寄っては疲れを癒す。それがいつしか習慣になっていた。
外資系の会社で働く森川は二十代半ば。最初は何気なく一人で立ち寄ったのが、自分にしっくりきた。
そのうち彼女の
店内にはいつもの常連の顔がちらほら見える。
一杯だけ注文してサッと出ていく者や、バーテンダーと楽しくおしゃべりを楽しみ、長い時間留まる者、様々だ。
それから、どうやら色んな職業の客も立ち寄っているようだ。
仕事帰りのサラリーマンはもちろんのこと、探偵を生業としている者。
そして気分転換に飲みに来る作家もいる。
様々な年齢、職業の人間がこの空間に出入りしていた。
(今日の森川さん、何かいつもと違うな)
森川からのオーダーで、今夜のカクテルを作る準備をしながら
ドライ・ジン、ホワイト・キュラソー、レモン・ジュースをシェイカーの中に入れ、リズミカルにシェイクする。
静かな店内にしっかりとした音が心地よく響いている。
森川と、その隣にいる彼女の
シェイクする手が止まり、ゆっくりとグラスに中身が注ぎ込まれる。
柔らかな乳白色のカクテルが目の前に出された。
「お待たせ致しました。ご注文のホワイトレディです」
コースターの上に乗ったグラスは、凛と目の前に佇んでいる。
「ありがとう、バーテンダーさん」
樹にとっては、この瞬間が一番好きだった。
自分の手の中でシェイクされ、幾重にも絡み合って新しい味に姿を変えたカクテルが、グラスの中で緊張しつつ、『その瞬間』を待っている。
樹は、たった今出来上がったばかりのカクテルをそっと口に運ぶ令子を見たあと、もう一度森川に視線を戻した。
やはり、今夜の彼はいつもと違う。
いつもはもっと寛いでいる。それが今夜に限っては緊張が解けていないのだ。
樹は、森川に話し掛けるのを少し待った。そして、黙って二人の様子を目で追った。
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